4 課外活動

 ロータリーに、高級外車がぽつりと停まっている。越中島はそこに向かって慣れないヒールで駆けていく。運転席を覗き込み、間違いないことを確認すると、助手席側に回った。

「おはようございます。お待たせしてすみません」

 手招きされ、その鍛えられた尻を助手席に滑りこませる。

「おはよう、越中島君。なに、時間通りだよ。気にしないでくれ」

 運転席に座る検見川が言った。普段より何割り増しかでバッチリしたスーツに身を包み、ハンドルを握るその腕には有名な高級時計がぶら下がっている。

「ちゃんとスーツを着てきたか。結構結構」

「すみません。リクルートスーツしかなくて」

「謝ることはない。それはそれで、似合っているよ」

 オシャレに頓着がある方ではないが、それでも検見川のスーツを比べるには随分とバツが悪かった。似合っているという言葉が、素直にうれしくない。

「じゃあ、さっそく向かおう」

「はい」

 車はなめらかに加速していく。

 舞浜国際渦港のロータリーは、海上にある。夢の国を迂回する形で幹線道路が整備され、その多くは橋構造によって支えられている。埋め立てるのがいいか、橋がいいか。議論は多くあったようだが、いったいいつまで存在するかわからない渦のために地形を変えるのは果たしてどうなのか。世論はそこに至った。

 道はそのまま東関東道に繋がっている。そして新木場の複雑な立体交差を抜け、少し行った所で車は停まった。

「少し待っていてくれたまえ」

 返事を待つより前に検見川が降りて行った。目前にはゲートがあり、何やら守衛と話し込んでいる。しばらくすると守衛は頭を下げ、検見川はさわやかに片手であいさつをし、こちらに戻ってくる。

「待たせた。目的地はこの先、もう直ぐだ」

 ゲートの先には、高層マンションが立ち並んでいた。計画性をもって整備されたのは一目でわかる。

「ここってもしかして、東京五輪の」

「そう、かつての選手村だよ」

 窓越しに見える街並みは、豊洲のような高級地のようにも見える。一方で、

「あれは……ドワーフ族、ですか」

 そこに歩く人々は、日本人というには肌が濃く、どれも恰幅のよい体格をしている。

「そうだ。この一角は、在日労働者達が多く住んでいるんだ」

「彼らが」

 在日労働者は、異世界から招聘しょうへいした日本の新たな労働力だ。高齢化を迎えた日本は、特に力作業分野で働き手不足に悩まされた。そこに、異世界人は抜群にフィットした。とりわけドワーフ族は肉体強度が高く、その上手先も器用だった。いまや、日本の工事事業の殆どにドワーフ族が派遣されている。彼らは理性的で結託が強く、目的を共有しやすかったのがそれを後押ししている。

「今や、日本には無くてはならない存在だ。彼らが力仕事を担ってくれているから、現場の人間もより長く働けるんだ。世論はどうだかしらないがね」

「そう、ですね」

 異世界人による公共事業への参入に不快感を示す人種は少なからずいる。「一国一民族主義だがかんだか知らんが、そういう連中は外国人に対しても同じような反応を示す。個人の主観をどうこう言うつもりはないが、メリットだけは冷静に受け止めてもらわないと」

 車は駐車場の一角に停まった。降りると、けたたましい工事音が聞こえてくる。振り返れば、小さなな公園を挟んだ向こう側に、鉄筋が組み上がっている。

「はい、これ、被って」

 検見川は後部席から真っ白なヘルメットを取り出した。越中島はそれを受け取り被る。検見川のあまりの似合わなさ具合に吹き出しそうになるのを必死に堪え、その背中についていく。

「お疲れ様です」

 検見川は担当者の一人に声をかけた。担当者は丁寧にもヘルメットを脱ぎ去り、頭を深々と下げた。

「順調のようですね」

「おかげ様で。一時はどうなるかと思いましたが、まったく、検見川様には感謝しきれませんよ」

 担当者の笑顔は本物だ。検見川も、悪い気はしていない様子だ。

「それは良かった。彼らは?」

「ああ、ご案内しますよ。こちらです」

 担当者に連れられ、敷地内を歩く。鉄筋はすでにかなり組み上がっており、ところどころにコンクリートが敷き詰められている。

「工事は順調です。このまま行けば、夏までにはおおむねが。完成検査を含めて、八月までには引き渡しができると思います」

 担当者は「あちらです」と言って手のひらを向けた。その先には、筋骨隆々とした男たちの背中がある。彼らは重そうな鉄パイプをいとも簡単に拾い上げ、足場を作り上げていた。素人目から見ても、かなり早い。

