17 問題点

「それは」塩見は習志野に詰め寄った。「日本人との子供ではありませんか」

 その空間に、一瞬の静寂が訪れた。二人は、まるで時が停まってしまったかのように動かない。それは数秒の間だっただろうが、京子にはその数倍も長く感じた。やがて、習志野がため息をついたのをきっかけに、緊張が解けていく。

「本日のご用件というのは、そちらですか」

 塩見は答えない。しかしその視線が、習志野への追及を続けている。

「こういう業種です」習志野はソファに深く腰掛け、足を組んだ。

「直接的にはそう言った営業はしていなくとも、どうしても、そこから色恋の座太が生まれることがあります。勿論、経営者として厳しく管理してはいるものの、その先の話となると、なかなか及ばない」

 習志野は独り言のように続ける。「私は従業員を家族のように思っている。家族の幸せは私の幸せだ。家族に思い人ができ、そして新しい命を授かる。その報告を受ける時、彼女たちの瞳の奥に、確かな輝きが見える。それは間違いなく、幸せの輝き」

 習志野はロックグラスをシャンデリアにかざした。琥珀色の液体と球体の氷が、シャンデリアの光を乱反射して、煌めいている。

「彼女の時もそうでした。彼女はオープンの時からのメンバーで、共に歩んできたパートナーです。ビジネスにおいてパートナーを失うことは最も大きな損害です。しかし私は言えなかった。その笑顔を見たとき、首を縦以外に振るすべを、私は持ち合わせていなかった」

 そう言って習志野はロックグラスを全て飲み干し、言った。「人は自由だ。私はそれを痛感しています。それは異世界人であっても、同じこと」

 話を聞いていた塩見が、悔恨の表情で言った。

「お気持ちはお察しします」

 この言葉に、京子は少し驚いた。塩見という男は、どこまでも理性的で主観的だと思っていた。他人の心情に共感するなんてことは想像できなかった。その表情が処世術によるものなのかどうかはわからない。いずれにせよ、上司の新たな一面に京子が困惑したことは事実だった。

「ですが」塩見は身を乗り出して言った。「これはそういう話ではありません」

「ほう」習志野の眼光が鋭くなった。塩見は引かない。

「恋愛自由主義。大いに結構。確かに、そこに縛るものは何もないでしょう。しかし、対外的な話となると、話は別です。異世界から見た場合の問題はこうです。日本に行ったっきり、帰ってこないと」

 塩見は続けた。「異世界人は就労を条件に日本への滞在が認められています。現在の法の下では、異世界人は日本人として帰依することはできません。どんな事情があるにせよ、いずれは帰らなくてはならないのです」

「それは法整備が未熟なのでは」習志野ははっきりと食い下がった。「あなた方が取り組むべき問題だ」

「行政に対する意見は別の機会に聞きましょう」塩見は食い気味で割って入った。「異世界人と日本人の結婚は、現在の法律では想定されていない。それには長い年月が必要です。なぜなら、我々はあまりにも彼らのことを、あの世界のことを知らなすぎる。現在の海外と同じ感覚で捉えてはいけないのです。もし、双方に誤解があったら、どうなります。日本は異世界人を拉致し、子供を産ませている。そう相手が受け取ってしまったら、分が悪いのはこちら側です」

 塩見の言葉に、習志野は鼻を鳴らした。

「それは随分な言われようですな。分が悪ければ、どうなります」

 余裕ぶった態度の習志野に、塩見は語気を強めた。

「戦争が起きます。日本兵器対、異世界魔法の」

「魔法」習志野は目を見開き、笑った。「ばかげている。何を言い出すかと思えば、そんな幻想を信じておいでか」

 習志野が京子に振った。塩見が突然口にしたその言葉に、京子も驚いた。

「魔法は存在します」

 なおも続ける塩見に、習志野は憤りを隠さなくなった。

「我々にどうしろと」習志野は続ける。「まさか店を畳めとでも」

「そうは言っていません」

「では他にどんな手がある。子供ができたらおろさせろとでも言うのか。そんな非人道的なこと、許容できる訳がない。産休だって労働基準法に則って支給している。そればかりか、我々は新舞浜条例のモデルケースとして責任をもって業務にあたってきた。複数の弁護士に相談をし、行政とは常に情報を交換し、問題解決に努めてきた。何か法に触れるようなことがあるなら、今ここでハッキリと指摘して頂きたい」

