第15話 壺の中の贄


 昨日も来たばかりの敦司あつしのことを、保険医と相談員は、当然のように覚えていた。


 怪我の理由などについてはみおが当たり障りのない事実だけを述べて解決し、そしてその後、服の下の傷を確認する段になって、男二人は閉め出された。

 日当たり抜群の保健室前で待ち続けるのもなかなかにつらく、どちらからともなく、建物の陰へと移動する。角部屋の保健室のすぐ横には、人の手がまるで入っていない草木生い茂る小山があり、ちょうどいい木陰を提供してくれるのだ。

 過ぎていく風が、さわさわと涼しげな音を鳴らしていた。


「亡くなったの、昨日、ここに来てた彼女なんだってね」


 ふと思いついた調子ではなく、ずっと考えていたことが零れ落ちただけのように、山口相談員はそう切り出した。


「彼女について、なにか知ってることはある? なにかに悩んでたとか、トラブルを抱えてる風だったとか……」


 まるで事情聴取かなにかのような質問に、敦司は思わず顔をしかめた。


「知らないですよ、昨日のあれが、最初で最後だったんですから。……まさか、おれのこと疑ってるんですか?」

「いやいや、そういうんじゃなくてね」


 慌てたように両手を振ってみせた山口は、眉を八の字にして苦笑する。


「『うなされてた』って言ってたろう? 『悪夢を見てた』とも。だからなにかしら、彼女の夢見を悪くするような……例えばストレスやトラウマのようなものが、かなり蓄積していたのかもしれないと思ってね」

「……ああ」

「元々あった自殺願望が、あの飛び下り騒動で誘発されたのかな。それとも、全く関係のない脅威があって、それが彼女をそうさせたのか……」


 ほとんど独り言に近い呟きで、そして隣にいる相手が一生徒に過ぎないことを思い出したように、山口は「まあ」と曖昧な笑みを浮かべて首を振った。


「亡くなってからじゃ、そんなもの、考えたところでなんの意味もないんだけどね」

「…………」


 なんとも答えず、木漏れ日を見上げる。

 ――そのは霊的存在なのかもしれない、なんてことをここで口にできるほど、さすがの敦司も、能天気ではいなかった。





 澪の治療を終えて演劇部室に戻ると、そこには逃亡したはずの織江おりえの姿があった。


「――どうしたの澪ちゃん! そのケガ!」


 のびのびと窓際の椅子に収まっていた織江は、帰ってきた友人の変わりようを目にした瞬間、飛び起きた。


「うん、ちょっと……階段から落ちまして」

「はい!? にゃに!? 階段から!?」


 驚きが過ぎたのかネコ化している織江を「平気平気」と宥めようとした澪は、しかし甘かった。ガーゼの上に包帯を巻いた額の傷からテーピングを施した右足首の捻挫まで、計5ヶ所に渡る負傷について、1分以内に洗いざらい吐かされていた。


「信じらんない……そこは意地でも助けるでしょ、無理でも一緒に落ちてクッション代わりになるでしょ、それがオトコってもんでしょ……!」

「す、すみません……」

「まあまあ。おかげで、七留ななどめさんを助けられたわけだから」


 澪は、中庭で七留波那はなを見つけたところから、彼女を追って階段から落ちたことまでを織江に話した。

 そこには〈赤い紐〉についてのことも含まれていたので、敦司は屋上に着いてから、波那との攻防についてから話すことにした。


「七留先輩が暴れるのを急にやめて、なにかと思ったら……もう、おれたちのすぐ後ろに〈それ〉がいたんです。白い着物の花嫁さんみたいな格好で……でも、顔は〈鬼〉の顔でした。先輩にも見えていたみたいで、それで……だけどなにもしないで、少ししゃべっただけで消えてしまって」


 突然、そこで二人が身を乗り出した。


「しゃべったの?」

「なにを?」

「ええと……『くちおしや』とか『みつのくち』とか……なんかそんな感じのを。なんか、前よりも不安定な感じで、ふわふわしてたからあんまり――」

「前? 前にもその幽霊、しゃべってたの?」


 噛みつくような織江の横入りに、はたと気付いて頬が引き攣る。


「……言ってませんでした?」

「「聞いてない」」


 二重奏で否定されると、想像以上に痛かった。視線と声の棘が痛い。

 敦司は観念して身を縮めながら、一人目の犠牲者が出たその現場で、最初に見た〈それ〉が言っていたその内容を、二人に話した。


「『まずは……いっこう』ううう? なにそれえ?」


 素っ頓狂な声を上げる織江。

 その隣で、澪はすぐさま考え始める。


「『こう』が単位になるのは、学校とかの『1校、2校』……それから項目とか、港、原稿、考え……」


 よそに目を向け呟く澪が、ふと息を途切れさせる。


「あるいは、〈壷〉とか」

「壷? ですか?」

「そう。というか、壷に限らず、口の狭くなった器や容器を数えるのに使う。『1口ひとくち2口ふたくち』の音読みだよ」

「あ、なるほど。もしかしてだから、『つのくち』?」


 ぽんと両手を合わせる織江に、澪も「かもしれない」と頷く。


「でも……だとしたらなんで、〈壷〉なんですかね? これって多分、犠牲者っていうか被害者っていうか……とにかく死んだ人の数じゃないですか? 普通に1人2人って数えたんじゃ、なにがいけないんですかね?」

「もしかして――」


 と織江が真剣な顔で声を低めた。


「抜いた魂を、壷に詰めてるとか?」


 半透明の死者を花嫁が手繰り寄せていたという話は、最初の時に話してある。

 そこから出た発想なのだろうが、あまりに突拍子もないそれに呆れたのは、しかし敦司だけだった。


「嫌なコレクションだね。なにに使うんだろう」

「あっ! もしかしたら、7つ集めたら願いが叶うのかも……!」

「召喚のためのにえだとしたら、神龍さまより禍々しいものが来そうだけど」

「神格特定のためには、まず祭壇探しかしら。ああ、探索技能がほしい……」

「リアル知識が必要なら、今からでも柚羽ゆうちゃんを呼んでくれば……」

「…………。あの……なに真面目に検討してるんですか……」


 不必要なほどの深刻さで話し合っている先輩2人に、肩身の狭い1人の後輩はなんとか口を挟み込む。その途端、張り詰めていた空気を自ら跡形もなく消し去って、澪と織江は、揃って大きく噴き出した。


「うそうそ! 冗談! さすがにそんな、真面目に考えてはいないって!」

「冒涜的な神格相手なら、とっくの昔に、きみも発狂してるだろうしね」

「はあ……」


 どうやらそういうことらしいが、敦司には、どこからどこまでが本気なのかわからなかった。そこを測り違えると非情に面倒臭そうだ。今この時のように。


「でも……そう。〈壷の中の贄〉か」


 ようやく笑いを治めた澪が、それとはまた違った形で目を細める。

 そうすると途端に険しさが増したように思える面立ちで、彼女は、誰に言うでもなく呟いた。


「あながち、馬鹿にもできないかもしれない」




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