34 決断

 塩見達は職員通路を進んでいた。先頭に塩見、その横に京子、そして耶霧と習志野だ。

「良いんですか、本当に」

 塩見の顔を見上げた京子が、不安そうに言う。

「そんな大事なこと、勝手に決めてしまって」

「構わないさ」

 ネクタイを締め直した塩見の顔は、いつになく清々しく、頼もしい。迷いを捨てた者の顔だ。

「あとで怒られるかもしれないけどな。それはそれだ」

「それはそれって」

 京子は不安だった。塩見達がやろうとしていることは、大変に素晴らしいことだと思う。賛同できるだけに、果たして手段としてそれが正しいのかには疑問があった。何より、塩見が怒られるということは、最悪、処分が下される可能性があるということだ。そうしたら、もう一緒には働けなくなってしまう。京子はそれが嫌だった。

「自分の良心に嘘をつき続けることは、もうしたくない。それが今の俺の価値観だ。もう迷わない」

 しかしこの男は、今更どう言ったところで、少しもなびきそうにない。こちらとて、諦めるしかないのだ。その表情を見れば、そう思わされてしまう。

「まったく」

 京子は大げさにため息をついた。

「すまないな。巻き込んでしまって」

「いいですよ。別に。それに」

 京子は胸をピンと張って、片手の拳をかざして言った。

「私は塩見さんの価値観を否定しません。とことん、付き合いますよ」

 京子が口角を上げると、塩見は笑い、その拳に自身の拳をぶつけた。その様子に、後ろを歩いていた習志野が、静かに笑っていた。

「いや、失敬。己が若かりし頃を思い出しましてな。情熱というのはなにかということを、思い出しましたよ」

 それに合わせて、耶霧までが振り袖で口元を抑えている。塩見と京子はあっという間にゆでダコのようになった。

「今の会社に居心地が悪くなるようでしたら、ぜひ私にお声がけください。塩見様ほどの人材ということであれば、喉から手が出るほど欲しいですからね」

「良かったのう、葉介や。これで食い扶持ぶちには困らんのう」

 その言葉に京子が振り向いて頬を膨らませた。耶霧はおかしくてたまらないらしく、再び振り袖で口元を抑えた。

「これで失うものもなくなった、ということだな」

 目の前には、ドアがある。この鋼鉄の扉の向こう側は、舞浜国際渦港のフロア。そこにはおそらく、会見だけでは納得の出来ない取材陣が、待ち受けているだろう。習志野新がここに訪れていることはすでに報道されている。異世界人を雇用する立場として、説明が求められるはずだ。

「もう一度確認しますが」

 塩見は振り向いて、習志野に向き合った。

「よろしいんですね」塩見の問に対し、

「もちろんです」習志野は即答した。

 二人の覚悟の視線が交錯する。二人は無言のまま、力強く握手した。

「では、段取り通りに」

 京子は後手で扉を空けた。差し込む光量に一瞬目が眩む。習志野は深呼吸してから、その光の中へと歩いていく。その後ろを、拳を握りしめた塩見が歩いていった。

「塩見さん」

 しまりかける扉の向こう、押し寄せる報道陣の波が見えた。

「頑張って」

 その声は本人には聞こえなかっただろう。京子は両手を胸の前で組み、祈った。その背中へ、耶霧の手が回される。

「信じるのも、女の努めじゃ」

 京子は耶霧の胸に飛び込んだ。耶霧は赤子をなだめるようにその頭をなでた。

「気張れ。葉介」

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