18 節穴

「何か言うことはあるか」

 事務室。事務机で肘をつき一枚のプリントをぶら下げているのは検見川、その目前に、塩見と京子は立たされていた。塩見はあらぬ方向を向いており、京子は苦笑いするしかない。

「いえ、あの、その」

「なんだ、越中島。はっきり言え」

「なんでもありません」

 週明け早々、このような構図になった原因は、検見川が手にしているプリントにある。始末書と銘打たれたそれには、顛末てんまつが示してある。

「だいたい、俺はリストの照合をしろと言ったんだ。誰がその経営者を詰問しろと言った。え、どの口が言ったのか、説明して貰おうか」

 本日の検見川は不機嫌にも気合が入っていた。

「できる訳ないでしょうに」

「ちょ、塩見さん!」

 塩見の小言はばっちりと聞こえ、検見川の血管がさらに浮き出た。京子は火に油を注ぐという典型を見た。

 検見川が怒り心頭なのにも、訳がある。塩見達の行動によって、ニュー・アンダー・リゾートの支配人からクレームが入ったのだ。このような形で不始末をしたのは、審査室始まって以来である。差出人が経営者の習志野じゃないだけマシだ。

「見ろ、俺の白髪を。年々増えていっているんだぞ。そのうち何割がお前の責任なんだろうな、塩見」

「老化現象を俺のせいに、ぐ」

 余計なことを言いかけた塩見に、京子が肘内ひじうちをかます。これ以上余計なことを言って事態を悪化させたくない。

「いいか、二人とも、よく聞け」検見川は両腕を掻きながら言った。「この舞浜国際渦港は、ただでさえ世間からの注目が高いんだ。どんな些細なことでも、すぐにニュースになっちまうんだよ。そこへ来てどうだ、業務外に水商売店で経営者に説教を垂れるだぁ? 問題にならない訳がないだろうが!」

 そして机に拳が打ち付けられる。お決まりのパターンだ。

「まったく、お前たちときたら」

 一呼吸おいて眼鏡を直した検見川が言った。

「特に越中島」

「え、わたし?」指を差されて呆ける京子。

「そうだ、お前だ」検見川は腕を組んで言った。「もう少し大人しい奴かと思ったぞ。お前を塩見の下につけたのは、そこの破天荒な誰かさんに堅実さというものを分け与えてやって欲しかったからなのに」

「はぁ」京子は笑って頭を掻いた。「堅実さ、ですか」

「そうだ。だってお前、中高と陸上やってたんだろ。スポーツ部、堅実だろ」

「それはまぁ、そうですが」指を顎に当て、京子はつぶやいた。「団体行動が苦手だから個人競技を選んだだけで」

 目前の検見川は派手にうなだれた。あまりにも急に頭を下げたので、うっすらと机に額をぶつけてしまっている。京子はまたしても笑うのを堪えるために、自らの尻をつねった。

「まぁとにかく、今後は店に出入りすることは禁止だからな。わかったか!」

 恥ずかしさを誤魔化すかのような検見川の怒号に、追い払われるようにして二人は部屋をでた。


「怒られちゃいましたね」

 二人は職員通路を歩き、休憩室に立ち寄った。

「まぁ、そうだろうな」

 塩見はまっすぐに自動販売機に向かい、クリーム入りカフェオレを二つ頼むと、片方を越中島に投げた。

「どうも」

 疲れた体に糖分とカフェインは効く。ざらついた気分を整えるのにもちょうどよかった。

「どうするんですか、この後」

 その問に、塩見はコーヒーを飲み干すまで答えなかった。空になった缶をごみ箱に放り投げた。

「誰かが異世界人の女をこちらに送り込もうとしているのは明白だ」

「どうしてそう思うんです?」

「考えてみろ」塩見は足を組んで続けた。「何も知らなければ、わざわざ別の世界に行ってみたいなんて、考えるか? 焚きつけてる奴がいるんだよ」

「うーん」と京子。

「もしそんな奴がいなかったら、彼らが日本の事情を知るのは日本からの帰還者以外にあり得ないだろ。テレビがあるわけじゃないしな」

「え」京子が目を丸くして塩見を見た。「テレビないんですか」

「ねぇよ」思わず塩見の眉毛がへの字になった。

「つまり、情報の得処は限られる。具体的には帰還者からだ。でも、帰還者から聞き出したところで、日本に好意的な印象を持つなんて、ないだろ」

「なぜです?」

「日本が好きなら、日本に残るからだ」

「ああ」京子は手を打った。

「自ら帰国を決めたならもちろんだが、仕事をクビになったのだとしても、いい印象は持たないだろう。そんな境遇のやつから話を聞いて、日本に憧れなんて、抱くか?」

 塩見は床を踏み鳴らして言った。「それも水商売だぞ」

「つまり」京子は腕を組んだ。「誰かが日本に良い印象を与えるような、情報操作を行っていると」

 塩見が頷くと、京子は続けた。「その最たるが、あのチラシだと」

「だが、わからないことがある」塩見は立ち上がり、ポケットに手を突っ込み、右往左往歩き始めた。

「彼らが日本で働きたがる理由とは、一体なんなんだ。日本で金を稼いだところで、しょせん日本の物しか手に入らない。彼らの生活に役だつとは、思えない」

 日本からの物資の持ち出しはかなり厳しく管理されている。それは持ち込み品についても同様だった。持ち込まれた物質が、双方の文化および生態系に対してどんな影響があるのか、十分な調査もなされていない環境での物質交換は極めて危険だ。規制は舞浜国際渦港が制定されて以来、ずっと厳守されている。唯一規制が緩い項目と言えば、衣服の類だ。

「となれば、日本に入国すること自体に意味があるのか。それとも仕事の内容に魅力があるのか? 疲れたおっさんどもに酒を振る舞う仕事にか」

「それは魅力的なんじゃないですか」京子がコーヒーを飲みながら言った。「いいじゃないですか、癒しの提供。夢があって」

「なんだ、お前もしかして、やってみたいのか」

 塩見は信じられないものでも見た、そんな顔で京子を見つめている。京子は聞こえるように舌打ちした。

「違います。だいたい、私がキャバ嬢でも誰も喜ばないでしょ」

 言い放ったものの、返事がない塩見が気になって振り向けば、心底安心したように胸を撫でおろしているのを見て、余計に腹が立った。

「現地の事情が分かればいいんだが」塩見は諦めたようにソファに雑に腰かけた。

「行けばいんじゃないですか」京子が言う。「塩見さん、出国許可書、あるんでしょ」

「検見川に止められた」塩見は肩を竦めた。「お前は探偵じゃない、だそうだ」

「そりゃ、そうですね」京子は立ち上がって、空缶をごみ箱に投げ入れた。「何より、似合いませんよ」

 塩見はふん、と鼻を鳴らした。

「手詰まりだな」

 塩見は再び立ち上がり、襟元を直した。「しばらくは大人しく仕事しているしかない」

「でも、本当、なんでなんでしょうね。日本に来たい理由」京子は襟元の頭髪をいじりながら言った。「最近の向こうの事情を知ってる人がいればいいんでしょうけれど」

 その瞬間、二人の時間が停まった。

「いるじゃないですか」

 京子が塩見を指さす。

 塩見は悪人のような笑顔で言った。

「越中島。今晩、一杯付き合え」

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