16 その男、習志野

 放たれる本物の迫力に、京子は開いた口が塞がらない。呆気にとられた後、塩見は立ち上がった。

「舞浜国際渦港の塩見です」手を差し出せば、習志野の手がそれを包んだ。目を合わせれば、その柔らかな瞳の奥から鋭い眼光が放たれている。続いて京子と握手し、習志野はまるで孫にでも向けるような笑顔だ。

「立ったままでは何ですから」習志野に促される形で二人が着座すると、習志野は横手になる形で椅子に座った。

「ご夕食は」習志野の言葉に京子が頭を下げると、大げさにうなずいた後、「それは残念」と言い、続けた。

「それでは何かお飲み物でもご用意致しましょう」習志野が指を鳴らすと、カーテンの奥から先程の男が現れ、手にしていたメニューを差し出した。羊皮紙のような意匠の紙に、品目が文字だけで書かれている。高級店のそれのようだ。

「代金はお気になさらないで下さい。ただ水だけをお出しする訳にも参りませんゆえ」

 習志野の穏やかな笑顔が京子に向けられた。値段を見て面食らっているのを読まれたらしい。塩見は「お車は?」と尋ねる男に首を振った後、モスコミュールを頼み、京子も「同じものを」を頼んだ。

「それにしても」男が去ってから習志野が言った。「入国審査室と聞いて、どんな方々がお見えになったのかと思いましたが、こんなにかわいらしいお嬢さんとは」

 突然褒められ、京子は何やらもじもじしている。

「SPのような屈強な男をイメージされましたか」塩見が言うと、

「ええ。こちらのような方々だったらどうしようかと」習志野は左頬に触れた。ヤクザの意味だ。

「あなたのようなポジションにいれば、政府もヤクザも同義なのでは」

 塩見の軽口に、習志野は笑った。

「いや、参りましたな」習志野は続ける。「実際のところ、当店をご利用なさるお偉方となれば、それが政府であれ、その道であれ、迫力があるというところで変わりはありませんので」

 習志野は「その点助かりましたよ」と言って二人に笑いかけた。ちょうどそこへ、二人分のモスコミュールが持ち込まれた。習志野は手にロックグラスを掲げて促すと、二人は顔を見合わせ、口にした。

「おいしい……!」

 二人の明るい顔入りに、習志野も満足そうだ。

「水商売の水、というのは、まさしく酒のことです」習志野は続ける。「稼ぎの基本はこのお酒の提供です。一般的には、かわいらしいお嬢さんに目が行きがちですが、彼らはサービススタッフに過ぎません。我々はこの酒を、最高の環境で召し上がって頂くために、日夜努力をしているのです」

 京子はその話に聞きっていた。居酒屋程度の経験しかない京子にとって、夜の世界は未知そのものだった。葛西の店で飲んだ酒は格別に感じたものだが、これはこれで別の美味しさがある。同じ酒でも、こんなに違うものなのかと実感した。

「もちろん、お若いお嬢様たちがそれをさらに美味しいものにしてくれているのは、否定できませんが」

 そう言って習志野はロックグラスに口をつけた。

「それが異世界の女ともなると、格別だと」

 空気が張り詰めた。グラスを置きながら塩見が放った、攻めの返しだった。

「そうですね」一呼吸置いた後、習志野は静かにうなずき、続けた。「彼女たちはやはり容姿に優れています。好奇心も旺盛。我々仕事人達の話を、毎回新鮮な驚きで聞いてくれる」

 習志野はグラスを思い詰めた表情で見つめている。「話を聞いてもらう。それがどんなに尊いことなのか。大人になれば、相手がどういう気持ちで聞いているのか、知れてしまうもの。ところが彼女たちは、それがたとえどんな他愛のないことでも、とても楽しそうに聞いてくれるのです。彼女たちのその純粋さが、ここを訪れる人達の癒しとなっていることは、否定のしようもない事実です」

 塩見は黙って聞き、時折頷いていた。

「そういった意味でも、私はあなた方に感謝しなくてはなりませんね」

 声色明るく大手を振りまいて、習志野が言った。

「彼女たちがここで働けるのも、あなた方がいて来ればこそ。私はそのお礼がしたいのです」

「お礼、ですか」塩見が言うと、習志野は「はい」と言って続けた。

「よろしければおもてなしを差し上げたいのですが」

「その前に聞きたい」

 提案を遮るようにして、塩見はカバンからチラシを取り出し、テーブルに滑らせた。

「これに見覚えは」

 それはミルが持ち込んだ、異世界での配布物。

「失礼」習志野は片眼の老眼鏡をかけてから、それを救い上げた。眉が上がり、視線は上から下へと順に降りていく。

「これをどこで?」習志野が顔をあげ、塩見を見た。

「申し訳ないが、先にお答え頂いてからです」

 習志野は深く呼吸し、それを丁寧にテーブルの上に置いた。

「存じ上げません」

「あなた……!」思わず声を上げる京子を、塩見は静止した。

「ですが」習志野は老眼鏡をしまい、言った。「そこに写っているエルフの女性は、確かにうちの従業員です」

 そして「正確には、だった、ですが」と付け加えた。

「店内も、ここで間違いないでしょう」観葉植物が揃えられている一角を差して、続けた。「おそらく、あちらの一角で撮影されたものです」

 塩見は眼前のチラシを手に取り、カーテンをめくった。たしかに、構図は一致する。

「あの、習志野さん」京子が恐る恐る聞くと、「なんでしょう」と習志野は振り向いた。

「先ほど、だった、と。その分では、その女性は現在、お勤めではないのですか」

「いえ、少々語弊がありましたな。プライバシーに関わることなので、あまり言いたくはないのですが」

 そう言って二人の顔を伺う習志野だったが、答えざるを得ない状況を判断したのか、「産休を」と小さく答えた。

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