第30話 先生が付きます

「なるほど。社交ダンスを……」


 俺が事情を説明すると、ルルネは何かを考えこむように俯いた。

 顎に手を置き、眉間にしわを寄せるその表情はあまりにも真剣で、何となく話してみただけの俺にとっては、少しばかり罪悪感の感じる状況ですらあった。


「ちなみにその日時は?」

「3日後だ。それまでに基礎くらいは身に着けたいんだが」

「3日後ですか……」


 するとまたもやルルネは、思案顔で何かを考え始める。

 別にそこまで深く考えてもらうつもりはなかったのだが。

 表情が真剣すぎるゆえ、俺は何も口出しすることはできない。


「アマネ様は何か言っていましたか?」

「いや、特には。ダンスを覚えるのだって、言ってみれば俺の自己満足だし」


 別に俺は誰かに言われたから社交ダンスを覚えるわけじゃない。

 それに当日だって、できることなら踊らないで済ませたいとすら思っている。


 だけど世の中そんなに上手くはいかないもので。

 パーティーの最後には必ず社交ダンスがあるし。

 その場にいる者なら、嫌でも踊らなければならない。


 まあ誰にも誘われなければ、見ていることもできるかもしれないが。

 いざ踊るとなった時に、慌てふためくのだけは嫌なのだ。


「まあ3日あれば何とかなるだろ」


 とか適当なことを言いつつも。

 正直内心ではビビりまくっている。


 相手の足を踏まないで踊れるかとか。

 足が絡まってこけたりしないかとか。

 それはもう不安だらけで、逃げ出したくなっているレベルだ。


 もちろん知らない人と踊るつもりはない。

 踊るとしたら、おそらくは同行者であるアマネさんとだろう。


(あの人、ダンス上手いのかな……)


 なんて余計なことを考えそうになったが。

 今は他人の心配より、自分の心配をするのが先だ。


 未だ参考になりそうな本は見つかっていないし。

 このままだと間違いなく、貴族たちの前で恥をさらす羽目になる。

 

 それだけは死んでも嫌なので、俺はダンスを覚えなくてはならない。

 そのためにも今は、こんなところで時間を割いている暇はないのだ。


「悪いルルネ、俺そろそろ――」

「なら、私が教えてあげましょう」

「へっ……?」


 そろそろ目的の本探しを再開しよう。

 そう考えていた俺に、ルルネは突然そんなことを言ってきた。


 アマネさんしか眼中にないあのルルネがだ。

 これには俺も、自分の耳を疑う他ないだろう。


「今なんて?」

「だから、私がダンスを教えてあげるって言ったんです」


 一度聞き返してみるも、やはり聞き間違いではないようで。

 どうやらルルネは、本気で俺にダンスを教えてくれるつもりらしい。


「というかお前、ダンスとかできるのか?」

「当然です。私も淑女として、そのくらいの嗜みは備えていますから」

「そうなのか。ちょっと意外だな」


 俺がうっかり本音を漏らすと、ルルネは少しばかり顔をしかめた。

 が、特に何も言ってくることはなかったので、俺は苦笑いをして誤魔化した。


「とりあえず。私なら十分教えられると思いますし、あなたも本で読むよりは、直接人に教授してもらった方が覚えやすいでしょう?」

「まあ確かにそうかもしれないが……」

「なら、何も問題はありませんね」


 そう言うとルルネは、本を片手に何処かへと向かおうとする。

 その背中からはどことなくやる気が感じられる気もするが……。


「今からやるのか?」

「もちろんです。あまり時間がないですからボサッとはしてられませんよ」


 するとルルネは不意に立ち止まり、俺のことをビシッと指差した。

 そして「いいですか?」と前置きすると、真剣な表情でこう言ったのだ。


「今日から3日間、私はあなたの先生です」



 * * *



 なんやかんやでルルネにダンスの指導を受けることになった俺。

 初めこそ参考書を頼りに1人で練習しようと思っていたのだが。


『私に任せてください』


 という頼もしい言葉を聞いたがゆえに。

 俺はそれらしき本を一冊も借りることなく、書庫を後にしたのだった。


「いいですか。早速始めますよ」


 そして今はルルネに連れられ、FGハウス2階の剣技場にいた。

 この場所は以前アマネさんと2人で剣を交えた場所で、うちの団員ならいつでも好きな時に利用できるスペースとなっている。


 だがしかし——。


 やはり気になってしまうのは、周りからの視線だろう。

 以前はここでアマネさんと2人でいるところを見られてしまったがゆえに、根も葉もないでたらめな噂を流されてしまったわけで、今回もルルネと2人きりでとなると、やはりその辺りの不安は自然と付いてきてしまう。


「どうかしましたか?」

「ああいや、何でもない。始めてくれ」


 そんなことを思いつつも、一応周りを確認してはみた。

 するとどうやら今は、そのような野次馬は誰もいないようだった。


 入り口にもそれらしき気配は全くないし。

 当然この場にだって、俺たち以外の団員は誰1人としていない。


(じゃあ何であの時だけ……?)


 なんて一瞬疑問に思ったりもしたが。

 よくよく考えれば、その答えはあっという間に出てしまった。


 ”一緒にいたのがアマネさんだったから”


 この言葉である程度のことは説明がつくだろう。

 あの日2人でカフェに行った時だってそう。

 良くも悪くもあの人は、誰もが憧れる有名人だ。


 そんな有名人と一緒にいれば、当然注目だってされる。

 あいつはアマネさんの何なんだ? なんて話のネタにもなる。


 だがそれはあの人がすごいからであって。

 俺という人間に焦点を当てて注目されているわけではない。


 もちろん注目を浴びたいとは、これっぽっちも思っていないが。

 それでも考えてしまうのは、自分という人間がいかに劣っているか。

 あの人の隣にいる時しか、存在を認識されていないのだと思うと、俺とて思うところは少なからずある。


 まあ劣っているのは事実だし、別に気にはしていないのだが。

 それでも冒険者の端くれとしては、少しくらい名を馳せたいと思う時もあったりして——。


「……さん。レンさん!?」

「お、おお……どうしたいきなり」

「どうしたじゃないですよ。ぼーっとして。具合でも悪いんですか?」

「いや、別にそういうわけじゃない」

「ならちゃんと集中してください。あと3日しかないんですから」


 ルルネのそんな言葉で、俺はふと我に返った。

 思えば今、あまり良くないことを考えていた気もするが。

 あらかた間違いでもないので、否定できないのが少し虚しくも感じる。


 まあだからと言って、俺は何か特別なことをしようとは思わない。

 とりあえず今は3日後のパーティーに向け、社交ダンスの基本を覚える。

 やるべきことの最優先は、間違いなくそれだろう。

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