33 活路

「なんということだ。なんということなんだ」

 習志野は両目を覆い、天を仰いだ。

「私の孫は、異世界混血児なんです」

 その声は震えている。吸気には鼻水がまじり、頬からは涙が滴り落ちている。習志野は懺悔するかのように、その無念を語り始めた。

「老いた私は、店の実運営を息子に引き継ぎました。経営は完全に軌道に乗り安定していたとはいえ、あれだけの規模です。息子も苦しんだのでしょう。そんなとき、良き相談相手となってくれたのが、猫人族の女性でした。二人が一緒になるのも時間の問題と思っていましたし、その日が来るのを私は心待ちにしていました。妊娠の報告を受けたときは、孫ができる喜びをやっと知ることができるのだと、感動すらしていたのです」

 京子は語り続ける習志野の頬に、ハンカチをあてた。習志野はそれを受け取って、涙を拭ってから、続けた。

「しかし生まれてきた子供は、嫁の血筋を色濃く受け継いでいました。猫耳に、尻尾。私は悟りました。この子は、孤独になってしまうと。日本は単一民族国家。根強い差別意識を持った一族です。ハーフでさえ、浮いてしまう。その風土に、この子が受け入れられるとは、到底思えなかったのです」

 その言葉に、塩見は思わず眉間に皺を寄せた。

「私は考えました。珍しいから、差別されるのだと。みんなと違うから差別されるのだと。ならば」

 習志野は軋きし《きし》むほど拳を強く握りしめた。心の悲鳴を、代弁するかのように。

だ、と。普通なら、何も差別される要素はなくなる」

 習志野の独白は続いた。「私は画策しました。異世界混血児を一箇所に集められないかと。調べれば、やはり全国に同じようなケースがありました。私は行政に根回し、新木場をその舞台とすべく施策を提案しました。金を出すと言ったら、素直に応じましたよ。対応に苦慮していたケースもあったようでね、金ももらえるならと思って、全く、行政はいつまでも腐っていましたよ」

 習志野は自傷するように笑った。

「それから私は躍起になって、異世界混血児や妊娠予定者を新木場に集めました。みるみるその数は増えていきましたよ。私は嬉しくなりました。異世界混血児がたくさん集まっている。これなら、孫は珍しい存在ではなくなる。堂々と生きて行ける」

 習志野新は、そこに異世界混血児の楽園を作ろうとしたのだ。

「だが今度は、保育園が見つからなかった。幼稚園もです。想像はできましたが、この世界に、異世界児童を引き受けてくれる施設は存在しなかった。私にとって彼らはあたりまえのパートナー達でしたが、この世界ではそうではなかった」

 習志野は急に顔を上げ、歌い上げるように言った。

「だったら作ってしまえばいい。保育園併設の小学校を」

 京子は新木場で働くドワーフ達を思い出していた。彼らが作っていたものは、保育園併設の小学校。あれは、習志野の意思によるものだったのか、と。

「しかしそれも無意味だった」

 習志野は両手でその顔を覆った。

「エーテル。そんなものがあるなら、彼らとの共存は不可能だ。人を死に至らしめる存在を、私は保護しようとしていたのだから。私は未来の人殺しを囲っていたのだから」

 こんな不幸なことがあるものか。習志野の無念の言葉が部屋に響き渡った。

 習志野新も、一人の人間だった。家族のために自分ができることを考え、孫の将来を憂い、資金を投入し、教育機関を作ろうとした。その想いを誰が否定できようか。

 部屋は沈黙した。野望が打ち砕かれた男を前にして、誰もが言葉を持たなかった。彼らにとって異世界人は他人事ではない。日々当たり前に触れ、その存在に関わってきたのだ。それが根底から揺るがされるようなことが、世間では起きているのだから。

 しかしそんな空気を打ち破ったのは、意外にも、耶霧じゃむだった。

「何を絶望しておるのか、全くわからぬのじゃが」

 あまりにもあっけらかんと放たれたその言葉に、別の沈黙が訪れた。一体何を言っているのか、その意味を理解できた者は少なかった。

「耶霧、お前」

 最初に、塩見が怪訝な目を向けた。続いて、京子が悲しみの目を、そして最後に習志野が怒りの目を向けている。

「この異世界人が……!」

 そして習志野は激を飛ばした。

「貴様らは良いだろうな。被害がないのだから。私利私欲のために日本を利用し続けているのだから!」

 感情から身を乗り出した習志野が、膝から崩れそうになるのを、京子が支える。大丈夫ですか、の問に、済まないね、と、しかし余裕がなさそうに答えている。

 そんな習志野を見下ろすように、耶霧は言った。

「私利私欲、とは随分じゃの。お主らこそ、我らにお主らのルールを強いておるじゃろ」

「おい耶霧! やめろ!」

 塩見の静止に、しかし耶霧は止めない。さも当然かのように、口弁を垂れる。

「我らの世界から一体何人の働き手を担っておる。お主らは彼らを金などという、あちら世界ではなんの役にも立たぬ対価で使っておるじゃろうが。対して、お主らは我らの世界にいったい何をしてくれたと言うのじゃ。技術か、秩序か、人材か。そのいずれももたらしてはおらんじゃろう。あったところで、わっちらの世界にはどうでもいいこと。御免被りたいことばかりじゃけどのう」

