第11話 待ち人来ず

「遅い……遅すぎるっ!」


 私が湯船に浸かってから20分。

 いや、おそらく30分は経過しているはずだ。


 なのに——。


「なぜレンはいつまで経っても来ないのだっ!」


 このどこまでも広い露天風呂に、ずーっと私1人だけ。

 どれだけ待っても、レンが入りに来る気配すらない。


「さっきはあれほど念を押しておいたのに……一体どういうことだっ!!」


 私は我慢を忘れ、思わず両手を水面に叩きつけた。

 するとお湯は『バシャーン!!』と、勢いよく宙を舞う。


「いつまで私を待たせるつもりだっ!!」


 そして今度は鼻までお湯に浸かり、イライラをブクブクに変える。

 両手を水面でバシャバシャさせながら、お湯の中でブクブクブクブク。

 先ほどからこうやって、何度も何度も気を紛らわせているのだが……。


(どうして来ないのだ……レン)


 いくら待ってもレンは、私の元へは来てくれない。

 ただ私は純粋に、彼と同じ温泉に入りたいだけなのに。


「mしふぁおsて……はzかふいのk? (もしかして恥ずかしいのか?)」


 そう思った私は、少し冷静になって状況を整理してみた。


 ここは温泉。もちろん今の私の状態は裸。

 そして入りに来るレンもおそらくは……。


「…………!!!!」


(れ、冷静になった途端、なぜか全身が熱く……!)


 い、一旦落ち着こう私。

 そもそも温泉で裸なのは当たり前のこと。

 だから必要以上に意識する意味はないんだ。


 それはまあ……少しは恥ずかしい気持ちもあるにはあるけど。

 レンに見られるのなら、私は全然……気になんてしないし。


 むしろその……レンが……私の裸を……。

 ほら、一応彼だって男性ではあるわけだし。

 見たいとか……思っちゃうかもしれないし。


「ぷくぅぅぅぅ……!!!!」


 えっ、ちょっと待って。

 もし仮にレンが私の裸を……。

 私の裸を見たいっ……って思ってるとしたら……。


(私ここでどうなっちゃうっていうのー!?)


「んんんんんんん……!!!!」


 動揺して息を全部吐いたら、ブクブクがすごいことに。

 泡で視界が真っ白になった私は、たまらず沈めていた顔を湯船の外に出した。


「ぶはっ!! 死ぬかと思ったぁぁ……」


 と、とりあえず落ち着こう私。

 今はレンのことよりも、まずは自分のことを考えなくちゃ。


「よしっ」


 そう意気込んだ私は立ち上がり、そのまま真っ直ぐ洗い場へ。

 先ほど湯船に浸かる前に一通りは済ませてあるけど。

 万が一に備えて、もう一度だけ身体を流しておこう。


「んんー、シャンプーを2度するのは流石にまずいか」


 一応は私も女の端くれとして、髪は長く大切にしたい。

 となると、やはり気を配るべきなのは身体の方だろう。


「れ、レンに粗末な姿を見せるわけにはいかないからなっ」


 そう自分に言い聞かせ、私はとりあえず前を入念に洗う。

 腰回りだったり、足の付け根だったり、それはもう入念に。


「あれ、そういえば背中……」


 そしてタオルを背中に回そうと思った瞬間、ふと気がついた。

 これはレンに背中を洗ってもらえるチャンスなのではないかと。

 

「せ、背中くらいなら普通……だよな?」


 うちの団員の男たちの話を聞いている分にはそうだ。

 あいつらはよく風呂に入る時、お互いの背中を流しあっているらしい。


 もちろんこれは男性に限っての話だが。

 だとしても彼らは同じFGに所属する仲間な訳であって。

 私とレンだってその……言ってしまえばそういうわけであって。


 だからレンが私の背中を流そうと、特段不思議がる点はない。

 あくまでもそれは仲間同士の付き合いであって、私がレンにどうしても背中を流してもらいたいとか、逆に私がレンの背中を流したいとか、そういう下心があるわけでは断じてない。


 そう、断じて——。


「よしっ、湯に浸かって待つとするかっ」


 温泉に入りたいとか、リラックスしたいとか。

 正直そういうのはどうだっていいのだ。


(何よりも私は、レンと温泉に入りたい!)


 ただそれだけを思って、私は来たるべき時を待つ。

 たとえそれが何分後だろうと。何時間後だろうと。

 私はこの広い温泉に1人で浸かり、レンが来るのを待ち続ける。


「レン、早く来ないかなぁ」



 * * *



 体調に変化が現れたのは、あれから更に更に待った頃だった。


「あ、あれ……視界が……ぐるぐるって……」


 目の前の景色はグラグラ揺らぎ、手足にもまともに力が入らない。

 その上なんだか身体がだるく、鎧を着ているかのように重たく感じる。


(も、もしかして私……のぼせて……?)


 思えばここへ来てから随分と時間が経過している。

 私の感覚からして、恐らくは1時間以上だと思う。


「お、おしょしゅぎるじょ……れん……」


 先ほどまでは夜空を見て時間を潰していたが。

 こうなってしまっては、そんな余裕すら持てない。


(じゃ、じゃあ……今日は諦めてまた……)


 いやいやそんなのダメだ。

 今ここから出れば、せっかくの私の計画が台無しになってしまう。


 わざわざこの村からの依頼を冒険者ギルドから探し当てて。

 頑張ってお願いした結果、レンにも来てもらえることになって。

 依頼が完了した後で、温泉に入るようにうまく誘導もできて。

 そうやって色々と努力して、やっとの思いでここまで来たのに。


「わ、わたふぃは……レンと……」


 私はレンと同じ温泉に入りたい。

 そう頭で唱えた瞬間、夜空と地面が見事に逆転した。


 温泉が上にあって……夜空が下にあって……。

 夜空が下にあって……温泉が上にあって……。


(って、あれ……今私……どっちにいるんだろう……)


 上にいるのか下にいるのか。

 それすらもわからなくなった私は……。


 私は——。

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