第12話 のぼせ顔の剣姫

「ん、んん……」

「おっ、目覚めましたか」

「こ、ここは……?」

「旅館です。今は客間を借りてます」

「きゃくま……?」


 アマネさんが目を覚ましたのは、随分と夜が更けてからのこと。

 温泉で倒れたという話を聞いてから、およそ1時間ほど後のことだった。


「えっと、どうして私は寝ているのだ?」

「どうしてって……アマネさん覚えてないんですか?」

「覚えて……?」


 小首を傾げているので、どうやら覚えてはいないらしい。


 あの後。

 俺がアマネさんと別れ、旅館の待合所で仮眠をとっていると。

 突然、慌てた女将さんに叩き起こされたのだ。


『お連れの方が温泉でのぼせてしまって!!』

『ふぇぇぇぇぇ!?』


 眠気を忘れバッチリと目を覚ました俺は、すぐさま案内された客間へ。

 するとそこには温泉を楽しんでいるはずのアマネさんが、ゆでダコのような真っ赤な顔をして布団に横になっていたのだ。


『アマネさん大丈夫ですか!?』


 俺が大声で呼びかけるも、アマネさんからの反応はなく。

 瀕死な顔つきで「ぴぇぇ……」と、謎の吐息を漏らしているだけだった。


『様子を見に行ったら湯船に仰向けに浮いていらして……』

『湯船に……ですか……?』


 女将さんの話を聞くところ。

 どうやらアマネさんは、長く風呂に浸かりすぎてしまったらしい。


 なんでも1時間以上も温泉から出てこなかったのだとか。

 今回はタイミング良く女将さんが発見したからいいが、一歩間違えば大惨事になるところだった。


『すみません、ご迷惑をお掛けして』

『いえいえ。大事にならなくて良かったです』


 連れの不祥事ということで、当然俺は謝罪した。

 いくら村のご好意で温泉を貸してもらっているとはいえ、こうして客間を使わせてもらうのは、旅館側にとっても迷惑でしかないから。


 しかし女将さんは、俺たちをとがめようとはしなかった。

 それどころか布団や冷たいタオルまで用意してくれて、アマネさんの回復に惜しみない協力をしてくれたのだ。


 流石はガイドブックに載るような有名温泉。

 今回改めて人間としての器の広さを実感したわけだが。

 これ以上女将さんに手数をかけるわけにもいかない。


 それに俺たちは今日、日帰りの依頼でここに来ている。

 荷馬車の契約だって今日限りだから、何としても今日中にアストラの街へと帰らなければならない。


 ということで。

 アマネさんが目を覚まし次第、俺は早々に村を出発するつもりだった。


 ところが——。


『よろしければ、今晩泊まっていかれませんか?』


 なんと女将さんは、一晩泊まっていっても構わないという。

 しかも、宿泊にかかる料金は全てタダ。

 この客間を朝まで自由に使っていいのだとか。


『流石にそこまでは……』


 もちろん一度は断ろうとした。

 しかし女将さんは、ぜひ泊まっていってほしいと。

 村のために働いてもらった恩を俺たちに返したいと。

 そう言うのだ。


『じゃ、じゃあお言葉に甘えて……』


 そこまで言われてしまっては、俺も断ることができず。

 迷惑を承知で、今晩はこの旅館にお世話になることにした。


 とはいえ。


 正直なところ、女将さんの配慮には救われた。

 帰らなければならないとはいえ、のぼせたアマネさんを荷馬車に乗せて長時間揺らしてしまっては、良くなるものも良くならない。

 色々な点を踏まえ、最悪の場合、荷馬車の中での野宿も考えていたので、今回は本当に女将さん様様だ。



 * * *



 ということがあり今に至るわけだが。

 ようやく目を覚ましたこの人は、その何もかもを知らないのだろう。

 今だって「あれっ? あれっ?」なんて言いながら、旅館から借りた浴衣を物珍しそうに眺めていた。


「いつの間に浴衣を……」

「風邪ひくからって、旅館の女将さんが貸してくれたんですよ」

「女将さんが……? ってことは、私たちは今日ここに泊まっていくということか?」


 悪びれるそぶりも見せず、そう尋ねてくるアマネさん。

 正直彼女が上司じゃなかったら、めちゃくちゃ説教かましているところだが。

 流石に俺の様な下っ端冒険者が、ギルド最強の剣士である”天翔ける剣姫”に向かって説教することはできなかった。


「いいですか。良く聞いてください」


 なので、立場をわきまえて事情を説明することにする。


 彼女だって一応はFGマスター。

 話の意を汲んで、自ら反省してくれることだろう。


「——ということです。なので今日は安静にしててください」

「そんなことが……。レン、本当にすまなかった……」

「いえ、俺は何も。ここまでしてくれたのはこの旅館の女将さんなので」

「ならばすぐにでも謝罪を……」


 俺が事情を話してすぐ、アマネさんは女将さんに一言謝罪をしようと、布団から立ち上がろうとした。


 しかし——。


「あれっ……」


 身体の調子は、まだ完全に治っていないらしく。

 起き上がってすぐに、バランスを崩してよろけてしまった。


「まだ寝てないとダメですよ」

「す、すまない……」


 俺はなんとかアマネさんの身体を支え、再び布団に寝かす。

 顔色はだいぶ良くなったみたいだが、それでもまだ体温が少し高い。

 これでは1人で歩くのもままならないだろう。


「タオル、交換しましょうか」

「……ああ、頼む」


 ならばと俺は転げ落ちたタオルを拾い、冷水にさらして絞った。


「冷たいですけど、我慢してくださいね」


 そしてそれをすぐさま彼女の額へと乗せる。


「ちゅめたっ……」


 まるで子供のような可愛らしい声が響く。

 と同時に、アマネさんの表情はキュッと引き締まるように変化した。


「このままもう少し安静にしてください」

「本当にすまない。迷惑をかけてしまって」

「いいですよ。それよりも今日は早めに休みましょう」

「あ、ああ」

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