38 その男、検見川
高層ビルの最上階。そのラウンジのガラス越しに、綺羅びやかな夜景が広がっている。新舞浜から望む都会の夜景は、星空のように光り輝くLED達で彩られ、にわかに幻想的な世界を演出している。
その夜景を独り占めするように、ワインを掲げる女がいた。胸元が開いたヴァイオレットのドレスに身を包み、幼さが残る容姿の中に確かな色気を感じさせるその佇まい。耶霧は、誰にも邪魔されない特等席で、人が作り上げた奇跡を満喫していた。
そこへ、一人の男が近づいて行く。高級スーツを纏ったその男は、耶霧の横に並ぶと、手にしたワインに口をつけた。
「遅い。呼び出しておいて待たせるとは」
耶霧は男を横目で睨みつける。
「済まない。仕事がなかなか片付かなくてな」
そう言いながらも余裕を見せる男の態度に、耶霧は悪態をついた。
「まったく、帰ってしまおうかと思ったぞ」
「それは困る。それでは礼ができなくなってしまう」
「礼、か」
耶霧はワインを飲み干して言った。振り返れば、すぐ側のソファテーブルに、ゴージャズなディナーが並んでいる。酒から食べ物まで何までが高級品。先程まで、耶霧が頂いていたものだ。
「これでは、わっちが買収されておるみたいではないか」
耶霧は口を尖らせて言った。
「のう。――検見川よ」
検見川は眼鏡を直して言った。
「口に合わなかったか?」
「そういうことでは無い」
耶霧のいじけた態度に、検見川はキザっぽく口角を上げた。ウェイターが耶霧のグラスをそっと受け取り、別のワインを注いでいく。
「しかしお主も考えたのう」
ウェイターが十分に離れたのを見計らって、耶霧が言った。
「あやつの動きを制御するのに、わっちを使うとはの」
ワイングラスに注がれた液体を、耶霧はシャンデリアにかざしている。人が作り出した光のマジックが魅惑的であることは否定しようがない。見様見真似で検見川の方に向ければ、グラスがコンと軽やかな音を立てた。検見川は乾杯と言って口に含み、夜景を眺めながら言った。
「積もる異世界問題。国民から真の理解なくして、それを解決することは出来ない。世論を見方につける必要があった。そのためには、役者がいる」
「習志野と、そして葉介じゃな」
確かめるように言う耶霧を一瞥した検見川は、眉間に皺を寄せて、再び夜景の彼方を見つめながら語りだした
「情報は時として、誰が言ったかがそれ以上に問われる。誰が言うかで、その情報の価値が変わってしまう。魔法の存在は、異世界はおろか、この国のあり方をも変えてしまうほどのパワーワードだ。国民に理解させるには、あの二人が揃って表に出ることが必要だった。この世界で最も異世界と密接に関わっている、あの二人が」
日本にとって異世界への関わりは、舞浜周辺に帰結している。全国の工事現場にドワーフ族がいようと、所詮は他人事だ。それだけに、その信ぴょう性を証明できる立場からの発言は、影響力が大きい。習志野と塩見は、その条件を満たしていた。
「エーテルを正しくインプットする。そのためには、それ相応のインパクトが必要だった」
「――そしてその舞台に、ルレアの事件を選んだ」
目を見開く検見川に、試すような耶霧の視線が送られている。
「お主じゃろ。事件の情報を意図的に流したのは」
検見川は何も答えない。耶霧はするりとその肩を寄せて、同じように夜景を見つめて言った。
「手際の良いお主は、メディアに情報を流すと、その足でわっちのところに現れた。事件が明るみになれば、習志野は必ず葉介に接触してくる。そこにわっちの登場じゃ。教育によりエーテル暴発を阻止できると知れば、二人は行動を起こすと踏んだ。そしてその通りになった」
検見川はまいった、という表情で肩を竦めている。
「最初は半信半疑じゃったがの。なぜわっちが今更そんな助言をかしこまってしてやらねばならぬのかと。じゃが血相を変えてやってきた習志野を見て、これは何かあると思ったんじゃ。テレビを見て、ぴーんと来た。これは主が何か仕掛けたな、と。結果、葉介達はテレビに出て、声明を出した。それこそが、主の狙いじゃったんじゃな」
