15 アンダー・リゾート
「それは」京子は背筋を伸ばして、塩見を見つめた。「それは、過去に関係があるんですね。それも、異世界の」
塩見は答えない。言葉の代わりに、色の無い視線が返している。
「私には何があったのかはわかりません。塩見さんはあまり自分のことを話さない人ですし、そういう人に過去の話を聞くなんて、嫌がられるだけだと思うから。でも、私は思うんですよ。後悔って、結果論だと思いませんか」
京子は自分の肩を抱いて、言った。「同じことをして、同じ努力をして、過去を振り返った。その時点で、成果がでているかどうか。そういうことだと思うんです。その後も続けて結果に満足したら、その時振り返っても、後悔とかないと思うんですよ。物事を続けたときに、いつ時点が成功なのかって話に似てる。塩見さんがこのままお仕事を続けられる中で、塩見さんの満足ってどこでいうのかわかりませんけど、なにかを変えないと、後悔したという事実はずっと残る。それはずっと、塩見さんを苦しめることになると思います。こうして、勤務時間外もずっとそればっかりに縛られて」
京子の話を塩見は黙って聞いている。
「塩見さんが本気で仕事をして関わった人になにかがあったとしても、それは塩見さんのせいじゃない。その人が幸せになればそれで良いのに、その人が不幸になったときは後悔する。そうして塩見さんの周りには後悔ばっかり。それって、もったいないことだと思いませんか」
問には、答えは返ってこない。その間を埋めるように、ウェイターがサンデーをテーブルに置いていった。塩見は手のひらを返して京子に食べるよう促すと、ようやく口を開いた。
「それはお前の価値観だ、越中島」両手で頬杖をついた塩見は、独り言のように続ける。
「お前の言っていることもわかる。だがそれは、幸せな人の考え方だ。結果という形でなにかが終わるから、先に進める。新しいスタートだとか継続だとか、そいつによるだろうがな。だが、いつまで経っても答えが得られないことというのもある。それは常に、人生につきまとう。何をするにも、開放してくれやしない。そいつに取り憑かれたら、それで最後なんだ。俺は後悔というものは、そういうものだと思っている。そして」
塩見は、窓の外を見て、言った。
「それこそが、俺がここにいる理由だ」
窓の外は、いつの間にかネオンが輝いている。行き交う人々の人種も変わり、夜の街の形相がそこにはあった。店内の時計は七時半を指している。
「コーヒー、冷めちゃいましたね」
振り向けば、京子が無理に笑っていた。
「食べてたらお腹、冷えちゃいました」
塩見は笑い、アメリカンコーヒーを二つ頼んだ。
「すごい。これがニュー・アンダー・リゾート」
ロビーへ向かう階段、振り返れば京子が店の景観を見上げながら口を開けていた。
「まさかこの私がキャバクラに来ることになるとは思いもしませんでしたよ。それも男の人と、よりによって上司と」
「良かったじゃないか」塩見は上段で手招きしながら言った。「貴重な経験ができて」
京子は大げさにため息をついたあと、渋々階段を登り始めた。
「さすが、経験豊富な人は言うことが違いますね」
「相当根に持ってるな」通り過ぎる京子に、塩見が言う。
「当たり前じゃないですか」京子は上段で振り返り言った。「就職して間もないころに上長に放って置かれるほど、心細いことはないですよ」
塩見は目を丸くして言った。
「お前にも心細いとかあるんだな」
「気遣いのくだり、覚えてます?」
「褒めてんだよ」
「わかりにくすぎます。0点です」
「そりゃ、どうも」
二人はドアをくぐり抜け、真っ直ぐにフロントに向かった。
フロントの女は塩見を見るなり、笑顔で会釈している。塩見は胸ポケットから取り出した名刺をカウンターに滑らせた。
「経営者に会いたい」
受付の女はそれを両手で拾い上げ、塩見の顔を何度か見返していた。ロビーで待つように言い残し、奥へと消えていった。
「想像していた通りですけど」京子が塩見のシャツをひっぱり、言った。「私、めちゃめちゃ浮いてますよね」
京子はリクルートスーツだった。ただでさえキャバクラの女性客利用は多くない。
「気にしたら負けだ。経費で酒が飲めると思って、楽しめ」
「この環境でそれができたら大物ですよ」
「お前ならできるさ」
「だからそういうのいらないんですよ」
やがて、一人の男が現れた。一段と格式高いスーツに身を包んでおり、それなりのポジションについている事が伺いしれた。その男は塩見の顔と名前を確認したあと、「こちらへ」と案内を始めた。メインフロアを横目に、奥のエレベーターへ通される。
「地下があるんですね」エレベーターの中で京子が小声で言った。
「俺も初めてだ」
塩見の言葉を聞いて、京子の表情に不安の色が入った。
「まぁ、大丈夫だろ」
エレベーターはすぐに開いた。
目の前には広がるフロアは薄暗く、絢爛豪華な一階に比べ、幾分落ち着きがあった。観葉植物のインテリアがひしめきあっている一角や、川を模した水路がガラスの床下でライトアップされていたり、異世界人のキャバ嬢達の格好も、都会的なドレスではなく、樹木の葉を模していたり、毛皮のような素材のビキニスタイルだったりと、自然回帰的な意匠が見て取れる。塩見は眉間に皺を寄せた。
「こちらです」
最奥まで進んだところで、男は立ち止まり、草の意匠が施されたカーテンをめくった。個室の壁面には鉱石が用いられ、革製の大きなソファが二つと、枯木のテーブルがあった。促されるままソファに腰掛ると、「こちらでお待ちください」と言い残し、男は去っていった。
「なんかすごいところですね、ここ」京子は荷物を置きながらキョロキョロしている。「表で働いていた女の子も露出多いですし、なんか、野生的というか」
草意匠のカーテンが閉じられ、フロア向こう側は見通しが悪くなった。天然素材ばかりが用いられているためか、都会にいることを忘れさせる。
「気にいらないな」塩見は不快感を顕にした。「アンダー・リゾートか。よく言ったもんだよ」
「どういうことです」
「連中、異世界人を動物かなにかと勘違いしてるんだろ」
不機嫌なのを隠そうとしない塩見の態度に、京子はそれ以上聞くのを辞め、話題を変えた。
「誰が来ますかね」
「そもそも来ないかもな」塩見はジャケットを雑にソファに掛けながら言った。「せいぜい御用聞き担当だろう。いい酒飲まして有耶無耶にする作戦かも知れない」
「なるほど」
「だがまぁ、それでも上等だ。やり方によっては、あのじいさんへの足がかりとなる。鬼が出るか蛇が出るか、楽しみにしておこう」
そしてその時はすぐにやってきた。
「失礼します」
カーテンの外から声が聞こえ、二人は姿勢を正した。やがて、カーテンがゆっくりとめくられ、一人の男が入室してきた。その男の姿に、京子は思わず息を飲んだ。
「こ度のご来店、心より御礼申し上げます」
グレーのツイードスーツに身を包んだ、白髪の男。
「経営者の習志野と申します」
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