 両手を広げて肩を竦めた耶霧に、塩見が飛びかかった。胸ぐらを掴み、壁際に押しこむ。二人の視線が交錯する。

「お前。何を言っているのかわかっているのか」

「塩見さん!」京子が叫ぶ。「辞めてください! 今は争っている場合じゃありません!」

 塩見の手は怒りに震えていた。耶霧はそれを色の無い表情で見ている。

「わかっておるよ。あくまでそういう見方もある、という話じゃ」

「それを今言うべきじゃないことくらい、わからないのか」

 その言葉に、耶霧は心底落胆したように、深い溜息をついた。

「まったく、どいつもこいつもアツくなりおって。こんな簡単なことがわからんとは」

「なに?」

 固まる塩見に、叱りつける母親のような目で睨みつけた耶霧は、「はよ離さんか。肩が凝る」と言って、その手を払い除けさせた。はだけた胸元を直し、煙管きせるを取り出して一呼吸。皆が耶霧の次の言葉を待っていた。

「育てればよいんじゃよ」

 煙とともに吐き出された言葉が、部屋に小さく響いた。

「教えればよい。その子らにな。彼らがエーテルで人間を傷つける前に、そのコントロールの術を叩き込めばよいのじゃ。さすれば、樹木化させることもあるまいよ」

 塩見は目を見開いた。

「ちょっとまってくれ、耶霧」

 塩見は思考を整理するように、頭を掻きむしってから、眉間に指を押し込んだ。そして、耶霧を見つめて言った。

「本当にそんなことが可能なのか」

「うむ」平然と返答する耶霧。

「子供はエーテルがコントロールできないんじゃなかったのか」

「普通の子らは、の」

 耶霧は煙管を吸い、その煙を塩見の顔に吐き出した。

「彼らがエーテルをコントロール出来ないのは、誰も教えないからじゃ。歳を重ねれば扱えるようになるものを、早いうちから教え込む理由が、ないのじゃよ」

 そして半眼して言った。

「考えてみよ。ここに来る者たちは皆、エーテルを抑え込むことが出来ておる。あっちではそこまでは求められぬ。にも関わらずなぜそれができるのか。それは特段、難しいことではないからじゃ。ミルなんて、二日とかかっておらぬぞ」

 塩見はなにかを振り払うように首を大きく左右にふり、そして耶霧を見つめた。

「じゃ、じゃあ、ルレアの件はどうなんだ」

「あれは、危機感の問題じゃよ」

 煙管をくるくると回し、空中に絵を書くようにして耶霧が言う。

「所詮、魔法を扱う上でのエーテルが得意、という次元の話じゃ。生活の中で自然とみにつけて、やってみたら出来た、みたいな、そんな次元じゃよ。それが彼女の場合は少しだけ早かった、というだけじゃ。危機感を持って幼子のうちから教育すれば、仮に同じ状況に置かれたとしても、暴走はせんじゃろう」

 それが本人にとって良いことかはしれぬが、と耶霧は付け足した。

「ということは……」

 習志野の瞳に、徐々に光が戻っていく。

「そうじゃ」

 その瞳に、耶霧の慈愛の表情が向けられる。

「学校でエーテルを学ばせれば良い。さすれば、彼らは人殺しにはならぬ」

 まるで神からのお告げのように、それはもたらせれた。

「わっちも協力してやろう」

「習志野さん!」

 希望に満ちた表情で、習志野と京子は向き合っていた。習志野の瞳から、とうに枯れたはずの涙が再び溢れていた。

「良かったですね。良かったですね……!」

「ああ。ああ。そうだ。本当に良かった」

 二人はまるで親子のようにその肩を抱き合っている。気がつけば、京子の瞳からも、光り輝くものが頬を伝っている。

「習志野さん」

 その背中に、塩見の手が置かれた。ひざまずき、その手を差し伸べている。

「作りましょう。世界初の、異世界混血児のための学校を」

 その手を、習志野は無意識のうちに強く握っていた。

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