19 事情
バーR&Jの店内に、塩見達はいた。
入口の電球は落とされており、看板にはRESERVEと書かれた札がかけてある。おかげで、他に客はいない。いるのはカウンター内に葛西と耶霧、それに向かい合う形で、塩見と越中島がミルを挟み込むように並んでいる。四人の視線はミルに向けられている。
「事情はわかりました」
グラスを置いたミルが言った。
「教えてくれないか」
今しがた、塩見が一通りの事情を説明したところだ。R&Jを貸し切っているのも、そのためである。
「お察しの通り、私はエルフ族の中でも、それなりの地位にある血筋の者です」
京子が顔を上げる。耶霧も知っていた風だ。
「レメニアにいるエルフの種族は大きく分けて三つあります」
ミルはカウンターを指でなぞり、円を三つ書いた。
「森林を主な住処とする色白のエルファ族、山間を住処とする褐色のエルヴ族、そして沿岸を住処とする黄色のエルバ族。それらを総称してエルフを呼びます」
「エルフってそんなにいるんだ」ミルが描いた図を見て、京子が言った。「でも肌が白いイメージしかないけど」
「そうかもしれませんね。エルフの中で、エルファは最大の勢力を持っていますから。渦からさほど遠くないこともあって、日本を訪れる種族はほとんどエルファなのです」
「へー」京子は気の抜けた相槌を打った。
「そして」ミルは長い髪を払い、うなじを出して言った。「代々エルファ族を統治するのがイープ家。私はその娘なのです」
そのうなじには薄っすらと輝く傷跡のようなものがあった。それは紋章のような模様になっている。
「え、まじで?」
京子はその模様をまじまじと見つめたあと、ミルの顔を覗き込んだ。
「王女様じゃん」
「また少し事情が違いますけれどね」
ミルはそう言って少し寂しそうに笑った。
「そこで本題だ」
塩見が身を乗り出して言う。「なぜそんな家柄の娘が日本にいるのか」
一瞬の静寂のあと、京子が「確かに」とつぶやいた。それに合わせて葛西が頷いている。
「それにお答えする前に、お話したいことがあります」
ミルはそう言って語り始めた。
「日本とレメニアが繋がってから幾歳が過ぎましたが、日本を旅するエルフの数は年々増えていきました。私たちエルフはエーテルを定めることが出来るようになると一人前と認められて、旅立ちを許可されます。そこで初めて、森から出ることを公式に許されるのです。旅から戻ったエルフは、そこで学んだことを故郷に持ち帰り、生かす。いまや日本は、そんな旅立ちの最初の目的地として、絶大な人気を誇っているのです」
かつて日本でも、特定の国の文化が異常に持てはやされた時期がある。いわゆる、流行りだ。今、エルフ内で日本は空前のブームとなっているということらしい。
「特に日本のファッションはとても人気で、日本からの帰国者がそういった洋服を身に着けていると、若い子達の憧れの的になるんですよ」
そう言ってミルは肩からずり落ちたボートネックのカットソーを直した。
「最初はそれでよかったんです。私もそれに憧れていたうちの一人だったのですから。でも、そうじゃなかった。早く気が付くべきだったんです」
ミルの眉間にしわが寄っていく。
「帰ってこない者の存在に」
ミルは続けた。
「日本は若いエルフたちにとって、魅力的な場所でした。人に溢れ、常に新しい発見がある。働いた対価を、自分への投資として自由に使える。閉鎖的な環境で顔ぶれも変わりないレメニアとは、全然違う。一度味わってしまえば、戻れない。日本は、そんな場所だったんです。気が付けば、村から若い子の姿が激減していました。村の雰囲気は変わってしまったんです」
「過疎化か」葛西が呟いた。
「大人たちは苦心しました」ミルはグラスを握りしめて、言う。「それでも、それを食い止めることはできませんでした。エルフにとってそれは、あまりにも劇的な変化でした。もちろん今までも、長旅から戻らない者が居たにはいましたが、ほんの一握りです。それでも彼らはレメニアにいた。同じ世界に確かにいたのです。でも今回は違う。違う世界に行ってしまった。私たちの世界から、いなくなってしまったのです。状況があまりにも違いすぎる」
若者が故郷から離れる。行った先は、異世界。やがてそれは、一方通行になった。
