37 お別れ
数日後。
門が開かれている。鋼鉄の扉の向こうには、まばゆい光を放つ渦がある。その目前に、塩見と京子、そしてミルがいた。
「忘れ物はないか」
感慨深く渦を見つめるミルの背中に、塩見は声をかけた。大きな荷物を前に抱えたミルは、ゆっくりと首を振った。
「まぁあったとしても、いつでも取りにくればいい」
塩見は頭を掻きながら言った。しおらしい雰囲気は苦手とするところだ。
「そう、ですね」
ミルは名残惜しそうにこちらを振り向いた。顔を見上げれば、ハンカチを噛み締めている京子がいる。
「また、遊びに来てね。絶対だよ」
京子は早くも顔をぐしゃぐしゃにしている。あまりにも酷い泣き顔に、隣の塩見は少し引いている。
「そんなお前、今生の別れじゃないんだから」
「だってぇー」
京子の涙につられて、ミルの目尻で何かが輝いた。それをそっと指先で拭うと、寂しそうに笑った。
「京子さんこそ、遊びに来てくださいね。いつでも、歓迎しますから」
「うん、うん! 絶対行く!」
そう言って二人は抱き合っている。塩見はもう一度頭を掻きむしった。
「塩見さん」
京子の頭を胸元に抱いたミルが、塩見を見つめて言った。
「この度は本当にありがとうございました。塩見さんがいなかったら、私は」
言葉に詰まるミルに、塩見は鼻を鳴らした。
「その話はもう良いって。こっちも助かったんだ。なるべきようになった、それだけだ。そう思わないと、やりにくいだろ」
気恥ずかしさのあまりポケットに手を突っ込んで肩をすくめる塩見に、ミルの純粋な笑顔が向けられる。
「そうでしたね。私も、お二人とは友達でいたいですし」
その言葉に、まるで水泳で息継ぎをするかのように顔を上げた京子が、「ミルー!」と言って再びその胸に顔を
「お前はいい加減にしろよ」
その京子の襟元を掴み、猫を引き剥がすようにして引っ張った。ミルはそれを見て、笑っているのか泣いているのかわからない。
「私、いきますね」
ミルは踵を返し、渦の直前まで歩いていった。光の粒が、ミルの輪郭を滲ませていく。
「元気でね!」
京子が叫んだ。ミルは最後に振り返り、手を振った。そしてその輪郭は、光の渦に巻き込まれて、やがて見えなくなった。
「……行っちゃいましたね」
「……そうだな」
二人は渦を前に立ち尽くしていた。しばらく、ただただその光の渦を眺めて、想いを巡らせていた。
「……行かなくてよかったんですか」
京子が言った。
「なんでだよ」
「だって」
向こう側の世界には、塩見のフィアンセがいる。本当は会いに行きたいのではないか。本当は異世界で彼女と共に暮らしたいのではないか。彼女を救う手立てがあるなら、それを探し求めたいのではないか。ここ数日激務に追われる中で、ふと塩見は思いつめたような表情を見せていた。塩見が向こうの世界に行ってしまう日が来るのではないかと、ずっとそんなことを考えていたのだった。
「昔のことさ」
塩見は渦を眺めて言った。
「人間だった頃のあいつは、もういない。あいつは向こうの自然の一部として、今日も穏やかに生きている。それがわかるだけでも、十分だ。それに、だ」
塩見は何かをごまかすように京子の尻に強烈な平手打ちをした。スパーン、と心地の良い音が響き渡る。
「いっつ!」
京子が睨み返すと、憎たらしい笑顔がそこにあった。セクハラだ! と噛み付いてやろうかと思った直後、その頭に塩見の手のひらがぽんと乗った。
ゆでダコのように赤面する京子に、塩見は優しく言った。
「俺たちにはまだやることがあるだろう?」
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