20 夜の道

 深夜と言うより明朝と言ったほうがいい、新舞浜。ヒールの足音が街並みに響き渡る孤独な時間に、仕事終わりのチョコ・エク・ルレアは遊歩道を歩いていた。見目麗しさに反し、その後ろ姿はくたびれている。先ほどから幾度ため息をついたのだろうか。

「疲れた」

 油断すると、口癖のようにその言葉が出てくる。相変わらず、仕事はうまくいかない。男の人はたいてい怖いし、優しい若い男は、たいてい先輩に持っていかれた。

「お姉ちゃん」

 それも口癖だった。早く、お姉ちゃんに会いたい。

 異世界から日本に来て、早一か月。でも、もう一か月。本当なら、数日で帰るつもりだった。日本に来れば、すぐに姉に会えると思った。

 エルファであるルレアの姉が日本から帰らなくなって数年が立った。昔から仲の良い姉妹だっただけに、姉不在の月日はルレアにとって半身を失ったように辛かった。いてもたっても居られなくなり、アシエルイーク異世界側のの渦に通いつめ、日本語を勉強、知り合いのエルフに頼んで、なんとか日本に忍び込んだ。その就労先はニュー・アンダー・リゾート。姉と同じ就労先。現地についたら、あとは姉を説得するだけ、のはずだった。

「どこにいるの」

 そこに姉の姿は無かった。聞けば、既に退職したという。家族だと説明しても、コジンジョウホウがどうとか言って、だれも教えてくれない。結局その日のうちに姉は見つからず、ニュー・アンダー・リゾートで働くことになってしまった。

 日本での生活は厳しかった。何でもかんでも、お金、お金。ご飯を食べたり、髪の毛を切ったり。生きるのに必要なこと全てに金が求められた。まるで牢屋のようなワンルームアパートにすらお金を取られるという事が何よりも衝撃だった。自由気ままに生きて、自然を謳歌していたレメニア異世界とは、全てが違う。そして自分はお金を稼ぐのに向いていなかった。

 何度も帰ろうと思った。最初の頃は、一日に何度もそう考えた。でも、ここまで来たら帰れない。ここに来るまでに、それなりに努力はしてきた。それを無駄にしたくない。何よりも、姉にあいたい。このまま異世界に逃げ帰っていては、姉の情報は二度と手に入らないかもしれない。ルレアは、今の環境にしがみつくしか無かった。

 それにしても、仕事は大変だった。男の話は難しかったし、お酒は毒のような味がした。女たちは表面上仲が良くても、実際はなわばり争いに心血を燃やしていた。最初は優しかった先輩の誰しもが、使えない自分に関心を無くしていく。今でも心優しいソラ先輩も、いつ私から離れて行ってしまうのか。そう考えると、心が張り裂けそうになる。

 なぜ、こんなにも難しいのだろう。笑顔で男と仲良くしているほかの女たちが、怪物に見える。

 幼い頃から姉との日々で、同年代の誰よりもエーテルの扱いに長けていた。自分は非凡だと、それとなく認識していた。だから日本に来ても大丈夫。私は誰よりも早く成長できる。そんな根拠のない自信は、今では藻屑のようになってしまった。

「もう、帰ろうかな」

 言うだけ言ってみる。そんなことを、いつまでも続けている。はっきりとしているのは、引き留めてくれる者は一人もいないという事だ。もしかしたら、いつの間にかいなくなっていても、誰も気が付かないかもしれない。

「だめ、弱気になっちゃ」

 でも帰れない。先輩が教えてくれた、姉に関する唯一の情報。「サンキュウに入って辞めた」。それを信じるなら、姉はまだ日本にいる。何としても探し出して、そして、連れ帰る。

「頑張らなきゃ」 

 奮い立たせ、歩みを早める。姉も同じ経験をしていると思えば、頑張れた。私はまだ大丈夫だ。

 そうして、新交通「新舞浜」駅に差し掛かろうという時だ。一人の男に、話しかけられた。

「お嬢さん。落とし物ですよ」

 振り向けば、男はストールを手にしていた。ルレアは自身の肩に触れ、いつの間にかそれを落としてしまっていたことに気が付いた。先輩に買ってもらった、お気に入りのストールに間違いがない。

「ありがとうございます」

 頭を下げ再びあげると、男はあっという間にすり寄ってきた。

「はい、どうぞ」

 緊張感なく、自然と目前にいる。やせ細り、背は高い。見上げても、その顔の全貌が良く見えない。その手からストールを受け取り、再び頭を下げる。男の靴は、暗闇の中でも高級品と分かった。

「そんなに疲れた顔をして。かわいそうに」

 男はふいにそう言った。脈略のない言葉に、ルレアは混乱した。意味が分からず、その場から立ち去ってしまおうかと考えたが、もしかしたらこの男は客だったのかも知れないと思うと、とたんに無下にできなくなった。

「仕事で疲れてしまっていて」

 当たり障りのないことをなんとか絞り出すと、

「大変だね」

 と優しい声が返ってきた。もう一度見上げると、そこには優しい笑顔がある。顔は悪くない。

「おや、なんで泣いているの」

 男の手が頬に触れる。その行動で初めて、自身が涙していることに気が付いた。そして実感した。自分は心底疲れているのだと。話したばかりの男に同情され、それが染みてしまうほどに。

「すみません」

 ルレアは涙をぬぐった。

「もっと、いい仕事あるよ」

 男は言った。

「君なら、もっと楽に、もっともっとお金をもらえるよ。誰にでもできることじゃないけど、君なら大丈夫。僕が保証するよ。興味があれば教えてあげられるけど、どうする?」

 その言葉は魔法のようにルレアに届いた。もっと楽に、もっとお金を、私にしかできないこと。

「決まりだね」

 男はルレアの肩を取った。夜道で冷えた体に、体温が伝わる。

「ここじゃなんだから」

 男が指さした方角に、ホテルの看板があった。高級そうな佇まいに、心が躍った。

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