第19話 習慣と堆積、そして決意


 敦司あつし皐月さつきの地元は、舟崎ふなざき市の隣、東上とうじょう市という自治体に属している。

 元々は水田と果樹畑ばかりの田舎町だったが、10年ほど前に大規模な市町村合併が行われた結果、地方都市と呼ばれるような名前の下にまとめられてしまった。


 舟崎西高校は県内でも有名な進学校のため、近隣の市から電車で通う生徒も多くいる。敦司たちもその一員だった。自宅から駅までは自転車だが、駅から学校までは徒歩で事足りるほどの距離だ。

 ――だから、当然のことではあるのだが。


「……えっ! あ、あっくん?」


 4月中旬にあるまじき汗だくで、息を切らして到着した敦司を目にした小野辺おのべ皐月は、それだけ口にしてぽかんと固まった。それはそうだろうと、膝に手をつき、必死で息を整えながら敦司だって思う。


 カフェに集まっていた女子生徒5人は、全員が自転車通学生だった。

 となれば、移動は当然、自転車である。昨日、右足首を捻挫したはずのみおでさえ、「体重のかけ方がわかれば、割とイケる」などと自転車に乗っていた。

 そこで敦司に与えられた選択肢は2つ――誰かの愛車に同乗するか、走って後をついていくか。

 肝の据わった他の誰かならともかく、敦司にとっては、実質一択だった。


 ありがたいことに教科書が満載された鞄は、叶芽かなめが預かってくれた。荷台に上下逆さでぐるぐる巻きにされた状態をどこまでありがたがるべきかは不明だったが、ともかく、身軽になれるのはいいことだった。

 その叶芽を始め、朋香ともか以外の2年生たちもみな、近くの公園で待機している。1人の後輩の元に6人で押し掛けるのはさすがに自重すべきだと、誰からともなく言い出したのだ。それに伴い戻ってきた鞄の重みが、肩に食い込む。


「朋香先輩、あっくんと知り合いだったんですか?」

「そうそう。この間、演劇部に見学に来てくれてねー。小野辺ちゃんの友達だって聞いたから、ちょうどいいやーって思って」


 連れてきちった! などと笑う。なにがちょうどいいのかはわからないが、皐月の関心はそこには留められなかったようだった。


「あれ? でも先輩、演劇部じゃないですよね?」


 思わず「えっ」と声と顔を上げた敦司を朋香は一瞥して、うん、と頓着なく頷く。


「友達がいるから、暇な時に手伝ったり、居座らせてもらったりしてるの。小野辺ちゃんも、そのうち来たら? 女の子ばっかりだから、楽しいよ!」

「…………。女の子ばっかり……のところに、あっくん、いるの?」


 じろ、と探るような目を向けられて、敦司はたじろぐ。――同時に〈それ〉が目に入ったというのに、息を呑むことさえ、できないほどに。

 そんな反応をどう捉えたのか、皐月の視線がより疑り深いものになる。


「……先輩、あっくん、変なことしでかしたりしてませんか? やたらスキンシップとろうとしたり、みんなの荷物の中身気にしたり、着替えの途中でノックもなしに部屋に入ってこようとしたり……」

「……小野辺さんの中でのおれって、いったいどうなってるの……」


 朋香は「しないよ、丹原くんはそんなことー」と軽々しく手を振って否定してくれるが、そうだとしても、幼なじみの発言で敦司はきれいにダメージを受けていた。前科があるわけでもないのに、そこまで具体的に疑われるとは。

 ――そして。


「あっ、それでね!」


 渋面を晒す敦司にはそれ以上構わず、朋香が両手を叩き合わせる。


「さっき言ってた『お願い』っていうのも、その演劇部のことなんだけど!」


 朋香が皐月を『家庭クラブのことでお願いがある』という名目で呼び出したことは、ここまで来る道中で敦司も聞かされていた。それなりに納得できそうな内容だったため、口を挟まずに控えていることにする。


「家庭クラブで、演劇部の衣装のお手伝いとかすることがあるの。ミシンとかの道具が揃ってるし、先生たちも仲がいいからってね」


 でっち上げではない。実際にそういう協力関係があって、そろそろそういう時期だよねと話し合っていた矢先ではあったそうだ。


「それで、できれば明日、小野辺ちゃんにも演劇部との打ち合わせに付き合ってもらえないかなーって思って。本当は今日の放課後、先輩たちも一緒にって思ってたんだけど……こんなことになっちゃったから。どうかな? 明日、空いてる?」

「んー……空いてるのは空いてるんですけど……」


 皐月は困ったように眉根を寄せる。


「でも、なるべく外出は控えるようにって、先生に言われてるんです。……なんか、変なウワサがあるからって」


 澪の予想が当たっていたということだろうか。

 生徒全体へ向けられた自宅待機命令とは別に、皐月にだけ向けられた警告――おそらくそうだと敦司は思う。帰宅指示を出した敦司のクラス担任は、〈変なウワサ〉については一言たりとも触れていなかった。


 皐月は確かに優秀だが、部屋に一人籠って勉強するようなタイプではない。その〈ウワサ〉の内容も、すでに耳に入っているだろう。今ここにいる彼女に動揺している様子はないが、だからといって、平気であるとも限らない。


