5 そのエルフ、ミル・クレ・イープ
渡航者を前にしてため息など失礼極まりないのは重々に承知しているが、それでも、塩見はため息をつかざるを得なかった。目前には希望に両目を輝かせる女性が、その眩しい視線をこちらに向けている。
「一応お伺いしますが、来日目的は?」
と塩見が半眼で聞くと、
「社会勉強です」
と力強く返ってきた。
「では、働く予定はありますか」
「ニュー・アンダー・リゾートです」
苦いものでも口にしたような顔をしている塩見に対して、対面する女性の表情は一切崩れない。お人形さんのような笑顔に、塩見はただただ落胆するしかなかった。無駄とは分かっていても、確認しなければならないのが、塩見の仕事だった。
「そのお店、どんなお店か知っているんですか」
「はい。日本一さぁびすのいい、飲食店だと」
ニュー・アンダー・リゾート。舞浜に隣接する繁華街「新舞浜」に構える有名店。その実態は水商売店であり、わかりやすく言うなら、「異世界キャバクラ」である。働いている女性の多くは異世界人で、そういう需要に見事マッチした同店は瞬く間に人気店になった。
「まぁ、間違いではないですが」
かつて異世界ゲートが現れて間もない頃、異世界交流を円滑にしたい政府は、「新振興地区特別雇用条例」、通称「新舞浜条例」を限定的に制定した。日本全国に数多ある繁華街だが、異世界人を風営法のもとに働かせられるのは、新舞浜条例が有効なここ、新舞浜のみである。
「すごいですよね。日本と言えばお客様商売で有名なのに、その中でも一番のところで働かせてもらえるなんて。私は幸せものです!」
ところが、目の前の女性はそれを理解している様子はない。年の頃は十代の半ば。モデルのようにすらっとした体躯に、程よい膨らみの胸元、驚くべきほど白い肌。美少女といって差し支えない容姿は、彼女の種族特性を色濃く映し出している。
「楽しみだなぁ。どんな毎日が待っているのかしら」
そう言って白金の髪を耳にかければ、その特徴的な耳の形が露になる。
彼女の名前は、ミル・クレ・イープ。異世界はエルフ族のご令嬢である。
「ミル様。何度お越しいただいても、結果は変わりませんよ」
「なぜです?」
このミル様、既に来訪は三度目である。一度目は目的不明で強制帰還、二度目は塩見によって帰還させられた。理由はその年齢である。
「生後168年。エルフ族である貴方様は、まだ未成年ではないですか」
エルフの寿命は人間の十倍近いことが判明している。彼女の容姿を見れば、それが事実であることは疑いようもない。儚げな女子をキャバクラに見送るなど、目覚めが悪い冗談である。
「未成年、というのが良くわかりませんけれど。生命の価値を生きた年月だけで図るだなんて、愚かしいことではありませんか?」
塩見が苦戦する理由はこれだった。この少女、どういう訳か妙に弁が立つ。そこに世間知らずが上乗せされており、この上ない強敵として立ち塞がっているのだ。
「その点はおっしゃる通りかもしれませんが、ここは日本です。未成年は働かせられませんよ」
「貴方も頑固者ですね」
「お互い様です」
ミルは子供がいじけるように頬を膨らませて見せた。穢れのない肌は餅のようである。そして、挑戦的な目をこちらに向けている。
「貴方がダメでも、お店はそうは言っていませんよ」
「なんですって」
ミルは肩かけのカバンから一枚の便せんを取り出し、カウンターに乗せた。
「ほら、この通り」
それは明らかに日本の技術によって作られた印刷物だった。目を見張る美人と、不格好な異世界文字が並んでいる。
『未経験歓迎! 日本人に最高のおもてなしをしてみませんか? エルフ・猫人・犬人族は優先採用! 若い子なら即採用!』
「……これはいったいどこで手に入れたので?」
「ラマンタの街で配られていましたわ」
「なんてこった」
ラマンタの街と言えば、森に住まうエルフにとって唯一の都市だ。渦から比較的近いと言っても、フルマラソン程度の距離はある。そんな場所に、こんなものがばら撒かれているとは。
「どういう技術かは存じ上げませんけれど、ここに写っているエルフの女性、これは私と同年代ですよ」
「本当か」
指示された先には、ソファに座って客に酒を振る舞うエルフの少女が写っている。確かに若く見えるが、十倍の寿命を持つエルフの年齢感は、いまいち良くわからなかった。化粧をしているのが、それをさらに分かりにくくしている。
「エーテルがまだ定まっていませんもの」
「は」塩見が聞き直すが、「エーテル」と短く返ってきた。塩見は眉間の皺を小突いた。
「エーテル、と言えば、確か魔法を使うときに、どうとか」
「あら、貴方は博識でいらっしゃるのね」
エルフの笑顔に、「どうも」と返すしかない。
「私たちエルフは、エーテルが定まると旅立ちが許されるんですよ。ほら、ここ」
指さされた場所を塩見が見ても、そこには印刷により再現された店の風景しかない。
「つまり、そのエーテルがどうとかすると、一人前と認められる、と」
「そう、なりますわ」
自信満々の返答に、塩見は活路を見た。
「その一人前になる、というのが、成人するということです。成人していない人は未成年となりますね」
「あ」
言質を取られたミルは、大きく開いた口を手で覆い隠した。
「そういう訳ですので」
「ちょっとまってくださいぃぃ!」
カウンターに広げられた入国許可証に、ミルの両手が覆いかぶさった。塩見は勢い余ってその手に「入国拒否」の番を押しそうになった。
「私、どうしても働きたいんです」
「それなら、祖国でお国の為に働かれては」
「日本じゃなくちゃダメなんです!」
悲鳴のような声が響き渡る。これには隣のカウンターで事務処理を続ける京子も、何事かと首を上げた。
「……なにかご事情があるのですね」
少女は俯き、スカートの裾を握りしめていた。
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