第14話 初夜の返事

「あ、アマネさん」

「ど、ど、どうしたっ?」

「いやあの……む、胸が……」

「……ひゃっ!! しゅ、しゅまんっ……」

「い、いえ、俺の方こそ……」


 そう言ってピクリと肩を弾ませるのは、すぐ隣で寝そべっている彼女。

 まるで禁忌に触れてしまったかのごとく、瞬く間に俺から身体を遠ざけると、白い頬を真っ赤に染め、布団の中であたふたあたふた。


「えっと、アマネさん」

「にゃ、にゃんだっ……!?」


 俺が一度その名前を呼べば、彼女の顔の熱は中温から高温に。

 今にでも湯気を吹き出しそうなくらい、急激に沸騰して見せる。


「やっぱり俺は床で寝た方が」

「そ、それはダメだっ……!!」


 だからと言って俺が布団から出ようとすれば。

 彼女はそれを全力で止めようとしてくる。


 両手で俺の服の袖をがっちりと掴んで。

 絶対に離そうとはしてくれない。


「こうしてると、あ、あったかいだろ」

「た、確かにあったかい……ですけど」


 おまけに心をくすぐられるようなセリフを、耳元のすぐ近くで。

 加えて吐息なんかも聞こえてくるので、全然気持ちが休まらない。

 というかこんな環境で寝ろというのは、少し無茶が過ぎると思う。


(全然落ち着かねぇぇ……)


 部屋の電気を消したはいいものの、未だに俺のまぶたはバチバチ。

 先ほどから何度か目を閉じてはいるが、一向に眠りにつける気がしない。


「な、なかなか寝つけませんね」

「そ、そうだな」


 しかしそれは俺だけが思っているわけでもなく。

 すぐ隣にいる彼女も、どうやら同じ気持ちのようだった。


「月、綺麗ですね」

「た、確かにそうだな」


 だからこそ沈黙だけは何としても避けたい。

 そう思った結果、こうした身も蓋もない世間話へと繋がっていくのだ。


「そ、そういえばアマネさん。体調の方はどうですか?」

「あ、ああ。もうだいぶ良くなったとは思う」

「そうですか。なら良かったです」

「そういうレンはどうなのだ?」

「えっ、俺ですか?」

「レンは湯船でのぼせたりはしなかったのか?」

「それはまあ、してませんよ」

「そ、そうか。普通そうだよな」

「普通はそうです」


 俺がわざと強調して言うと、アマネさんは不意に視線を逸らした。

 布団の陰で顔をギュッと強張らせているので、実は結構恥ずかしいらしい。


「というか、なんで1時間も温泉に浸かってたんですか?」

「えっ? な、なんでって……それは……」


 そして今度はバツが悪そうに、目尻をとろんと下げて見せる。

 この様子だと、何か人に言いたくないような理由でもあるのだろうか。

 何にせよ、無意味に長風呂をしていたわけではなさそうだ。


「夜空でも見てたんですかね。今日は雲ひとつない快晴ですから」

「そ、そうそう夜空! 私こう見えて星が好きなんだっ!」

「へ、へぇー……」


 突然声音が上がったあたり、おそらくは嘘なのだろう。

 どうやらこの調子からして、のぼせた理由を話すつもりはないらしい。


「そ、そんなことよりもレン!」

「は、はい」

「レンはその……ちゃんと温泉を満喫できたのか?」

「ああ、そうですね。満喫とまではいきませんけど、ある程度には」

「そ、そうなのか。それは申し訳ないことをしたな……」

「いや、何でそこでアマネさんが謝るんですか」

「だって……」


 すると今度は、露骨に落ち込んだ表情になる。

 ついさっきまでは恥ずかしがっていたはずなのに。

 本当にこの人は、色々と忙しい人だ。


「湯船にも浸かれましたし、身体も流せました。なので俺は十分ですよ」

「そ、そうか。クンクンクンクン……」

「ちょっ、何で匂い嗅ぐんですか」

「あ、いや、すまない。何だかいい匂いがすると思ってな」

「いい匂いって……。ただのシャンプーですよこれ」

「んー、でもなんだか落ち着くような……クンクンクンクン……」


 そう言うとアマネさんは、目を閉じながら顔を俺のすぐそばへ。

 鼻先をピクピクと動かしながら、俺の髪の匂いを嗅いでいるようだ。


(近い近い)


 これほどまでに接近されては、妙に居心地が悪い。

 どうやら本人は夢中になって気がついていないようだし……。


「あの、アマネさん……」

「ん、どうしたのだレン——」


 ひゃっ——!?


 胸をくすぐるような可愛らしい声音が上がる。

 と同時に、すぐ近くに迫っていたアマネさんは、慌てて布団の端に後ずさり。

 おまけに毛布を両手で掴んで、一生懸命に顔を隠そうとしている。


(気まずい……)


 そして俺たちの間に、しばらくの沈黙が流れる。

 時間が経てば経つほど、なぜか胸の内がくすぐったくなってきて。

 終いには彼女の方を直視できないほどに、俺は困惑してしまっていた。


「えっと……その」


 何か言おうと口を開くが、出てくる言葉はぎこちない。

 だからと言ってこのままやり過ごせるかと言われたら、おそらくは無理。

 でも状況からして、うかつに話しかけていい場面でもなかった。


 ならばどうする——。


 そう考えた結果、俺の身体は自然と逆側へと向いた。

 アマネさんには背中を見せるように向き直ると、ほんの少しだけ心が落ち着いたような気になれた。


「あ、明日……」


 壁に向かって話すようにすれば、なんとか声も出た。

 なので俺は独り言の要領で、布団の端にいるであろうアマネさんにこう伝える。


「明日は早いので、もう寝ましょうか」

「う、うん」


 するとアマネさんは小さく返事をしてくれた。

 それは普段の彼女からは想像もできないくらいの小声だったけど。

 なぜか俺の脳裏には、その小さな返事が焼き付いたように残り続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る