6 新舞浜
新舞浜。そこは日本の新たな名所である。
異世界への渦がここ日本に降臨してから、早十年。その間、異世界は常に世界の話題の中心であり続けた。世論は資本家や思想家、科学者から大統領まで、ありとあらゆる場面で白熱し、それは日本を激動の時代へと巻き込むに至る。
そんな政治的な背景はともかく、舞浜は異世界と繋がってしまっている。こうしている間にも、異世界人はどんどん流入し続けている。日本が最も対策しなければならないのは国外の敵ではなく、国内に侵入してくる異世界人だった。
かくして、治外法権的な政令指定都市「新舞浜」はなし崩し的に設定された。幸い、交通網を整理すれば土地は余っている。いくつかの埋め立て地は結合され、そこに、日本人と異世界人が共存するエリアが設けられたのだ。
そんな新舞浜の一角に、塩見の姿があった。夜はすでに深く、健全なお店は全て閉まっている。暗い路地を抜け、地下へと続く階段を下った先に、目的地はあった。今時レトロで重厚な木製扉を開けると、ぶら下がっていた鐘が鳴り響いた。
そこはバーだった。壁一面に木があしらわれ、都会の喧騒を忘れさせる。薄暗い店内はランタンで照らされ、古いオーディオ機器からはジャズが流れている。店内のテーブルには客が数名。塩見はまっすぐにバーカウンターに向かった。
「誰かと思えば」
その声と同時に、塩見の前にショットが差し出された。塩見はまだ何も頼んでいない。
「お主が現れる時はいつも突然じゃな、葉介」
しかし塩見も、それをさも頼んだかのように、当たり前に飲み干した。
「邪魔するよ」
塩見の眼前には、妖艶な少女が、意味深な笑みを浮かべて立っていた。空のショットグラスを滑らせれば、白く華奢な手がそれを包む。麦を連想させる頭髪に、店の雰囲気に似合わない浴衣姿。一番目を引くのは、頭の上に乗せられた、大きな耳。例によってそれは、まるで意思があるかのように動いている。
「誰とて大切なお客様じゃ。邪魔なことはなかろうて。今日もマスターに用事かえ?」
「済まないな、
「たまにはわっちに会いに来てくりゃれ。
しばらくすると、奥から強面の男が出てきた。とても
「そう邪見にするなよ。善良な市民を相手にさ」
「どうだか」男はため息を吐き捨て、カウンターに立った。
「お前さんが来たら、その内半分は面倒ごとだ。そして今日は、面倒ごとだな」
「ほう、その心は」
塩見が試すように返すと、男はモスコミュールを滑らせながら答えた。
「シャツを着ている」
男の指さしに、塩見は「なるほど」と唸る。
「仕事帰りに立ち寄るとくれば、そう思うさ。違うか」
「ご名答」そう言って塩見はモスコミュールを口にし、
「話が早くて助かるよ、葛西」と答えた。
葛西と呼ばれたその男は、肩をすくめた。
夜が深まり、いつの間にか店内に客はいなくなっている。
かばんから取り出したプリントを、塩見は無言でカウンターに滑らせた。手元で止まったそれを、葛西は拾い上げる。
「エルフか」
返事をする代わりに、塩見はモスコミュールに口をつける。
「それも、べっぴんさんだ。出るところによっちゃあ、大金を生むだろうな」
したり顔の葛西が、プリントを手元に置いた。険しい表情の塩見を見て楽しんでいるようだ。壁面に並ぶ瓶に手を伸ばしながら、「目的は?」と尋ねる。
「社会見学、だそうだ」
「ほう、それは大層なこって。それで? なんの問題がある。就労先がないとか」
「就労先はある。あるんだが……」
「場所がまずいのか」と葛西。
「ニュー・アンダー・リゾート」
「なるほどな」
葛西は首をさすった。今のやり取りで、見当はついた。
「俺は思うんだけどな、塩見。人生ってのは、他の誰の物でもねぇ。そいつが行きたいっていうなら、行かせてやるのが大人ってもんじゃないのか」
カウンターによりかかり、手元のロックグラスを眺める葛西は、自分に言い聞かせるようにこぼした。
「言ったって、そいつらは俺達の何倍も生きているんだ。他人に同情する暇が、どこにある。奴らの時間に巻き込まれたら、俺達はあっという間に骨と皮だけになっちまうよ」
エルフの寿命は人間の十倍。だから、時間に関する価値観がまるで違う。時は金なり、人の多くが時間を金で売り、また多くの人が時間を金で買っている。だがそれは、エルフには当てはまらない。悠久の時間を精霊とともに生きる彼らとは、根本的に違うのだ。
「そのお嬢ちゃんがこの先どんな経験をするかは知らんが、自分のケツくらい自分で拭くだろう。いや、拭かせればいい。違うか?」
「違わないさ。……だが、事態はそう簡単じゃないんだ」
塩見はカバンからもう一枚、チラシを取り出した。渦港でミルから預かった、あのチラシだ。
「なんじゃあ、こりゃあ」
「こいつは、そのエルフが持っていたものだ。すでに街中に配られているらしい。明らかに日本の印刷技術を使って作られている。誰かが意図的にあちら側に散布しているとしか考えられない」
「まじかよ」思わず喉を慣らす葛西。
「そこに写っているエルフのキャバ嬢は、ミルが言うには同年代。すなわち、未成年だ。そして本題だが」
塩見はミルが写ったプリントを人差し指でトントンと小突いた。
「この女はイープ家のご令嬢。イープ家ってのはな、俺達でいうところの、天皇の家系。つまりは、皇女様だ」
「なにぃ!?」
大声が店内に響き渡る。店内を掃除している耶霧の耳が、ピクリとこちらを向いた。
「異国の皇女をキャバクラで働かせているなんて世間に知られてみろ」
強面の葛西も事態の大きさに顔が青ざめていく。
「他に誰か知っているのか」
「いや。渦港を除けば、お前だけだ」
「くっそ! やっぱり面倒ごとじゃねぇか!」
葛西はそう言って頭を抱えた。規模のでかい面倒ごとに巻き込まれ、ひどい頭痛に襲われている。話を聞いてしまったのが運の尽きだ。
「これで俺達は、彼女をあのリゾートで働かせる訳には行かなくなった。しかし、彼女は日本で働きたがっている。さらに、俺の入国拒否手続きに対して、彼女の家族から意見書まで届く始末だ。三度目の入国拒否は絶望的。……そこでだ」
塩見は高く上げた腕を葛西の肩まで振り下ろした。パン、と軽快な音が鳴り響いた。
「ちょうど人手を欲しがっていただろ」
「……俺んとこは駆け込み寺じゃねぇ」
落胆する葛西の背中越しに、耶霧と目が合った。聴力の優れた彼女には事情は全て筒抜けのようだ。塩見は片手を振り、
「明日、俺の部下がここに連れてくる。あとは頼んだ」
ポケットから取り出した小銭をカウンターに並べ、そのまま店を出て行った。
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