 習志野は思わず立ち上がり、げきを飛ばした。

「貴方の言っていることは荒唐無稽だ。魔法? ふざけるな。我々には生活がかかっている。遠い世界より己が人生をモノにするためにこの地を目指していたなら、それを受け入れるのが人情ではないのか。誤解がなんだ、おおいに結構。私は常に私の正義のために行動してきた。説明が必要なら、どこへ行ってでもわかる迄やってやる」

 習志野は塩見を指さし、言った。

「異世界人を受け入れることがリスクだと言うなら、なぜこのような業態を許可してきた。異世界人の流入を止めたいのなら、行政が法で対応すればよろしいではないか。その責任の一端を私や従業員に取らせるおつもりか。あり得ない。そんなデタラメなチラシまで持ち込んで、私を人身売買の主犯者にでも仕立て上げようというのか。甚だ遺憾だ!」

 店内は静まり返っていた。雑踏が消え、BGMだけが静かに流れている。習志野の激は店内中に響き渡っていたらしい。肩で息をし、脱力するようにソファに座ると、習志野は眉間を押さえながら言った。

「失礼を。貴方にも立場がおありでしょうに」

「いえ」塩見も頭を下げた。

「歳ですな」深いため息の後、習志野は言った。「どうも頭に血が上りやすくなる。そしてそのあとは大抵、ひどく疲れる。かないません」

「こちらも配慮が足りませんでした」

 塩見が深く頭をさげると、習志野は手でそれを制した。

「いや、やめましょう。お互い、職責をもって発言したまでです。貴方との関係がこじれることを、私は望んではおりませんから」

 習志野の人格者としての言葉に、塩見は「恐れ入ります」と答えた。

「はっきりさせておきたいのですが」習志野は続ける。「そのチラシのことは、私は存じ上げません。もちろん、私が指示したものでもない。ですが、そこに写っているのはここの職員ですし、この店です」

「そうですか」塩見は腕を組んで唸った。

「最近、希望者が多いということは支配人より聞いていました。うちの方針は、まずは雇い、育てる。簡潔に、ルックスと素行さえよければ、来るもの拒まず。お陰で職員は充足しています。それがそのチラシのお陰だというのは、考えたくない所ですが」

 徐々に穏やかになっていく二人の様子に、京子はようやく緊張から解き放たれた。思わずしてしまったため息を、習志野に気づかれてしまった。

「問題は認識しました」習志野は自分の胸に手をかざして言った。「就労希望者には、その動機をしっかりと確認します。加え、風紀についてはより厳に、特に客との関係については厳密な調査をさせます。何か不穏な点があれば、ご連絡を差し上げると」

「助かります」

 塩見は立ち上がって、京子を見た。京子は慌ててカバンに手を伸ばし、立ち上がった。

「最後に伺ってもよろしいですか」塩見に相対した習志野が言った。「高齢化社会の問題が叫ばれる昨今、異世界人による人口流入、そして出生。一見、課題解決に最適に見えるこの問題。貴方様はどう思われる」

 鋭い眼光が塩見に向けられる。塩見は一呼吸してから、答えた。

「需要と供給が一致すれば、それが必ずしもWin&Winウィン ウィンとは限らない」

 塩見は背を向けて、捨てるように言った。「異世界は、異世界だ」

 カーテンを抜けていく塩見に、京子は慌ててついていく。去り際、習志野の笑顔の中に、何か寂しいものを感じた気がしたが、それを塩見に言う気にはなれなかった。

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