「さすが名探偵。ご明察、と言っておこうか」
鼻で笑うような態度に、耶霧は面白くなさそうにワインを口に含んだ。
「本千葉は、間抜けだ」
検見川は眼鏡を直し、手元のワインを見つめながら言った。
「あの男は自分の利益しか考えていない。未だに行政と密接な関係を持つあいつに、渦港の未来を決定する勇気なんて、ある理由がない。だが、今こそ渦港が先陣を切り、問題に取り組んでいく姿勢を見せなければ、この国の異世界事情は破綻する。そしてその先に待っているのは、戦争だ。あの男には、それがわからないんだ。なし崩し的にでも、あいつには言ってもらわなくてはならなかった。そのためには、手段を選んでいられなかった」
検見川の顔が屈辱で歪んでいる。そこには、相当な苦労があっただろうことは想像に難しくない。耶霧はその背中に触れ、優しく言った。
「でも、結果は実った。全ては、主の手のひらじゃった、という訳じゃ」
友好条約締結の一幕は、今なお話題になり続けている一大事件だった。あの日から、異世界に取り組む日本の情勢は変わり、国政の主幹へと推移している。国民の関心は依然として高く、連日繰り返されるメディアによってその理解も浸透していた。中でも、ミル・クレ・イープのメディア露出が与えたインパクトは相当に大きく、エルフを始めとした異世界人種への理解は急速に加速し、羨望すらも獲得している。日本を代表するファッション誌の表紙に猫人族の女性が起用されることが決定したというニュースは記憶に新しい。異世界ブームとも言える旋風が再び日本に巻き起こっているのは、それだけ国民が情報を求めていた、潜在ニーズの顕在化とも言えるだろう。その発端は、あの日の習志野、塩見、ミルが作りだしたことだった。
「じゃが、主も人が悪いのう」
耶霧はすっと距離をとり、不満げに検見川を睨みつけた。
「そうならそうと、始めから全てを明かしておってくれたら良かったものを。色々勘ぐってしまったではないか」
「ほう、例えばどんな?」
「主が、葉介をはめようとしておる、とか」
その言葉に、目を見開いた検見川は、次の瞬間に盛大に吹き出した。この男が笑う姿は珍しい。
「それはない。あいつは役に立つ男だ。そしてもちろん、お前も」
検見川の手がそっと耶霧の腰に伸びる。抱き寄せられた耶霧は、その胸に頬を寄せ、そして、言った。
「こうして主とほくそ笑むのも、悪くないんじゃがのう」
耶霧はそう言うと両手を押し出し、距離を取って、通る声で言った。
「こういうことじゃ。聞きたいことは聞けたかのう。蘇我よ」
その言葉に検見川が振り向けば、そこにはいつの間にか蘇我の姿があった。高級スーツに身を包んだ蘇我は、壁の隅によりかかり、頭を掻いている。
「いったいいつまでメロドラマに付き合わされるのかと」
蘇我は二人の会話を最初から聴いていた。客として店の雰囲気にうまく溶け込んでいたのだ。検見川はその才能に戦慄した。幕張が推薦するだけのことはある。
「まぁそういうでない。わっちもそういう大人の雰囲気とやらを味わってみたかったんじゃ」
まるで子供のように笑う耶霧に、蘇我はやれやれといった様子だ。
「相変わらず、日本の文化にご執心のようで」
「主の異世界好きほどではないがの」
そういうと耶霧はぐっと伸びをして、
「そういう訳で、あとは二人でやってくりゃれ」
と言って、後手で手を振りながら歩いていった。その後姿を驚愕の表情で見つめる検見川に、蘇我は両手を開いて肩を竦めた。
「ま、そういうことっすよ」
蘇我はポケットに手を突っ込んだまま検見川の横に並んだ。
「ずっと気になってたんすよ」
