2 その女、越中島

 門、と呼ばれるものがある。

 これは異世界と接続されたワームホールが鎮座する部屋と、それを隔離する目的で作られた要塞との間に設けられた、金属製の扉である。日本の技術の粋を集結して作られたそれは、人を検知して開くという自動ドア的な簡易さがありながら、一方で閉じている間は塵ばかりか気体すらも遮断する高い密閉性を誇る。それだけ緻密かつ厳重な設計にしているのは、それが異世界とこちら側を遮断することのできる、唯一の手段であるからだ。

 その門を含む空間は、図面で示せば漏斗ろうとのように先細りした構造になっている。門を含む面が漏斗の注ぎ口だとするなら、先細りした通路の向かう先が、日本との国境を意味する巨大施設「舞浜国際渦港まいはまこくさいかこう」である。

 この長い通路には、道中、様々な機関が設けられている。荷物検査、生体検査、疫病検査と各種検査機関が並び、その先には入国審査室と、日本戸籍仮発行所がある。日本に訪れた異世界人は、入念な検査と煩雑な手続きをもって、初めて日本への入国が許可されるのである。

 そしてそんな通路で最も広い敷地を確保しているのが、入国審査室だ。

 そこに、塩見はいた。

「どうしてもだめですか?」

「許可できません」

 塩見は卓上に広げられた羊皮紙を丁寧に丸め、押し返した。カウンター越しには、今にも泣き出しそうな少女が立っている。それも、いかにもか弱い女性にありがちな、ふええ、という声に、塩見はため息をついた。

「お気持ちはわかりますが、決まりは決まりですので」

 嘘泣きのつもりは無かったのだろうが、それでも塩見がなびかない様子を見て、女子絵はひどく落胆している。

「どうしよう」

 長期滞在の予定だったのだろう。身の丈を遥かに超えたリュックサックが、それを物語っている。

「お気持ちはお察しいたします。ですが、決まりは守っていただく必要があります」

 塩見はカウンターの下で指を回しながら、横目で門の方を確認した。後続者がいないことに安堵し、しかし突っ返すのにていの良い言い訳を失い、思わず眉間みけんを抑えた。この戦いもすでに数分。そして時間は有限である。塩見は説き伏せるように言った。

「そんなに難しいことでしょうか。何も、一生そうしなければならない訳ではないのですよ。数週間の我慢です。就労先が決まれば、それこそあっという間です。お察しするに、よほどの想いがあって来日されたようですが、それを考えればその程度のことは」

「わかっています。わかっているんです。でも、わたし、わたし……」

 感極まった少女は、手にした帽子を握りしめ、言った。

「耳過敏症なんです!」

 少女は顔を真っ赤にし、地面にへたり込んだ。一級品の毛皮の外套がいとうが広がり、そのすそからは、猫の尻尾しっぽのようなものがはみ出している。そしてそれは、動いている。

「何度も練習したんです。でも、これを被ると、どうしても、耐えられないんです」

 涙を浮かべ、頭を抱え込む。抱え込んだ腕の隙間からは、猫の耳のような突起物が見える。そしてやはりそれも、動いている。

「どうしても、無理なんです!」

 彼女は猫人族だった。

 猫人族は圧倒的に女性が多い種族であり、一般的に成人していても小柄である。比較的数も多く、ここ日本に訪れる数もそれなりに多い。何よりも特徴的なのは、まるで取ってつけたかのように生えている尻尾と、猫耳である。

「これは、そんなあなたを守るための処置なんですよ」

 塩見はカウンターを降りて、床に転がっていた帽子を拾い上げた。少女に差し出せば、まるで幽霊を見るかのように恐れおののいている。

 優れた聴力を持つ猫人族は、それゆえに日本の音環境に適応するのに時間がかかるという。電子機器などから発せられる非可聴域のノイズが、体調に良くない影響を及ぼすらしい。時差ボケというのには安直だが、たいていの場合は数日もすれば環境に適応できるそうで、初めて来日する猫人族は「来日より起算して十三日間の帽子着用」が日本異世界国際法によって義務付けられているのだ。

「でも、わたし、ただでさえ敏感で、耳を触られるだけでもおかしくなりそうなのに……こんなゴワゴワした布でこすれたりしたら……考えるだけでも」

 繊細なのは聴力だけではなく、触覚においてもそうだ。満員電車の中など、迂闊うかつに激しく接触してしまえば、大変なことになる。その辺りの身のこなしを覚えるためにも、必要な時間ということだろう。

「そうですか。それでは残念ですが」

 塩見は彼女の前にひざまずき、右手をしめした。その指が向かう先には門があり、それを見た少女の目から光彩が失われていく。

「やだ、やだ。無理無理。だって、ここに来るとき、約束しちゃったもん。絶対、沢山またたび買って帰るんだって」

「では乗り越えるしかありませんね。なんなら、私が手伝って差し上げましょうか」

 その言葉に少女は固まる。尻尾が雷に打たれたように跳ね上がる。

「すぐ終わります。すぐ慣れます。さぁ、日本の地を踏むために、あと少しの努力を」

 持ち上げた帽子を広げ、少女の頭上にかざす。そのまま帽子を被せようとしたその時、

「ちょっと貴方、何をしているの!」

 女性の強い声が、響き渡った。女性は駆け寄り、二人に割って入る。

「怖がっているじゃない。なんてことを! ほら、もう大丈夫ですよ」

 女性は猫人族の少女の肩に腕を回し、塩見から遠ざける。安堵したのか、少女は女性の胸を掴み、震えていた。

「貴方、いったいどういうつもりですか」

 女性の鋭い視線が塩見に向けられた。

「お手伝いを」

「お手伝いですって? これが? 無理やり女性の頭髪を触ろうとするなんて、セクハラ、いえ、強制猥褻わいせつになったっておかしくありませんよ」

 女性の年の頃は二十台の前半、快活で芯が強そうな印象を与えるショートカット。物おじしない所は証左だろう。塩見はその女性の身なりを見て、違和感を覚えた。

「ささ、お客様。あちらに参りましょう。相談室がありますから」

「で、でもわたし、またたびを買わないといけなくて……」

「ご安心ください、またたびなら、渦港かこうでも買えますよ。よろしければ私が……」

 そう言って、女性と少女は鉄扉の向こう側へ消えていった。

「あの制服。……まさかな」

 塩見は頭を掻き、カウンターに戻った。


 その日の午後、職員控室である。

「という訳で、本日付けでこの入国審査室に加わることになった新人君だ」

 眼光鋭い検見川が、眼鏡を直しながら、隣の制服姿の女性に自己紹介を促した。

越中島えっちゅうじま京子きょうこです」

 京子はバツが悪そうに答えた。思わず、対面する男性から目線を逸らした。

「塩見葉介だ。主任審査官をしている」

 三割増しで不愛想に答えたのは塩見だった。胸を張り、姿勢は士官として見栄えはいいが、肝心の京子が眼中に入っていない。その様子に、京子の顔の血管が少し浮き出た。

「越中島君。この塩見が、君の担当教官となる。塩見はこう見えて優秀だ。鍛えてもらえ」

 そう言って、検見川が部屋から出て行った。

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