第9話 2人目



 校内でまたもや死者が出たというのを敦司あつしが知ったのは、登校時のことだった。


 いつもなら開いている裏門が閉め切られ、回り込んだ正門前の道路でも、その手前に立った教員たちに追い返された。そして敦司が存在さえ知らなかった通用門への登校指示に従っていたところ、その先にテレビカメラのようなものを持った人たちがいたと、好奇心を丸出しにした中学時代の顔見知りが話しかけてきたのだった。

 毒されたように俗っぽい興味が湧き、敦司も、軽い気持ちで問い返す。


「なんでだろ? 一昨日の、先輩のやつで、進展があったとか?」

「それがな――今日また、体育館側の中庭で、死体が見つかったらしい」

「え……!?」


 驚愕に目を見開く敦司を満足げに見遣る、彼の手にはスマートフォン。どうやらそれで、すでに登校済みの友人たちから、現在進行形で情報を仕入れているらしい。


「ま、まさかまた、飛び下り?」

「いいや。どうも溺死らしいぜ」

「溺死!? そんな……だって中庭だろ? あんなとこで、どうやって……」

「池があるじゃん。あそこで見つかったんだって」


 敦司は絶句した。――確かに池はある。節水のために万年〈出ずの噴水〉になっている、校章を象った小さな池が。しかし。


「だってあの池、深さが30センチもないじゃないか……!」


 通路から一段上がった中庭に、ぐるりと造られた縁自体がまずもって敦司の膝にも届かないほどで、そこに溜められた水は、たとえ豪雨によっても溢れることがないよう排水設備が整っている。入学以来、味気ないコンクリートの底がすぐそこに見える浅さ以上になったところを見たことがない。

 それにはこういった〈事故〉が起きないようにとの配慮もあったのだろう――結局それも、無為に終わってしまったが。


「へえ――死んだの、3年の女子なんだってさ。すっげえ、そんなことまでわかってんのな。校内情報駄々漏れじゃん」


 敦司に取り合うことなく、彼は液晶画面からの情報収集をなおも続ける。


「そんでえーっと? 名前は……ゆ、湯井沢明輝音ゆいざわあかね? えええ、これでアカネって読むのかよ。テストん時、面倒臭そうだな。うわ、自撮りまで回ってるし。――なあ丹原たんばら、お前この人、知ってる?」


 散々1人でまくし立てた彼が差し出すスマートフォンを、敦司はぼんやりと、惰性的に歩きながら覗き込んだ。

 自撮りアプリというものに、敦司はとんと縁がない。女子や、それと付き合いがある一部の男子ならばいざ知らず、一介の地味系男子高校生にとっては当然といえば当然のことだ。

 だからその画像が、どれほど実物に忠実なのか、測り知ることはできないが。


「あ――」


 気付いてしまった。

 それが昨日、保健室で見かけた、あの女子生徒であることに。


 どこがと言えるわけではない。記憶に焼きつくような恐怖と苦悶に歪んだあの顔と、画面の中で甘えるような上目遣いの笑みを見せているその顔とは、むしろ一致点の方が少ない。それでも直感的に、間違いないと気付いてしまった。

 ――そう。保険医に湯井沢と呼ばれていた、あの女子生徒だと。


 思わず足を止めた敦司の反応は、同行者の好奇心を倍増させてしまったらしい。

 まとわりつくように根掘り葉掘り聞き出そうとする彼に、しかし言えることなどそうあるわけではなく、偶然見かけたことがあるだけだと当たり障りなく答えるので、精一杯だった。

 じきに通用門へ辿り着き、そこで他の標的を見つけたらしい彼から解放されて、敦司は心底ほっとした。教員の誘導に従って、明らかに警察関係だろう人たちがうろつくブルーシートを横目に、駆け足にならないよう気を付けながら校舎内へ入る。中庭ということは校舎上階からは丸見えということで、そちら側の窓際にへばりつく生徒を何人か見かけたが、そんなものさえどうでもよかった。


 そう――自分と湯井沢との関係も、どうでもいい。

 今、敦司にとって重要なのは、もっと別のことなのだから。


「…………あれだ。絶対、あれが……」


 衝撃と共に刻み込まれた確信が、知らずに口から零れ出す。幸い周囲の関心はすべて窓の外のことに向けられていて、不審がるような人間は誰もいない。


 なんの変哲もない進学校で、3日のうちに起こった、ふたつの事件。

 彼らを結び付けるものが血のような赤をしていることには、さすがの敦司も、気付かずにはいられなかった。





 〈自殺者〉の翌日にはほぼ通常通りの授業が行われていた舟西ふなにしでも、さすがにこの事態には、そのスタンスを改めざるをえなかったらしい。

 それでも4時限目の全校集会までは、形だけとはいえ予定通りの授業が行われたのだから、恐ろしいものだと敦司は思う。

 浮足立つ生徒たちを取り敢えずでもそれで治めようとする学校側も、実際それで、取り敢えず落ち着いてしまう生徒たちも。


 全校集会で壇上に立った校長は、遠目にも憔悴して見えた――当然だろう。昨日、飛び下りに関しての記者会見を行ったばかりだというのに、一夜明けて、またこれなのだから。


 同じ生徒の死でも、〈自殺〉と〈状況不明〉では、やはり集会での内容も異なるらしい。

 前者では最初に行われた黙祷を飛ばし、校長は、事件の概要から話し始めた。

 湯井沢明輝音は生徒会の会計係で、昨日は放課後、その作業のために残っていたこと。今のところ最後の目撃情報は、夕方6時頃、生徒会室でのものだということ。それから今朝の発見まで連絡が取れず、両親が警察に届け出ようとしていたこと。

 警察は、事故と事件の両面から捜査しているらしかった。なにか有力な情報があれば、教員でも警察でもすぐに報告するようにという校長の言葉に応じて、体育館脇に立っていた背広姿の男が頭を下げていた。どうやら刑事かなにからしい。

 マスコミへの対応に関しても、結構な時間が割かれた。軽はずみな言動は、自身だけでなく周囲をも、今だけでなく未来をも傷付けるものであること。取材に応じる際には、そのことを考えて慎重に行うようにということを、言葉を変えて何度も言い含められた。

 亡くなった湯井沢への黙祷は、「最後になりましたが」と付け足して行われた。

 それさえも、敦司などには、どことなく空虚なものに思えた。


 解散を言い渡された体育館は、一瞬にしてざわめきに包まれた。

 大きく伸びをした田所たどころが、深刻さの欠片もない顔で話しかけてくる。


「死んだ先輩には悪いけど、オレらにとっちゃーラッキーだな」


 大半の生徒は、田所と同じような感覚なのだろう。

 他殺かもしれないと言われたところで、白昼、警察や教員を含めた大勢の人間が近くにいる状況では、それほど危機感を覚えることはできない。

 だから、責めることなどできないのだけれど。


「ゲーセンかどっか行こーぜー、丹原」

「……いや。悪いけど、おれ、ちょっと行かなきゃいけないところあるから」

「へー? どこ?」


 特に興味がある風でもない田所には、首を横に振るだけで応える。


 これがどれほどの機密性を要することかはわからないし、どうでもいいと思う気持ちも一方ではある。

 けれど少なくとも、彼を引き込むことが得策だとは思えなかった。


 自分に収められるものなのなら、今すぐ、動き出さなくてはいけなかった。




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