「仕事は丁寧ですし、早い。ちゃんと管理者の指示も聞きます。中にはより良い方法を提案してくれることもあるそうです。呼びますか?」

 その問いに検見川が「お願いします」というと、担当者は声を上げた。男たちの中から、ひときわ立派な体格の男が振り返り、駆け寄ってきた。

「おお、検見川の旦那じゃないですかい。お元気そうで」

 男はタオルで額の汗を拭きながら、満面の笑みを浮かべている。血管が浮き出る程の筋肉、ダンディズム溢れる髭、そしてどこか愛らしさを感じさせる恰幅。ドワーフ族だ。

「リギルさん、お久しぶりです。お変わりないかと思いまして」

 途端、検見川の態度が軟化した。静電気がおきそうなほど鋭い普段とはまるで別人のようだ。

「それでわざわざここに? そりゃあご苦労なこって。こっちはこの通りピンピンしてますわ」

「そうですか。お仕事、大変じゃあないですか?」

「とんでもない。向こう側に比べたら、天と地の差ですわ。管理者はしっかりやってくれているし、何より作る物のくらいが違う。こんなすごい事業に関われるなんて、俺ぁ幸せもんです」

 リギルは豪快な手ぶりで感動と感謝を表している。

「ご無理なさらないで下さいよ。何かあったら、いつでも我々に連絡してください」

 検見川の言葉に、

「心配せんでも大丈夫です。でも何かあったら、きっちり連絡させて頂きますんで」

 そう言って再び現場に戻っていった。


「お疲れさん」

 再び車に戻ると、検見川は後部座席にヘルメットを放り投げた。汗で乱れた髪型に、京子はまたもや吹き出しそうになるのを堪えた。

「こういう仕事もするんですね」

 車が動き出してしばらく、特にコメントのない検見川を見かねて、京子が言った。

「入国審査官って、ずっと渦港にいるのかと思っていました」

「ああ、その認識であってる。これは特殊だ」

 そう言って検見川は電子タバコを口にくわえた。煙の出ないタイプのようだ。

「あそこで働いているドワーフ達は、塩見が入国させたんだよ」

「塩見さんが?」

 信号で停止する。検見川がたばこを挟んだ指でパネルを操作すると、おしゃれなジャズが流れ始める。

「あのドワーフ達は就労の為に来日したんだが、到着時点で就職先が倒産していてな。入国できない状態になっていたんだよ」

 よく聞く話だ。異世界人が来日するためにはビザ、すなわち根拠ある理由が必要となる。最も効力があるのが就労だが、そこには口約束なんかもあったりして、途方に暮れる来日者も少なくない。

「ドワーフの住処ってのは、あの渦からも相当に遠くてな。連中の足でも数か月らしい」

「数か月!?」

「そうだ。そこを門前払いってのは気が引ける話だが、しかし就労先は無い。一方で日本には働き手がいない。マッチングの問題という訳だ」

 検見川は電子タバコを胸ポケットにしまい、続ける。「そこで塩見は入国処理を進めながら、雇用先を見つけたんだ。伝手つてって奴でな」

「あの塩見さんが……」

「意外か?」

「正直いうと」

「まぁそうだろうな」

 検見川は軽く吹き出す。

「そしてそれを許可したのは俺だ。結果として就労先があるんだから問題なさそうに見えるが、経緯が経緯だ。何かあったのでは、我々の責任になる。役所の連中に任せておくのも不安だしな。そんな訳で、直接視察に来ているわけだ」

 車は再びゲートを抜け、首都高速に入っていく。

「あの建物、なんだと思う?」

「さっきの、建築中のですか? 何ができるんです?」

「小学校だよ。保育園併設のな」

 京子は思わず目を見開いた。

「学校ですか? この少子化の時代に?」

「どうしてあの場所にそんなものが必要なのか。当然の疑問だな。調べてみろ。俺達には知らぬ存ぜぬでは済まされない問題ってのが、そこにはある」

 振り返れば、豪華な高層ビルが陽光を浴びて煌めいていた。立体交差の上を走る車からでは、そこで働いている人々を視認することはもうできなかった。

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