追悼夏

夕空心月

第1話

夏は死んでいく。

春夏秋冬の中で、唯一死んでいく季節。


多分、色彩があまりに鮮やかだからだ。

目映い光の粒や、息を呑むほど緑を輝かせる木々や、嫌になるくらい青く蒼く碧色に染まる空。はっとするほど赤いトマト、空を四角く切り取ったようなソーダバー、激しく穏やかに燃えて滲む夕暮れ。

終わるには鮮やかすぎて。あまりに美しすぎて。だから夏は死ぬしかないのだ。


夏は命が強く輝きすぎる。

生を感じれば感じるほど、死もまた強く感じざるを得ない。


夏の終わり、縁側でヒグラシの声を聴くと泣き出したくなるのも、息ができないくらいの懐かしさでおかしくなりそうになるのも、全部、夏が死んでいくからだ。


思い出すのはいつだって、

忘れたいことだけ、

忘れたくないことだけ。


自分だけは絶対に死なないと思い疑わず、瀕死の蝉を夢中で追いかけていた、無邪気で愚かだった幼い私。


白紙のままの自由研究の模造紙と、三日で途絶えたアサガオ観察日記とにらめっこしながら、おそらく何も考えず、スイカバーをかじっていた私。


「花火大会に行こう」、この一言がどうしても言えず、一夏の間、あの人の背中を眺めることしか出来なかった私。


初恋はカルピスの味なんかしないし初めてのキスはサイダーのように弾けやしない、誰かの手の中に収まる私の手はひどくか細げに見えて、幸せなのに泣きたくなってどうしようもなかった私。


白いワンピース、風に持っていかれた麦わら帽子、風に揺らめく向日葵。少女でなくなっていくことに恐怖を、何かが変わっていくことに絶望を感じていた私。


夏と共にみんな、死んでいくはずなのに。


夏が来る度に思い出す。それらは私を強く抱きしめてくる。苦しい。苦しい苦しい苦しい。私は身動き出来なくなる。けれど同時に、ひどく安心する。だから私は振りほどけない。あぁ、いっそこのまま私を連れていってくれと思う。あの夏へ。死んでいったあの夏へ、私も、どうか。


夕立の後、世界がすべて洗われた後の、神秘的な光で満ちる時間。

あの時間を繰り返す度に、夏は少しずつ死んでいく。


悪くなかっただろ、そう言い遺して、輝かしい残骸を残して。勝手に。私だけを置いて。


あぁ、苦しい。夏はいつだって苦しい。


だから私は追悼する。


あの夏のすべてを愛していた。愛していたんだ。


愛していたかったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

追悼夏 夕空心月 @m_o__o_n

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る