22 特殊審査室

 新舞浜国際渦港には、特別審査室という部屋がいくつかある。特殊な事情を考慮して設けられたこの部屋は、例え経営陣であっても、審査課の手続きと許可が無くては入場を許されない空間だ。

 理由は情報の隔離にある。

 相手が異世界となると、この世界の常識が通用しないケースも発生しうる。その都度、どのように対処すべきかを、検討しなければならない事もある。知らない種族、知らない文化、知らない物質。それらをまず隔離し、有識者を集めて検討する。いわば、審査室課が保有する取り調べ室であり、牢獄でもある。

 そしてその空間は取調室のように強固なガラスで隔たられている。その向こう側に、ルレアはいた。対してこちら側には、検見川、塩見、越中島の審査課の面子と、千葉県警からは蘇我、そして耶霧じゃむがいる。

「不憫だな」

 扉を開けて入ってきたのは、千葉県警特殊捜査課のトップである、幕張まくはり海人かいと。蘇我の上司であり、異世界に関する事件を処理してきた、重鎮である。

「姉を探してこちらに来たらしい。うまい口車でホテルに連れ込まれたそうだ。あとは想像の通りだ」

 そのたくましい体躯をソファにうずめながら言う。そこに、蘇我が補足する。

「押し倒されたところで、エーテルの過剰放出が発生。被疑者はそれを至近距離で全身に浴び、樹木化。そんなところです」

 一同は再び重い沈黙に包まれる。

「で、どうなんだ。検見川君」

「はい」検見川は眼鏡を直して言った。

「部下の見解では、まだ完全には樹木化していないそうです。あちら側で対処すれば、回復する可能性は十分にある、と」

「何年かかるか、わからんが」と壁際で腕を組む耶霧が付け足す。

「殺しにはならずに済む、か」

 深いため息とともに幕張は言った。

「この手の事件は本当に難しい。他人事なら、男の自業自得で済む話だが、こと民事となるとそうはいかない」

 幕張は身を乗り出し、続けた。「彼女は被害者か、加害者か。殺人未遂なのか、殺人犯なのか。正当防衛の線なのか。そもそも、エーテルを扱うことは、果たして武器所持として認識されるのか。こうして異世界事件に関わり続けてそれなりになるが、未だにその答えはわからんよ」

「ただ」塩見が言った。「幸いなのは、彼女は魔法を行使していないという点です」

 その空間に異質に響き渡る、魔法の二文字。

「魔法か」

 幕張は額に指をあて、しばらく考えてから、口を開いた。

「正直、私は魔法というものを見たことがない。見ていないものはにわかには信じがたいが、一方で、エーテルの被害が発生している。人が樹木化するなど非現実な事象が実際に起こっている。私は恐ろしいよ。彼らの魔法というものが、一体どんな破滅的な被害をもたらすかを想像すると」

 魔法は、化学で証明ができていない。そればかりか、ほとんどの人がその存在すらも知らないのだ。その情報統制は政府主導で行われているが、こうして関係する多くの人間が自主的に口を閉ざす。理由は簡単だ。市民を混乱に陥れるからだ。

「これは一応の補足なんじゃが」耶霧が言う。「連中は魔法を争いの道具として扱ったりなどはせぬよ。あくまで、生活を豊かにするための方法に過ぎぬ。リスクも承知の上じゃ。差し当たっては、おぬしらが危険視しているようなことにはならぬじゃろう」

「そうだといいが」

 幕張の眉間の皺がより一層深くなる。こうした難事件に関わり続け、幕張の皺の深さも増していった。柔道を通じて正義の志を学んだ幕張にとって、このような事件は最も心を痛めるものだった。その苦痛が、表情に表れている。