「私は両親から命じられたのです。何が彼らをそこまで夢中にさせるのか、その身をもって体験せよ、と。そして、彼らを引き戻す術を見つけよ、と」
「なるほどな」塩見は眉間を押しながら言った。
「だから、こだわったのか。ニュー・アンダー・リゾートへの就労に」
ミルは黙って頷いた。
「俺が入国拒否を出した時、なぜ両親からクレームが入ったのか、ずっと疑問だったんだ。だがそれなら納得がいく」
「ごめんなさい」ミルは丁寧に頭を下げた。
「わっちも納得じゃ」
沈黙を貫いていた耶霧が言った。「それでお主は、そんな途方もないエーテルを垂れ流しておったのじゃな」
耶霧は腕を組み、呆れたように言った。「文字通り、箱入り娘じゃったということじゃ」
「知らなかったんです」ミルは悔しそうに赤面している。「日本ではそれがルールだったなんて」
「そいつはおかしいな」
塩見が食ってかかると、耶霧も頷いた。
「あちら側の担当者には、そこらへんの管理は徹底させているはずだが」
「それは、その」ミルがもじもじする。
「私が通りたいと言ったら……」
「なるほどな」塩見は自分の額を拳で打ち付けた。
「担当者、って言いましたよね、今」
京子が耶霧を見つめて言った。耶霧は頷いている。
「それって、渦の向こう側に、私たちと同じような仕事をしている人達がいる、ってことですか」
今度は塩見を見つめた。塩見は仕方ないと言った様子で「ああ」と返事し、続けた。
「こっちにはこっちの作法ってものがあるからな。それを知らないで入国されたんじゃ、たまったもんじゃない。それに、考えてみればわかるだろ」
「何がです」と京子。
「日本語が通じる相手が多すぎる」
「あ」
京子の口が大きく開いた。
「教えておるんじゃよ」耶霧が補足する。「こちら側に来たい者に、そのいろはを叩き込む。最低限の要件を満たせないものは、渦を通らせない。そうやって、調整をしておるのじゃ」
京子の表情は驚きに染まっているが、他は葛西ですら知っていそうな様子だった。
「でも、よくよく考えてみれば、そうだ」京子は顎を触って頷いた。「空港だって、そうですもんね。出る側と入る側で、チェックしている」
「じゃな」耶霧が魅惑的なウィンクを返す。「とはいえ彼らも現地人じゃ。一民族の長の家系のものが通せと言えば、従ってしまうは致し方ないというもの。これはいよいよ見直さないといかんのう、葉介や」
意地悪そうにいう耶霧に対し、塩見は思い詰めたように頷いた。
「やはり行かないと駄目か」
「まぁまぁ」葛西がモスコミュールを出しながら言った。
「お前が責任を感じることじゃない。いざとなれば、耶霧に行ってもらえばいい」
「そうじゃ、任せておけ」と耶霧。
京子は完全に置き去りになっていた。事情があまりにもわからなすぎて、困惑している。そもそも何故この話題の中心に塩見がいるのか、まったく見当がつかない。京子は我慢ができなくなり、大きく伸びをしたあと、カウンターを叩くようにして言った。
「そこでなんで塩見さんが出てくるんですか? だって、そんな取り決めなんて、塩見さんには関係がないじゃないですか」
京子の目はすでに座っている。その様子に、耶霧と葛西は目を見合わせ、口角を上げている。何やら楽しそうなところが、京子には気に入らない。
「嬢ちゃん。そういう決まり事っつうのは、たいてい誰かが作ったもんだ。最初の一人ってのが、いるもんなんだよ」
「それが何だっていうんですか」食ってかかる京子。
「日本語がわからない連中にこっちのルールを教える。そんな難しい芸当ができるとすれば、それはこっち側だけじゃなく、あっち側も相当詳しく知ってる奴だけだ。現地人と齟齬なく会話できて、そんで相手の文化も尊重できるヤツじゃなきゃあな」
「まぁ、そうですけど」たしかに、と京子は押し黙った。
「そんなスキルを持っている奴の手を借りたいと、お偉いさんも思っただろうぜ。なぁ、塩見」
京子は思わず身を乗り出した。振り向けば、そこにいる塩見がバツが悪そうに頭を掻いている。
「こいつは、現地でその体制を作った、いわば立役者なんだよ」
「そういうことじゃ」
しばらくの沈黙のあと、京子の絶叫が響き渡った。
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