塩見 ~異世界入国審査官~

ゆあん

1 その男、塩見

 他人の溜息ためいきを心地よいと思う者はまれだろうが、それが上司のものとなればなおのことだろう。ましてや狭苦しい事務室で向かい合い、他者不在の状況で繰り出されれば、どうだろうか。

 塩見しおみ葉介ようすけは、まさにそんな状況に置かれていた。今しがた、眼前がんぜんで頭を抱えている上司の検見川けみがわが、特大の溜息を吐きだしたところだ。理由はわかっている。無機質な鉄製机に置かれた一枚のプリントに、その答えはある。

「一応、言い訳を聞こうか」

 付き合いが長ければ、相手の癖は自然と把握する。どんな心理状況によってそれが引き起こされているかまで理解してしまうのは、悲劇なのかも知れない。検見川はこういう時、決まって首筋を掻く。面倒くさいことに直面すると出現する、ストレスのサインだ。因みに頭を掻く時は苛立っているとき、腕を掻く時は早く帰りたいときだ。

「俺は道徳観を説いたのです」

「ほう」

「ついでに、日本国憲法を少々」

 物怖じしない塩見の態度に、検見川はますます頭を抱えた。首を通り越した腕がぐるっと回り、さながらヨガのようなポーズで、器用に頬杖をついている。骨のある塩見を買っている検見川だが、融通が利かないところが悩みの種でもある。

「彼女は社会勉強のために日本で働くと言ったのです」

「たいへん結構じゃないか。いったいなんの問題がある」

 悪びれない塩見の態度に、検見川の言葉にも苛立ちが隠し切れない。貧乏ゆすりは鉄パイプの椅子にヒステリックなヒップホップを刻ませている。

「その働き先が、あのニュー・アンダー・リゾートと聞いて、同じことが言えますか。いまや大都市舞浜において『第二のすすき野』とまで言わしめる、あの魔境に」

「言える。そんなもの、本人の自由だろう。ええーと、ミルクレープさんの」

 検見川は細ベゼルの眼鏡を直しながら、手に取ったプリントに視線を泳がせた。そこには一人の女性が写っている。

「ミル・クレ・イープさんです」

「そうだ、そのおいしそうな、なんとかイープさんの、自由だ。日本国憲法を高らかにうたう君だ、憲法十三条を知らん訳ではあるまい」

 雑に放り投げられたプリントは、塩見の前に滑り込んだ。そこに映る女性と目が合う。

「基本的人権の尊重ですね。しかし検見川課長。我が国には青少年保護育成条例というものが市町村ごとに制定されております。舞浜を管轄する千葉県には千葉県の青少年保護条例というものがあり、これによれば未成年者における夜間の外出には……」

「だから!」

 ダン、と鈍い音が部屋を揺らした。

「彼女はエルフだろうが!」

 力強く握られた検見川の拳が、机に打ち付けられている。難を逃れ風圧に舞うプリントを追求するように、検見川が指をさす。

「よく読め! 年齢のところに、一体なんて書いてある!」

 眼前のプリントに写る女性は、およそ日本人とはかけ離れた外見をしている。頭髪は金とも銀とも言える色彩で、その肌は絹よりもきめ細かく、そして白い。なにより、人間のそれよりも随分ととんがった耳が異彩を放っている。名前の欄には日本語とも英語とも異なる文字が書かれ、その上に「ミル・クレ・イープ」とカタカナでルビがふられている。性別は女性に○が、年齢のところには見慣れたアラビア数字が並んでいる。

「168です」

「そうだ、お前が読み上げたのは身長じゃない、彼女の年齢だ! 貴様の言うところの憲法とやらでは、生後168年の女子は成人とは言わんのか」

 語気を強めた検見川は、足を組んで豪快に頭を掻きむしった。

「お言葉ですが検見川課長。エルフ族の寿命は、我々の十倍と言われています。ホモサピエンスを先祖に持つ日本人に置き換えれば、十六・七。思春期真っ只中の少女を成人というには、少々無理が」

「それは我々日本人の尺度だろうが。あちらさんにはあちらさんの解釈がある」

「ここは日本です、課長」

 その言葉に、検見川は再び頭を抱え、深い溜息ためいきをついた。

「いいか、塩見。俺はお前の働きを評価している。正直を言って、お前がいてくれないと困る。だからこその容認だ。こんなこと、誰にだって許されることじゃあない。一体今月だけで、何件のクレームが来ていると思う。俺はその度に、あの難解な異世界語で頭を下げにゃならんのだぞ。それだけで済んでいる事が救いだというのに」

 腕を掻き始めた検見川を見て、塩見の良心が痛んだ。腕時計を見れば、既に四十分が経過している。議論で時間を消費することは税金の浪費。塩見の良心も痛まない訳ではなかった。

「ご苦労をお掛けします」

「分かればいい。お前の価値観を否定はしない。だが、もっと要領よくやれ。それとな」

 スーツとネクタイを手早く直した検見川は、クールインテリと評判の体裁を整えた。塩見にだけ見せる激情家の一面は、そこにはない。中指で眼鏡を直し、それは告げられた。

「喜べ、新人だ。お前の下につけた、育て上げろ」

「は」

 呆け顔の塩見の肩を、検見川の手が叩いていく。

「うまくやれよ」

 塩見が何かを言う前に、検見川は部屋を出て行った。


 十二年前。夢の国「舞浜」は、突如として異世界と繋がった。

 異世界は異次元ワームホールと共に現れた。それは、舞浜を代表するテーマパークの敷地半分を飲み込み、今もなお、そこに在り続けている。

 ワームホールは異世界との物流を無損失で実現していた。白濁した渦のように見えるそれに触れれば、次の瞬間には異世界の土地を踏んでおり、再び触れれば、今度は舞浜に戻っている。日本時間と異世界との時間価値は等倍であり、旅客機に乗って海外に行くのと大差なく、むしろ移動時間を要さないだけ優れているとさえ言えた。

 異世界は多くの点でファンタジー文化と酷似していた。文献、おとぎ話、そういった想像の産物とされてきた物語が、現実のものとなった、と言ったほうが理解を得られるだろう。例えば、広大で美しい自然は未知の動植物達の楽園でもあったし、一方で、科学では解明困難な超常現象が「魔法」という文化として存在したり、おおよそ人と同じながら身体の一部に特異点を持つ人種もあった。彼ら亜人種は言葉を解し、異世界語と呼ばれる共通の言語でコミュニケーションを行う社会性を有していた。

 世界は驚愕した。カルト科学者によってその存在が示唆しさされていた異世界だが、こうも完全な姿で現れるとは、誰も思わなかったのだ。よりによってそれが「オタク文化発祥の地」日本で起こるとは。世界では様々な憶測が飛び交った。

 兎角とかくそれ以来、日本は異世界とインスタントに繋がってしまった。放っておけば、異世界人が無尽蔵にやってきてしまう。それは、無制限に移民を受け入れ続けるのと同義。島国日本において、それは国の滅亡を意味した。

 これを危惧した日本政府は、異世界を海外として想定、そこに国境を設けるべく、「舞浜国際渦港まいはまこくさいかこう」を設立。完成し運用開始されたのが、十年前である。

 塩見は、ここ舞浜国際渦港に務める、国家公務員である。職種は、入国審査官。その職務は、入国を試みる異世界人を適正に審査すること。これは、異世界語を介すものしか就くことが許されない、超難関職であった。

 

 そんな塩見にとって、検見川とのこの一幕は、取るに足りない日常の一ページに過ぎなかった。まさかこれが、後の日本に大きな影響を与えた一大事件に繋がっているとは、誰も予想はできなかった。

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