「あっ、じゃあ丹原くんちとかどう?」

「は?」


 唐突なご指名に思わず朋香を凝視する。


「ご近所さんなんでしょ? それくらいなら、きっと大丈夫だって。どうせ舟崎だといろんな目があって集まりにくいし、なんなら小野辺ちゃんちまでお迎えに行って、一緒に丹原くんちに行ったのでも――」

「だめです!」


 突然の大声に飛び上がる。ちょうど駅へ入っていこうとしていたスーツ姿の中年男性が目を丸くして振り返るほどのそれを口にしたのは、皐月だった。

 眉間にシワを寄せ、両手で拳さえも硬く握って、断固として反対の姿勢だ。


「演劇部のみなさん、女子なんですよね? 女子ばっかりで、男子の家になんて、行っちゃいけないと思います」


「でも」と反論しようとする朋香を片手で制し、皐月は真っ直ぐな瞳で、真っ直ぐに提案し返した。


「それなら、わたしの家でやりましょう」





 結局、最後まで、残りの4人は皐月の前に姿を現さなかった。

 小野辺家での打ち合わせ予定が決まると、なんとなく解散の空気になった。おまけにその流れで、ちょうどやってきていた東上市行きの電車に乗り込むことになってしまい、結果、皐月と2人きりで帰路につくことになったのだ。


 色々と、話したいと思うことはあった。

 しかし慣れない運動の代償だろう、いつもの通学時間帯からは考えられないようなほぼ無人列車のシートに腰を下ろした途端、そんな元気は、縫いつけられた接着面から流れ出るように失われてしまった。

 通学鞄を挟んで隣り合った皐月も、珍しく、難しい表情をして黙り込んでいる。


 結局、発車時間までに乗り込んだのは、買い物袋を抱えた70代ほどの女性客だけだった。先にいた子連れの主婦と舟西の生徒数人、そして敦司たちを乗せ、一両編成の列車はゆっくりと舟崎駅のホームを後にした。

 こうした電車通学を始めて、敦司はまだ1ヶ月にもならない。

 その短い期間の中、幼なじみの少女と並んで座ったことなど一度もなく、規則的な揺れに眠気を誘われながらも、隣を意識しないわけにはいかなかった。

 

「…………。あっくん、いつから演劇部に入ってたの?」


 不意に、思いもしない質問を受けて、少し噎せ込みながら隣を見返す。


「い、いや……入部してるわけじゃないんだけど」


 考えてみればおかしな状況だ。

 所属しているわけでもない部活の人間と一緒になって、この数日というもの、次々と犠牲になる見ず知らずの生徒たちや、そもそも見えるはずのない幽霊などというものに頭を悩ませ続けている。


「見学に行っただけのはずだったのに、なんでか……あんな感じになってる」

「ふうん……」


 釈然としないのか、皐月はそっぽを向いて唇をとがらせる。

 女子高生にしては幼いそのしぐさは、敦司にとって、とてもなじみ深いものだ――皐月がなにかを尋ね、それに対する敦司の返答が気に入らなかった時、決まって彼女はそんな顔をする。保育所に通っていた頃からなにも変わらない。

 それは、敦司にとっては心和むものでもあり、同時に、切ないほどの情けなさを覚えるものでもあった。


 会話は途切れた。

 皐月にしゃべる気がないなら、敦司もしゃべることはない。

 それは長年の習慣であり、ここ数年の堆積のせいでもあった。昔は息継ぎのような、屈託なくしゃべり続ける彼女と共にいる間の、気の休まる時間でさえあったのに。今はただただ、気詰まりな時間でしかなかった。


 ――本当に。

 わけのわからないことになってしまった、とは思う。

 しかし、それには理由がある。どうしようもなく、切実な理由が。


 流れていく景色から目を離し、制服のポケットからスマホを取り出す。

 ずっと微動だにしなかったそれのメッセージアプリを起動して、澪へと、短いメッセージを送る。何秒とたたず、返信がスマホを震わせる。たった2文字、『了解』とだけ映し出された液晶を一瞥して、溜め息と共にポケットへと戻した。

 そうしてようやく、皐月の横顔へと目を向ける。


 敦司の視線に気付くことなく、皐月は前方の車窓を睨みつけている。幸いかどうか、そこに尋常でない恐怖や挙動不審さは見られない。しかし――


 その首元には、見間違えようもない〈血の紐〉が、ぐるりと巻き付いている。


「…………さっちゃん」


 無意識のうちに昔の呼び方になっていることなど気付かなかった。

 一拍置いて驚いたように振り向いた皐月の目を見て、見続けることができずに逸らしながら、それでも言った。


「こんな時だから……おれなんかじゃ、たいして役には立たないかもしれないけど。……もしなにかあったら、いつでも、連絡してくれていいから」


 沈黙は長かった。我に返り、羞恥と焦りで顔が熱くなるのに、充分な時間だった。しかし――

 その末に皐月が浮かべた表情は、それに堪えた甲斐があると言えるだろう。


「……うん。ありがと、あっくん」


 はにかむような、花咲くような微笑みは、敦司にとって、他のなによりも大切なものに違いなかった。



 非現実的な〈殺害予告〉。

 それをつけられた幼なじみと、先程までとは違う、無言の車中。


 敦司は静かに決意を固めていた。

 彼女だけは、必ず守ってみせる、と――。




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