21 エーテル
早朝の舞浜駅。塩見は会いたくない人物と対面し、思わず「げっ」と口走った。目前で仁王立ちしているのは、越中島京子だった。
「昨日はどうも」と喧嘩腰な京子に対し、塩見は「おう」と弱腰に返事をする。目的地は同じ舞浜国際渦港。それとなく肩を並べて職場まで歩いていく。
昨日の夜、R&Jでのこと。塩見の功績に感動した京子は、酒の勢いもあってテンションが上がっていた。元気何割り増しかの口調で根掘り葉掘り聞いてくる京子がうっとおしくなった塩見は、つい「お前には関係ないだろ」とつっけんどんな返事をしてしまった。それ以降、どんな話題をふっても元気がない。というか、明らかに怒っている。
「普通」重苦しい空気の中、京子が口を開いた。
「本当に置いていきますかね、あの状況で」
塩見は「来た」と思った。それに関しては塩見にも言い分がある。
「ちゃんと誘ったぞ。それを断ったのはお前だろ」
京子からは不満の目線が送られてくる。塩見も納得がいかないが、自責の念がないわけではないだけに、心苦しい。
昨晩、京子がいじけてしまったので、それ以降の作戦会議はうまく行かなくなった。話は弾まないし、新たな考察もできそうにない。塩見はそんな京子を見かねて、「送っていく」と声を掛けたのだが、京子はカウンターに突っ伏したまま振り向きもせず「一人で帰れます」と言ったのだ。そのまま本当に置いていったのは、流石に悪かったような気がしなくもない。
「はぁ」
緊張感に疲れたのか、先にため息をついたのは京子だった。
「もういいですよ。やめましょう、朝から疲れます。塩見さんも辞めてもらえますかね、話しかけにくい的なオーラ」
「そんなオーラ、出してない」
「出してますよ」と京子。
「勘弁してくれ。エーテルじゃあるまいし」
塩見は眉間を押さえた。なんとなく気まずいだろうと踏んで、わざわざ普段より早めに出勤したのに、出会ってしまった。部下を気遣う難しさを痛感し、女子を扱う壮絶さに打ちのめされていた。
「まぁ、実はそんなに気にしてはいないんですけどね」
京子は少し晴れやかになった顔で言う。「ただ、上司がどんな人なのか、どんな凄い人なのか気になる気持ちは、わかってほしいですね」
面食らう塩見に、京子が続ける。
「教えてもらう時って、相手の凄さを知っていることって大事だと思うんです。すごい相手だとわかっているから、言葉が入ってくる。そういうもんじゃないですか」
なるほど、と塩見はうなった。
「今度からは、もうすこし丁寧に教えてください」
塩見は眩しいと思った。それが太陽なのか、彼女の笑顔なのかは、いまいちわからなかったが、「分かった」とだけ、返事をしておいた。
そんな時、塩見の携帯が鳴った。着信相手は、蘇我だ。
「今すぐ来てもらっていいすか」
開口一番のその言葉に、緊迫感がある。ただ事じゃないのは、すぐに分かった。
「どうした、いきなり」と塩見。
「早くしてください」蘇我は何やら小声で話しているようだ。「あの状態を隠し通すのは難しいんですから」
「まさか」
塩見の額から汗が滴り落ちた。
「ええ、そうです」
そして一瞬の間のあと、蘇我が言った。
「エーテルっす」
蘇我に案内され、塩見と京子はホテルに入った。テーピングされたその奥に、三人は進んで行く。
エレベーターを登り、現場へ向かう途中、廊下で崩れている女性に警察官が優しく話しかけていた。女性は両肩を抱いたまま震えている。騒ぎに気が付いた利用者が、扉から首をだし、それを不安そうに見ていた。警察官の一人が、それを部屋に押し戻す作業に追われている。
「あの人、どこかで」
すれ違い様、女性の髪の隙間から、エルフ特融の耳が見えた。水のように透き通るその頭髪に、見覚えがある。その女性はニュー・アンダー・リゾートで塩見を対応したエルフに間違いがなかった。
「ルレアさん。大丈夫ですか」
ルレアの服装は乱れていた。ドレスが破れ、一部がはだけている。ダイヤモンドの瞳からは輝きが失われ、精神の安定が失われていることがすぐに分かった。
「どうしてここに」
そこまで言って、塩見は全てを理解した。
弾けるようにして駆け出し、現場の一室に入った。数人を押しのけ、最奥のベッドルームに足を踏み入れたその時、塩見の前に絶望の光景が現れた。そして自分の理解が正しかったことに、ひどく落胆した。
「これは」
遅れて入ってきた京子が、口を手で覆った。
「うそ。ねぇ、これって」
ベッドの上に、木像が置いてあった。それは人間のような形をしている。膝をつき、頭を抱えながら、叫んでいるように見える。一部はまるで枯木のようにひび割れ、そして一部は、人間の肌のようでもあった。
「間違いない」
塩見は言った。
「エーテル被害者だ」
それは、数時間前までは人間だった、木像だった。
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