13 フラッシュバック
業務中、塩見は嫌な視線に悩まされた。背後に立つ、京子が元凶である。
出勤時より、彼女はそっけなかった。そっけなさで言えば塩見の専売特許であるが、今日に限っては京子のそれが上回る。まるで不審人物を観察するかのように、疑いの目を向け続けているのだ。お陰で居心地が悪い。
「今日は塩見主任から勉強させて頂きます」というのが、京子の最後のセリフだ。
とはいえ、ここを訪れる異世界人というのは、数にして多い訳では無い。異世界人の入国条件は大変厳しく、それだけに入国希望者の情報は事前に割れる。ツアー的な大所帯も前もって把握できるため、それほどの激務にはならないのは救いだ。平時は取り立てて忙しくはない。入国審査官の仕事は、量より質だ。
「越中島」
塩見はモニターに目を走らせたまま話しかける。
「なんでしょうか」
淡泊な返事だった。見なくても、態度が悪いことがわかる。
「言いたいことがあるなら言え」塩見は言った。「客が来なければ仕事は見せられん。いつまでもそうしていたら、時間の無駄だ。給料は税金から支払われているんだぞ」
「よく言えますね」即座に返事があった。「その貴重な国税で毎晩飲んだくれている人が」
塩見は思わず振り向いた。机に伏せながら眉を細める京子と目が合う。
「まったく、よいご身分ですよ。楽しいですか? いいですね。かわいい子とお酒が飲めて」
「お前、何か誤解しているぞ」
「誤解?」京子は鼻で笑った。「そう、私は誤解していたんですよ。主任はとても真面目な方だ、仕事にストイックなんだって」
京子はまるで舞台女優のように手ぶり身振りをしている。
「それが、キャバクラですよ。それも遅刻早退まで。何が悲しくてこんな上司の背中を見なくちゃならないんですか。涙がちょちょきれますよ」
いつになく辛辣な京子に、流石の塩見も顔が歪んだ。
「事情を説明しなかったのは、関係ないお前を巻き込まないためだ」
その言葉に、京子の頬はげっ歯類のそれのように膨らんでいった。塩見は特大の溜息をついた。
「約束できるか」塩見は首元を直しながら言った。「業務に支障をきたさないと」
「できます!」京子の返事は早かった。
「分かった」
塩見は椅子を回転させ、モニターを指さした。
「これを見ろ」
京子は一段降り、モニターを覗き込んだ。来日者データベースだ。
「ここ一年の就労者をフィルターしたものだ。条件は、女、そして水商売」
数十名の名前が連なり、そこにはミル・クレ・イープの名前もある。
「このうち、すでに帰国した者を除外すると」リストから数名が消えた。
「意外と減りませんね」
「他の仕事ならこうはならない。水商売が優良物件とは、なんとも皮肉なもんだが」
日本の文化になじめない異世界人は少なくない。覚悟が半端なものは、結局すぐに帰国することになる。
「そして、ここ数日の調査で分かったことなのだが」
「キャバクラですね」京子はモニターから逸らさず言った。「キャバクラ」
塩見は喉を鳴らし、キーボードで短い単語を叩いた。すると、リストには数人だけが残った。
「これは?」京子が聞いた。
「就労先をニュー・アンダー・リゾートに絞った。そしてこれが」塩見はエンターキーを叩いた。「在籍が確認できなかった者だ」
画面には顔写真付きの個人情報が映し出されている。人数は六人。
「そんな」京子は息を飲んだ。「多すぎる」
「この一年でこれだけの異世界人の行方が分からなくなっている。これは異常だ」
入国の際にあれだけの調査。長期滞在は就労を義務付け、旅行でも保証人あるいはツアー会社への登録が必要になる。行政による定期的な調査も行われている中、六人の異世界人が消えた。
「たまたま休みだった可能性は?」
「それはない」塩見は即答した。「連日通った。社交性の高いやつも一緒でな、シフトも聞いた。この六人に共通して言えるのは、既に辞めたということだった」
京子が首を捻った。
「どうして辞めたんだろう」
「どういう意味だ?」塩見が訪ねる。
「考えてみてください、異世界人の働ける所は多くないんですよ。それわかってて、簡単に辞めますかね」
「うーん」今度は塩見が首を捻った。「本人に聞いてみないことには」
塩見は顎を触ったあと、閃いたように言った。
「越中島、お前、仕事を辞めたくなったことは?」
「ありますよ」京子は即答する。「上司がキャバクラに行っていると知ったときとか」
「茶化すなよ」塩見は眉間を押し込んだ。
「あとはまぁ」唇に人差し指を当てた京子が言う。「友達が自分より給料が良かった時とか」
「結構俗物的なんだな」
「何言ってるんですか。お金は大事です」
「そうだな。金は大事だ」塩見は頭を掻いた。「だから人は働くんだからな」
塩見はそこまで言って思った。異世界人にとって、金の価値とは何か。
「そっか。そういうことか」
京子が胸の前で手を打った。合わせて、口が大きく開いている。
「どうした」
「そういうことなんですよ、塩見さん」
「だからそれじゃわからん」
「仕事を辞めた理由です」京子は塩見に迫った。「異世界から来てまでお金が欲しかった人が、どうして仕事を辞めたのか。それは、お金よりも大事なものができたからじゃないですか」
少女のような京子の眼球に、塩見の姿が映っている。
「そして、女の人にとって、お金よりも大事なものと言えば」
京子はそう言って、その両手で下腹部をさすった。
「子供か!」塩見は思わず指を鳴らした。
「仕事は辞めないといけないけど、好きな人とも離れたくない。だから、隠れるように日本に残っているのだとしたら――」
塩見はモニターに向かい、何かを調べた後、内線をかけた。何かデータを寄越すようにいうと、素早くそのデータを開いた。
「やはり」塩見は唾を飲んだ「これを見てみろ」
モニターには、一枚の表が映し出されていた。タイトルは入居者予定リスト。とある物件の空き情報を示している。
「この物件は、異世界人をある条件で優先的に招き入れていてな。その入居者と、予定者のリストだ。今年だけで十名の異世界人の入居が決まっている。そして、ここだ」
そこには、件の六名の名前が記されていた。
「その条件は」塩見は、言った。「日本人との子を身籠っていること」
その言葉に、京子の血の気が引いていった。
「異世界との混血児を、向こう側に返すわけにはいかない。日本は、そういった子供を一か所に集約し、保護することにしたんだ。観察、研究するためにな」
「そんな話、一度も」
「当たり前だ。こんな話、おいそれとしていい訳が無い」
塩見はネットを操作し、マップを表示させる。
「だが現実問題、それは起こり得る。その問題を前にして、どうするか。日本が取る方法はいつも合理的だ。日本の文化になじめない人でも、容易に受け入れられる環境が、そこにはあったんだよ」
マップがぐんぐんと拡大されていく。そしてそれは、ある所で止まった。
「新木場。東京五輪の、旧選手村だ」
京子の脳裏に、検見川の言葉が浮かんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます