36 友好の日
検見川達を取り囲む取材陣は、落ち着きを取り戻していた。輪から少し離れてスタジオにコメントを返す者も見え、質問の内容も質を取り戻し、建設的なものが増えていた。冷や汗を垂らしていた本千葉も、官僚としての威厳を取り戻し、頼もしいコメントを放っている。
そんな時だ。一人の男性記者が言った。
「エーテルは教育によって抑制できるとのことですが、異世界人が魔法を行使しないという保証はありますか」
その一言によって、取材陣の雰囲気はガラっと変わってしまった。
「それは……」
そして迂闊なことに、本千葉は言葉を詰まらせてしまった。そのスキを取材陣が見逃すはずはない。再び大量のマイクが本千葉と検見川に向けられ、詰問が開始された。
「彼らはそのようなことはしないと、私は信じております」
この本千葉の一言が、取材陣に火を放った。
「個人の感想ですか!」
「何を根拠におっしゃっていますか!」
「仮に魔法が行使された場合、どのような被害が想定されますか!」
形成され始めていた取材の秩序は、一瞬のうちに崩壊する。本千葉は言葉を発する余裕が無いほど、もみくちゃにされている。
異世界人のエーテル問題は理解が得られた。しかし魔法を行使しないという保証はどこにも無い。魔法に変換されないエーテルの影響が人を樹木化させるなら、魔法そのものの影響はそれ以上なのではないか。当然の疑問だった。魔法という科学で証明できない驚異は、不穏感情を爆発させるには十分な威力があった。
このままではまずい。検見川は本千葉と取材陣に割って入るようにして、言った。
「彼らの文化として、争いごとに魔法を用いることはありません」
検見川の説明は、すぐに記者の言葉によってかき消された。
「その根拠はなんですか!」
それを皮切りに、次々と悲鳴のような質問が浴びせられた。「それは何年間の実績か」「史実として事実と証明できるか」「彼らの文化を熟知していると何故言い切れる」「実際にエーテルという未知の文化があるのに」云々。旗色は最悪だ。
検見川達は日本国内において最も異世界人の文化を知る人物だ。しかし、そこに科学的根拠は無い。検見川達の言っていることはすべて経験則であり、研究分野における発表でもなければ、国会で名言されていることでもなんでもない。「魔法の驚異を経験則で除外するのか」。その指摘を覆せるものを、検見川達は持っていなかった。
「異世界人が魔法を使わないと、名言していただけますか!」
不安感情が極限に達した女性記者が、叫ぶようにしていった。まるで糾弾されているかのように、次々と「そうだ!」と声が上がった。
だめか。
検見川がそう思った瞬間だった。
「それはわたくしがお約束いたします」
透き通る声だった。
威厳すら感じた。
この騒ぎの中、その言葉は誰しもの耳にも届いた。取材陣は一斉に振り返った。そしてその姿に、言葉を失った。
そこにいたのは、美しいエルフだった。白銀の髪をなびかせ、エルフの装束をまとった、女神のような存在がそこにはあった。放たれるオーラが、何も知らない群衆すら掌握する。その女は、ゆっくりと検見川のもとへと歩み寄る。その進路上にいる取材陣は、無意識のうちに道を空けている。そして女は言った。
「我々異世界人は、日本国内において魔法を行使することはありません。それを名言いたします」
検見川の横に並んだ女は、群衆に言い聞かせるように、そう言った。
誰だ。
そんな声が密やかに取材陣の間で交わされているところに、「失礼」と塩見と習志野が割って入った。
「この御方のお立場は私が説明します」
塩見はそう言って、背筋を伸ばし、威厳を持って言い放った。
「この御方はミル・クレ・イープ様。異世界はレメニア国を統治するエルフの皇族にして、次期当主となられる皇女様であられる」
塩見が放った言葉によって、現場は一瞬、時が止まったように静寂した。そして次の瞬間、歓喜に包まれた。
「皇女様!?」「エルフの皇族だって!?」「きれい! お姫様みたい!」
