第10話 告発


「おや丹原たんばらくん」

「いらっしゃーい」


 敦司あつしを迎えたのは、今日はたった2人だけだった。

 表情の読めない白山澪しらやまみおと、長い髪をツインハーフアップにした西条織江さいじょうおりえだ。

 どちらの顔にも、仮面はない。

 当然だろうそのことが、しかし思った以上に、敦司の心を落ち着かせた――それほどあれは、心臓に悪い光景だったのだ。


 勧められるまま室内のパイプ椅子に腰かけた敦司は、改めて部室を眺めてみた。

 広さは6畳あるかないか。ブロックがむき出しになった壁には、入って右側には窓、左側には吊黒板があり、そこには次の舞台用だろう、配役や目標のような言葉が書き込まれている。

 奥の壁際には木製の大きな衝立が置かれてあり、そこにはハンガーで、白衣や浴衣やメイド服やナース服や、どこのものとも知れないブレザーなどがかけられている。脇の棚には簡易製本の台本が並び、棚上のカゴには、見覚えのある仮面の数々が収められていた。殺人鬼のマスクに飛び散る血痕がやたらとリアルなことに気付き、少しだけ顔をしかめた。

 ど真ん中には2脚の長机が長辺を接して並べてあり、その周りに5脚置かれたパイプ椅子の、黒板の傍に澪が、日当たりのいい窓際に織江が座っている。敦司が腰を落ち着けたのは、入口に一番近い1脚だった。


「それで、なんのご用?」


 ふたつの尻尾を揺らして、織江が小首を傾げる。その顔に作られた下級生を安心させるような微笑みが、どうしても白々しく見えてしまう。


「……ちょっと、聞きたいことがあるんですけど」

「はあい?」

「なんなりと」


 人懐こい笑みと妙に気取った澄まし顔とを見返して、しかしそれを見続けることができなくなって、握り合せた自身の両手を見下ろしたまま。

 深く息を吸って、その疑惑を口にした。


「今日の……あの事件。先輩たちが、関わってるんじゃないですか?」

「…………。どういう意味?」


 それは澪の声だった。素なのか、あるいはなにかをごまかそうとしてなのか、そこから読み取れる感情は欠片もない。

 しかし顔を上げることもできず、ましてや引き下がるような真似もできない敦司は、俯いたまま早口でまくし立てた。


「先輩たち、あの湯井沢ゆいざわって先輩とつるんで、おれのことからかっていたじゃないですか。その前だって……あの鞘川さやかわとかいう先輩の時だって、あんな不謹慎な悪ふざけしていたし。おれだって別に先輩たちを疑いたいわけじゃないですけどでも――」

「はぁ? ちょ、ちょっと待ってよ」


 面食らったように制止をかけてきたのは織江。

 それに次いで問い返してきたのは、澪だった。


「丹原くんは、なんでそんなことを?」

「――なんで?」


 この人たちは、自分を馬鹿にしているのだろうか。

 あれだけの証拠を残しておきながら。


 胃の底から湧き上がるのが怒りなのか恐怖なのか、もはや自分でもわからなかった。ただその衝動のままに、溜め込んできたすべてを吐き出した。


「なんでもなにもないでしょう! あれだけあからさまなことして、気付かないはずないじゃないですか! 赤い紐も、白い和服の人も……あれだけやっておきながら、無関係だって言い張るつもりですか? 本当に――なんなんですかあれ! 殺害予告かなんかのつもりなんですか? 鞘川先輩の次は湯井沢先輩まで……不謹慎にもほどがあるでしょう! 本当に人が死んでるのに!」

「ちょっと、本当に待って、落ち着いてよ丹原くん! なんなのそれ、なんの話?」


 織江の困惑に険が交じってくる。それはまるで〈なにも知らない〉かのようで、余計に敦司の癪に障った。


「それも演技ですか? ほんと不愉快なんでやめてもらえませんか! だいたい、おれはなんの関係もないはずなのに――」

「はぁ? いい加減にしてよね、黙って聞いてれば――」

「――あー。あー、あー」


 割って入った気まずげな声に、織江と揃ってそちらを向く。

 当然、そこにいるのは澪以外になく、意外にも困ったような笑みを張り付けた彼女は、二人を落ち着けるように両手を上げて慎重に口を開いた。


「えー……と。それで丹原くんは、どうしてそういう結論に至ったと? ――落ち着いて。順を追って、説明してくれないかな。私たちを告発しようっていうのなら、それなりにきちんとした理由があると思って、こちらも聞かせてもらうから」

「こ、告発なんて……」


 あくまで理性的な言葉の選び方に、敦司は引き攣るように勢いを失い、そして感情に走ってしまった自分を恥じる気持ちが湧いてくる。

 それは織江も同じだったようで、不機嫌そうなしかめ面をほのかに赤く染めながら、努めて冷静に友人の援護に回った。


「そうね。まずはちゃんと話を聞いてみないとね。――あたしたちが関わってるっていうその論拠は、いったいなんなのかしら?」

「…………。論拠、というか……」


 今や敦司は、こんなところまで乗り込んでくる気になった自身の考えが、酷く短絡的で馬鹿げたものだとしか思えなくなっていた。

 とはいえそうだとしても彼女たちの前から退くことができないのは明白で、一気に重さを増した口を開かないわけにはいかなかった。


「……おれが見たことから、ってだけなんですけど……」


 敦司はぽつぽつと話しだす――鞘川荘司しょうじの飛び下り現場で見たもののこと。保健室で行きあった湯井沢明輝音あかねの、その身辺に起こっていたこと。赤い紐。白無垢の女。そのどちらの時も演劇部の人間がすぐ近くにいて、まるで敦司に、被害者たちとの接点を持たせようとする悪ふざけのようにしか思えなかったこと。

 並べるうちに、ふざけているのはこちらの方だと、自分でも思うようになってくる。それでも途中でやめることなく、敦司は最後まで言い切った。

 誰かに聞いてほしいという気持ちは、少なくとも、紛れもない本音だったのだ。


「…………」


 聞き終わった女子たちの表情は、一様に渋いものだった。

 すぐには口を開かない彼女たちに弁明するように、敦司は首を竦めて付け足す。


「すいません、なんか……なんていうか……こんなの、おれの夢かなんかですよね。気のせいっていうか、……すみません。なんかいろいろ見ちゃったから、混乱してるのかも」

「ああ……そうかもね」


 労わるような澪の相槌が、胃に痛い。笑い飛ばしてくれた方が、いくらか気が楽だった。

 もう一方の織江はと言えば、敦司の胃が更に痛くなるような顔をしていた。思わず頭を下げて謝罪を重ねようとするその寸前、彼女は、重々しくその口を開いた。


「ちょっと……もう一回聞きたいんだけど」

「は、はい」

「――『赤い紐が首に巻き付いてる』って、言ってたわよね?」

「え? ……はい」


 敦司が頷いた途端、織江がパイプ椅子から立ち上がる。


「ちょっと待ってて……っていや、一緒に来てもらった方がいいのか。敦司くん、時間、まだしばらく大丈夫?」

「だ、大丈夫ですけど」

「どうしたの? おりー」


 戸惑っているのは敦司一人ではないようだ。

 丸くした目で見返す澪に、織江は、真っ直ぐに手を伸ばした。


「澪ちゃんも、来てくれる? ――二人に、見てもらいたいものがあるの」




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