23 光の渦

 舞浜国際渦港の海上ロータリーに接する本棟の壁には、鋼鉄の扉がある。大型トラックが通過できるほどの規模であるこの扉が開かれたことは、過去にあまりない。この扉を抜けると、鋼鉄製のブリッジが現れる。それは下り坂のまま長い距離を進み、渦が設けられた空間まで到達する。

 これは、かつて異世界との物流が行われることを想定して作られた、重車両用のスロープだった。結局、物質交換の安全性が議論され続け、本来の目的を果たさぬまま、十数年という時を迎えている。

 そしてそれは今、開かれようとしていた。可動部が悲鳴のような音を鳴り響かせながら、戸がゆっくりと開いていく。その前には、自衛隊仕様のジープが一台停まっている。

「お待たせしました」

 車の扉を開けて、よじ登るようにして京子が入ってきた。運転席にはすでに塩見がおり、座席の位置などを調節していた。京子は息を整える間もなく、急ぎシートベルトを着用する。

「持ってきたか、ちゃんと」

 塩見の問いに京子は「はい」と返事した後、サイドバッグから取り出したそれを自慢げにかざした。

「やっとできました!」

 それは一枚のカードと用紙のセットだった。カードには京子の顔写真が写され、表面は最新のテクスチャー迷彩処理が施されている。異世界渡航資格者証。通称、異渡航証。たった今発行されたばかりの出来立てホヤホヤだ。

「よし。なくすなよ」

 塩見はそう言って、エンジンキーを回した。重厚なエンジン駆動音が鳴り響き、尻の直下から突き上げるように細動が伝わってくる。

 車両の後ろには、大きめの木製箱が置かれている。中身は樹木化した男。細心の注意を払って敷物を詰め、横に倒した状態で格納されている。これなら、道中の破損は防げるだろう。準備は万端だ。

「忘れ物はないか」

 塩見が確認すると、京子から「ありません」と元気に返事があった。

「それにしても」塩見は京子の身なりを凝視して言う。「似合うな、それ」

「あ、そうですかね」そう言って自分の胸に視線を落とす。

「塩見さんは全く似合っていませんね」

「そりゃどうも」

 二人は自衛隊備品である簡易ジップアップジャケットに身を包んでいた。異世界での作業のために借りたものだ。これならば衣服のダメージなどを気にせず、現地で活動できる。手配してくれたのは、検見川だった。

 その検見川が、門の横で立っていた。ポケットに手を突っ込み、神妙な面持ちでこちらを見つめている。塩見はウィンドウを開けて、手を上げた。

「色々ありがとうございます」

 塩見の礼に対し、検見川は首を傾けて親指を立てた。早く行け、ということだろう。塩見はレバーブレーキを解除し、車をゆっくりと進めていく。すでに扉は開ききっている。あとはエンジンブレーキを利かせながら、スロープを降りていくだけだ。

「塩見」

 すれ違い様に、検見川が言った。

「すぐに帰ってこい。余計なことはするなよ」

「わかっています」

「くれぐれも、気をつけろ」

 最後の一言は、ほとんど睨みつけるようなものだった。すでに検見川の姿は車体の後方にある。塩見は小さく、「ありがとうございます」と言った。

 車体はゆっくりとスロープを下っていく。頑丈そうな鋼鉄の支柱に対し、それ以外は不安になるほどの簡素なつくりだった。車両が通行する面は鋼鉄のメッシュと骨組みで構成されており、その向こう側の海面が見える。側面は貧弱なガードレールもどきが所々に置かれているだけで、ハンドル操作を誤れば、そのまま海へと転落してしまいそうだった。

「怖いか」

 助手席でガチガチになっている京子が見えた。不自然に背筋が伸びており、引きつっている。

「いえ、絶叫系は得意です」真正面を見たまま答える京子。

「俺の運転はアトラクションかよ」

「緊張しているんです」

 京子が拳の握りしめて言う。

「あの憧れだった異世界に、ついに行けるんだ。そう思ったら、もう身震いしてしまって」

 京子の瞳は輝いている。嘘でないことはよくわかる。

「憧れ、か」

 塩見は視線を正面に戻した。渦港中心部まではまだある。

「俺は行かなくて済むなら、行きたくはないな」

 呟くようなその言葉に、京子は思わず塩見を見た。

「なんでですか」

 その問に、塩見はしばらく沈黙したのち、意を決したように言った。

「たくさん行っているからな」

 塩見は続けた。「あちら側の体制を作る時もそうだし、俺が現地に赴く時は、やっぱり仕事なんだよ。俺が望んで向こう側に行ったことなんて、一度もない」

「でも」京子が言った。

「塩見さん、異世界語、とても上手ですよね。それに異世界のこととなると、無我夢中というか。てっきり、異世界のことが好きなのかと思っていました」

「それは完全な勘違いだな」

 塩見は嫌悪感を露にして言った。

「俺は、あの世界を今でも憎んでいるよ」

 憎む。

 想像だにしない言葉に、京子は次の言葉が出てこない。そのまま車は進んで行き、中心部分に吸い込まれていく。

 スロープを下りきった先は、鋼鉄が敷き詰められた広大な基地のようになっていた。見渡せば、前方には巨大な渦があった。まるで衛星写真で見た台風のようなそれが、せり上がった砂浜の上で回転を続けている。よく見れば、雲とも光とも言えるよくわからないものが、音もなく中心に向かって吸い寄せられ続けている。異質極まりない。

「これが、渦の」

 京子は言葉を無くしかけた。異世界人がこちらに現れる際に、門は開く。その門の外から見える渦は、たったの一部分であることを知った。

 薄暗い空間に、オーロラのように光り輝く渦。現像的な空間がそこにはあった。

 車は、その渦から少し離れたところに停車した。

「舞浜事件って、知ってるな」

 無言を貫いていた塩見が、静かに言った。

「十三年前。突如現れたこいつは、舞浜夢の国の半分を消失させた。居座る代償として、そこにあったもの全てを異世界側に送り込んだんだ。夢の国を利用していた客の多くがそれに巻き込まれた。そして」

 塩見は瞳を閉じて、言った。

「その中に、俺も居た」

 握りしめられたハンドルが、軋んだ。京子の心臓が、軋んだ。

「俺はこいつに、無理やりあちら側に連れていかれたんだ。そして俺は、一番大切にしていたものを、失った」

 京子には言葉がなかった。今までの軽率な発言を思い返し、死にたい気分になった。

「俺は異世界と関わりたかったんじゃない。関わらざるを得なかったんだ」

 塩見は続けた。

「そして、今でも関わり続けている理由が、この向こう側にはある」

 車はゆっくりと前進していく。鋼鉄の板と砂浜の境目で、車は大きく揺れた。

「だが、安心しろ。そんな思いは、他の誰にだってさせる気はない。越中島、お前もだ。何があっても、俺はお前を守る」

 光が強くなっていく。回転する閃光が、徐々に輪郭をわかりにくくさせていった。京子が最後に見たのは、塩見の顔だった。それはとてもやさしい表情だったように思えた。

 気が付けば、そこにあった車両は、忽然と姿を消していた。

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