突然ミーハー化した取材陣達は、まるでハリウッドスターにでも遭遇したファンのように叫び、次々とフラッシュを焚いた。エルフ族の伝統的な装束に身を纏ったミルの放つオーラは確かに本物のそれであり、塩見ですら目を見張るその効果は絶大だ。塩見はお付きの人のように振る舞い、それに拍車をかけている。
「無礼者! 皇女様にフラッシュを向けるでない! お体に触ったらどうする!」
と、習志野もノリノリである。
「良いのですよ。習志野様」
ミルは穏やかにそう言って、習志野に向き合った。習志野は最上の敬意として、
「お顔をお上げください」
ミルがそっと手を出すと、習志野はかしこまったようにそれを取り、立ち上がる。まるで荘厳な儀式のように完璧な振る舞いに、取材陣も息を呑む。
「習志野様。よくご決断してくださいました。我らエルフの血族を代表して、心より御礼申し上げます」
そう言ってミルは装束の端をつまみ、緩やかに腰を落とした。それに合わせて習志野は胸に手をあて、「勿体なきお言葉」と言って深く頭を下げた。それを温かい表情で見届けたミルは、ゆっくりと取材陣の方を向き、語り初めた。
「レメニアと日本の国交が始まってから早数年。私共エルフ族の流出は進み、帰らぬ者も出ておりました。私はその調査の為、日本国に滞在しておりました。その中で、日本人との子を身籠り、自分の意思で残り続けている者たちがいることを知りました。それは私どもエルフ族だけに留まらないことも」
ミルは続けた。「一方で、そういった者達は十分な子育ての環境が得られていないということも知りました。この問題を、どうしたらいいか。彼らを無理にでも連れ戻すべきか。場合によっては争いも致し方ない。そう考えたこともありました」
その言葉に、緊張が走った。異世界と日本国の争い。その戦争の図式を誰もが思い浮かべ、戦慄した。
「ですが」
ミルは再び習志野に向き合い、その手を取った。
「ここに、その保証をしてくださると名乗り出てくれた御仁がいました。文化を超え、世界を超えた二つの血を持つ新しい命を、守ってくださると。そしてそれに、賛同してくださる方々がいる。私はそのことに、感謝をしたいのです」
ミルは確かめるように、塩見の方を見た。塩見がそっとうなずくと、ミルは満ち足りた表情で瞳を閉じた。ミルはゆっくりと瞳を開け、群衆に振り向くと、力強く言った。
「私は宣言いたします。レメリアに属する全ての国民は日本国に対し敬意を払い、魔法を行使しないことを誓います。そして双国のさらなる発展のため、国交友好条約の締結を進言いたします」
ミルの宣言は、晴天の舞浜国際渦港に響き渡った。
そして群衆は歓喜に包まれた。
「大変です! たった今、異世界側から友好条約の締結が示されました! これは異世界国交上初めてのことです!」
「異世界側から魔法を使用しないことが名言されました! 国民の皆様、安全はたった今約束されました!」
いたるところでリポーター達が喜びに湧いていた。そこにいた人々はまるで戦友だったかのように抱き合っていた。誰も彼もが関係ない、いつの間にか肩を取り合い、円陣が組まれたかと思えば、その中心にいた習志野が胴上げされていた。
塩見はもみくちゃにされながら、その中を出た。衣服を整えながら顔を上げれば、ロータリーに停められた車に寄りかかっている葛西が、親指を立てていた。会見の存在をテレビで知った葛西は、急ぎ車でミルを連れてきたのだ。葛西の機転に救われた形だ。
この日、異世界国交上初めての調印式が行われた。そのテレビ中継の視聴率は、驚異の八十パーセント。長年、日本人にとって顔の見えない相手だった異世界。その異世界が、日本側の文化に習って友好条約を結んだ。この出来事は、日本国民の不安を払拭するのに十分なものだった。
「友好の日」。異世界と日本の、新たな歴史が刻まれた今日。後にこの日は、そう呼ばれる。
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