蘇我は言った。「どうして情報が漏れたのか。それ自体は、さほど問題じゃない。問題なのは、その情報の質っす。まるで事件の全容を知っているかのような正確さだった。そうなると、偶然あの現場に居合わせたホテル利用客にはなし得ない。ありえるなら、あの日、渦港の特別室にいた誰か。塩見さんはまぁないとすると、残りは幕張さんと、耶霧さん、そして検見川さん、あんたっすよ」
「それで耶霧に接触したのか」と検見川。
「最初は幕張さんに聴いたんですけどねぇ。鋭すぎるのも考えものだぞ、と言われて、これは何かあると。調べたら、色々出てきましたけどね」
そして蘇我は胸ポケットから折りたたまれたチラシを取り出し、検見川に突きつけた。
「これ、知ってますよね」
それはミルが日本に持ち込んだ、異世界で配られていたチラシだった。
「請求書が舞浜渦港。おかしいと思って業者に確認したら、あんたの名前が出てきた。説明してくれますかね」
蘇我の緊張感の無い視線が、検見川を追求する。沈黙の後、検見川は諦めたように、言った。
「そいつは、本千葉が俺にやらせたものだ」
検見川は語り始めた。「習志野が取り組み始めた混血児の援助は、一見するとこの国の少子化問題に抜群にフィットする。母体すらも増やすことができるんだからな。そう考えた国のお偉いさんが、支援をしろと本千葉に声をかけたんだよ。癒着魂の強い本千葉は当然それを引き受けた。でも連中はエーテルの問題は知らない」
蘇我は納得したように口を曲げて、片手で起用にプリントと畳んで胸ポケットへ突っ込んだ。そして、興味がなさそうに言った。
「それで、さっきの話に繋がるんすね。異世界のことがわからんお馬鹿さん達に、現実を突きつけるために」
蘇我は続けた。「どうしてあんたからの相談で俺が出ることになったのか。幕張さんは、あんたの作戦に乗ったんだ。陰謀を匂わせ、調査の必要を演出し、習志野と塩見さんを接触させるきっかけを作った。そのために、異世界好きの俺はちょうど良かった」
まったく参りましたよ。蘇我はそう言って、ネクタイを緩めた。
「俺をどうするつもりだ」
検見川が低い声で言う。それに対し蘇我は、
「別にどーもしませんよ」
とぶっきらぼうに言った。
「違法性はどこにもありませんしね。ただまぁ、塩見さんがそれに気づいているのかどうか、気になるところではありますが」
「あいつは」検見川は夜景を見下ろして言った。「気づいていないさ」
その横顔を蘇我はしばらく見つめていた。含みのある表情に、しかし何かを詮索するのは止めて、言った。
「黙ってる代わりと言っちゃあなんですが」
蘇我はそう言ってジャケットのポケットから封筒を取り出した。検見川が中を取り出してみれば、請求書の束が入っていた。請求元は、ニュー・アンダー・リゾート。
「約束どおり、そいつを頼みますよ。少々、水増しされているかもしれませんが」
日付にはごく最近のものもあった。それも高い。複数人で飲みに行ったのだろう。文句を言う気にもなれなかった。
「それとね、検見川さん」
すでに歩き始めていた蘇我が、何かを思い出すように振り向いた。
「さっき、色々出てきたって言いましたけどね。個人情報なんで言うか迷ってたんですが、この際なんで」
「なんだ」
検見川が促すと、蘇我は色のない瞳で言った。
「検見川さん、高校生の時に両親が離婚されていますね。仲の良い兄妹だったみたいですが、別々に親に引き取られることになった。今の名前は母親の旧姓、離婚前の性は新町。これは偶然っすかねぇ」
試すようなその言葉に、検見川は眼鏡を直して言った。
「お前には関係のない話だ」
検見川の意思を確認すると、もはや完全に興味をなくしたかのように、蘇我は去っていった。
「気づいていないさ」
検見川はこぼした。振り返れば、目前には夜景が広がっている。検見川が守りたかった、日本の夜景が、そこには変わらずにあった。
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