「異世界人から殺人犯を作ってしまうのは、私としても避けたいと考えております」

 検見川が幕張を見つめて言った。

「まずは男の容態回復に専念。うちからは塩見と、そして越中島を出します」

 背筋を伸ばしたまま固まっている京子に、一同の視線が突き刺さる。

「越中島は新人ですが、骨があります。何より、この事件を見てしまっています。今後のためにも一度、行かせておいた方がよいかと」

「越中島君」

 幕張の確認に、京子は「はい」と答えた。

「この度は大変だったね。しかし君が見たものは、残念ながら現実だ。そして多くの国民が知りえない、異世界に関する闇でもある。君はこの重大性を理解しなければならない」

 幕張の深い双眸が、京子に向けられる。

「他言は無用だ。君の今後のためにも、そして我々日本人の為にも。それは分かってくれるね」

 その視線から離れられない京子は、黙って頷いた。

「一方で、異世界の事情を深く知るものが不足しているのは事実だ」幕張は姿勢を正して続けた。「我々はいったいいつまで異世界に関わり続けなければならないのか、見当はつかない。もしかしたら一生かもしれない。そのころには、日本は世界にとって模範的な存在となっていなければならないだろう。日本が異世界との関わり方を決めるということは、今後の世界の話に繋がっていく。そういうスケールの話だ。そこには必ず、事情に精通している者が必要になる。彼らの力なくして、それは成しえないことだ」

 そして幕張は迫力をもって、その言葉を告げた。

「君にその覚悟があるか」

 京子はすぐに返事ができなかった。塩見も、その様子をずっと見つめている。

「望まないなら、私から検見川君に打診しよう。今回の事件を忘れ、通常の業務に戻れるように」

 その言葉に、検見川は虚空を見つめながら眼鏡を直した。

 京子は、深呼吸して、やっとでその想いを口にした。

「私のおばあちゃんの家を、改装したんです」

 京子は続けた。「おばあちゃんの家は、すっごく古くて。次に地震が来たら壊れちゃうんじゃないかって。だからほとんど建て替えに近かかったんですけど。工事が始まったのが、私が大学に入ってすぐの夏で。そこで初めて会ったんですよね。異世界人と」

 京子の話を、幕張はまっすぐ見つめて聞いている。

「ドワーフ人って、大きいし、かっこいいですよね。一生懸命働いていました。そのころはたぶんあまり人権とか考えられてなくて、結構ひどい扱いというか、言いなりになっていたというか。それでも、誰よりも一生懸命で。私は、なんとなくそれが気になって、よく工事現場に行っていました。だから私、おばあちゃんの家が建ったのは、その人のお陰だと思っているんですよね」

 気恥ずかしくなったのか、「何言ってるんだろ、あたし」と言って頭を掻く京子に、幕張は黙ってゆっくりと首を振った。

「とにかく私は、そういうのを見て、なんか違うなって思ったんです。異世界人も人だって。彼らが私たちを助けてくれるように、私も彼らの助けになりたいなって。それが」

 京子は、姿勢を正して、はっきりと言った。

「私の舞浜国際渦港入国審査官の志望動機です」

 しばらくの沈黙の後、京子の顔が赤面していった。塩見は喉を鳴らし、検見川は眼鏡を直し、蘇我は髪にコームを通し、耶霧は煙管を咥え、そして幕張は頷き、フッと笑った。

「いい人材じゃないか、検見川君」

 幕張の言葉に、検見川は「ありがとうございます」と答えた。

「では、越中島君。頼んだよ」

 幕張は立ち上がって、その大きい手を差し出した。京子は慌てて立ち上がり、その手を強く握り返した。

「塩見君、あとは任せてよいか」

「はい」返事の後に、続けて塩見が言う。

「ルレアさんのケアは、耶霧に任せようと思います。私と越中島で男をあちら側に運び出し、いち早い回復に努めます」

「うむ」幕張は塩見に向き直って言う。

「残念ながら、彼女は被疑者でもある。状況が整理できるまで、向こう側に帰してやることはできない。鍵は、その男の回復にある」

「耶霧、頼んだ」塩見が言うと、耶霧は半眼し、「任せておけ」と言った。

「行くぞ、越中島」

 塩見が手を差し出す。京子は考えるよりも先に、その手を取った。

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