10 その男、蘇我

 新舞浜集合パーキング。新舞浜の海上開発地区において、最も海側かつ高所に位置する、新舞浜の急所だ。新舞浜に車で来ようとすれば、必然的にここを利用することになる。広大な面積に五百台以上を収容するが、イベントがあれば混雑の原因ともなり、対して何もない平日、それも夜ともなればガラガラで、吹きっさらしの海風が肌寒いほどだ。

 そんな一角に、一台の車が停まっている。その車内に、塩見はいた。

「なんでお前なんだよ」

「それはこっちのセリフっすよ、塩見さん」

 助手席に座る塩見が悪態をつけば、食い気味で返答があった。声の主は運転席をリクライニングし、ダッシュボードに両足を乗せた若い男。長身痩躯に黒のスラックスを貼りつかせ、第三ボタンまで開け放たれたブルーのシャツからは、無駄のない胸筋と乳首が見えている。

「あーあ。入国審査課だって言うから、受付のかわいーい女の子と一緒にいられると思ったのに。俺ちゃん、がっくし」

「相変わらずの減らず口だな、蘇我」

 蘇我と呼ばれた男は、わかりやすく舌打ちした。

「何を好き好んで、おっさんに片足突っ込んだ男とキャバクラにいかにゃならんのよ。そう思いません?」

 飄々ひょうひょうとした男の態度に、塩見はため息をついた。

「遊びじゃないんだぞ」

わーってわかってますって」

 蘇我義彦そがよしひこ。見た目も中身もチャラチャラしたこの男こそが、千葉県警が寄越よこした若い刑事だった。塩見とは面識がある。

「もうすぐだな」

 時刻は二十時を迎えようとしている。夜の店が活発になるころだ。そしてその中に、ニュー・アンダー・リゾートはある。

「再確認っすけど」蘇我が言った。「今回の任務は就労状況確認。俺らは普通の客として店内に侵入、かわいいお姉ちゃん達とお近づきになりながら、リスト内を照合。可能なら勤務状況の聞き出し、いない子達の所属を確認。怪しまれないようにパーっと飲んで、経費はそっち持ち、と。オーケーすか?」

 脚色された内容に、塩見は肯定する意欲をなくした。

「リストの異世界人だが」

 塩見がカバンを漁ろうとした時、その視界に蘇我のピースサインが入り込んだ。

「いらないっすよ。きっちりここに入ってますから」

 そう言って、親指を自分のこめかみに向けた。

「俺はお前ほど記憶力が良くないんだよ」

 塩見は車内灯をつけ、リストに目を落とした。

「いやっすねー、おっさんは。老化現象じゃないっすか」

「うるさいぞ。言うほど歳は離れてない」塩見が反論すると、「心構えの問題っすよ」とやはり食い気味で返ってきた。

 リストは全員が女。エルフが大半で、残りは猫人族、犬人族。皆、人間でいえば成人したばかりの初々しさがある。共通して言えることは、日本人の感性にマッチする美貌を有していることだ。

「そう、その子、かわいいっすよねー!」

 蘇我がうち一人を指示した。猫人族だ。

「この切れ目、そしてこのフサフサの耳! くぅー、たまらねぇ。今日いるといいなー!」

「そっちの方も相変わらずだな」

 蘇我は自他ともに認める異世界人好きだった。蘇我との面識の理由でもある。

「つれないっすね、塩見さん。そうだ、どうせなら女の子の好みとか教えてくださいよ。俺んとこ回ってきたら、交換してあげますから!」

 身を乗り出す蘇我から、コロンの香りが上がってくる。塩見は鼻をつまみながら答えた。

「好みなど、無い」

 一気に不機嫌そうになった塩見をみて、蘇我は肩をすくめた。

「つまんね。そんなんだから、老けるんすよ」

「ほっといてくれ」

 塩見がリストをしまうと、蘇我は見計らったように座席にかけてあったジャケットを器用に羽織った。

「じゃ、いきますかね」

「ああ」

 二人は同時に車外に出た。


 新舞浜ニュー・アンダー・リゾート。渦が日本に現れたのと同じ年に開業した、日本有数の異世界キャバクラだ。新舞浜が整理されるのと時を同じくして着工し、他の追随を許さない規模と売り上げを誇る。厳しい規制により異世界人は海外に渡航できないため、事実上、世界最大ということになる。オープン当時は「異世界人も働ける飲食店」という触れ込みで、実際にそこに働く異世界人は決して多くはなかったのだが、評判が評判を呼び、今ではフロアスタッフ全員が異世界人となっている。これは数年前から変わっていない。

「さっすが、いつ見ても違うねぇ」

 絢爛豪華な店構えを見上げた蘇我が言った。高級ホテルのようなエントランスは人で賑わっており、そこがその手の店だということをあまり感じさせない。ガラスを多用した設計によりフロント内部までが外から見通せるようになっており、その透明性の高さが、キャバクラ独特の陰湿な感じを和らげている。中で応接するスタッフはスーツをバシッと決め込んでおり、一流のおもてなしがクリーンな印象を与えるのだ。

 騙されるな。塩見は心の中で強く念じた。

「俺はこういった店を利用したことが無い。頼む」

 隣でポケットに手を突っ込んでいる蘇我は、首から上だけをゆっくりとこちらに向け、口角を上げた。

「んじゃ、こういうのはどうっすか。俺、職場の先輩。気遣いのできる俺は気を利かせて、赴任してきたばかりの地味上司をキャバクラで持て成した――。これで行きましょ」

「なるほど」塩見は唸った。「流石のキレ味だな。一部設定が気に入らないが」

 塩見の悪態に、蘇我は悪そうな顔で鼻を鳴らした。

「まぁ、任せといてください。こちとら、こういうのは経験豊富なんで」

 蘇我はそういうと、コームを取り出し、髪型をセットしなおした。

「そんじゃ、いきましょっか。塩見専務」

 専務は無いだろ、と塩見は言いかけて、飲み込んだ。

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