第9話 剣姫の本気
洞窟の奥で出会ったそいつは、体調およそ2メートルの巨大ネズミ。
他のアイアンラット同様に身体は銀色の硬い皮膚で覆われており、手足には鎌のように鋭い爪が何本も生えている。
(これはまずいかもな……)
端からモンスターを討伐するつもりで来ているとはいえ、この強敵は想定外だった。
おそらくこいつは中級冒険者、もしくは上級冒険者レベルにならないと倒すのが難しい相手だろう。
頼みの綱であるアマネさんは、暗闇で本来の力が出せないだろうし。
逃げようにも小さいネズミが邪魔をして、思うように逃げることができない。
どうする——。
俺が戦ってなんとかするしかないか?
いや、でもそうなるとアマネさんことが心配だ。
アイアンラットの皮膚は、ハンマーで叩いても割れないほどらしい。
そんな硬いものがいくつも襲いかかって来たら、怪我するどころじゃない。
俺がデカイ奴を相手している間に、アマネさんがやられてしまう。
「クソッ……」
まさか……まさかこんなことになるなんて。
どうせ今日もしれっと依頼を済ませて、何事もなく家に帰るのだろう。
なんて考えていたさっきまでの俺を一発ぶん殴ってやりたいぐらいだ。
(本当……ついてねぇ……)
他に誰かいるならまだしも、俺だけの時に限ってこれだ。
できればアマネさんだけでも逃がしてやりたいところだが……。
「……ッソ……力強すぎんだよ……」
容赦無く攻撃してくるこいつのせいで、どうにもこうにもならない。
せいぜい今の俺ができることは、このどデカイ奴を抑えることくらい。
この安上がりの剣で、どこまで踏ん張ることができるのやら……。
(てかマジで力強ぇぇ……)
カリカリと擦れる剣の音が、追い打ちをかけるように耳を刺す。
買ってからろくに活躍もしなかったこの剣が、まさかこんなところで……。
いや、今はそんなことを考えている場合ではないか。
とりあえずは状況を打破する作戦を練らなくては。
(って……あれ)
よく考えてみれば……いや、よく考えなくとも。
こんな状況打破する術、あいにく俺は持ち合わせていないぞ。
バキッ!!
「あっ……」
今俺の剣から鳴っちゃいけない音がなった気がする。
暗闇なのでよくわからないけど、どう考えてもこれはまずい。
バキッ!!
その音が再度響いた瞬間、俺は静かに目を閉じた。
そして俺は待ったのだ。いずれやってくるであろう、神の迎えというやつを。
(goodbye……forever……)
* * *
「私のレンに触るなぁぁ!!」
轟くようにその声が響いたのは、俺が悟りを開いた直後のこと。
静かに神の迎えを待っていた俺の背後から、その剣は牙を剥いた。
「貴様ぁぁぁぁ!!!!」
まるで宙を舞う白竜のように、勢いよく飛び出した白鎧の彼女は、その凜とした美しい髪をなびかせながら、一直線に巨大ネズミへと斬りかかっていく。
「ハァァァァッッ……!!!!」
風の速さで繰り出される斬撃は、瞬く間に巨大ネズミの爪を剥ぎ。
鋼鉄のように硬いその皮膚を、疾風の如く切り刻む。
キュゥゥゥゥゥ!!!!
反撃する暇も与えず、ただ叫ぶことしかできない巨大ネズミ。
俺では全く相手にならなかったその巨体に、幾多の傷が刻まれていった。
「す、すげぇ……」
悟りなど忘れ、そう口にしてしまうくらい、とても見事な斬撃だった。
動きに全くの無駄がない上、視界に捉えるのがやっとなほどに素早い。
(ひ、人じゃねぇ……)
この光景を見れば、誰もがそう思うことだろう。
普段は決して見せない、冒険者ギルド最強の剣士の力。
今俺は初めてその力を目の当たりにしている。
これが天翔ける剣姫と呼ばれるアマネさんの”本気”。
そしてその本気は間違いなく、俺たち一般冒険者の域を超えている。
「大丈夫かレン!?」
呆気にとられる俺に、アマネさんは心配げに声をかけてくる。
その姿はどこか頼もしく、もうすっかりいつものアマネさんだった。
「は、はい……なんとか」
「すまない。雑魚の相手に手こずってしまって」
「ざ、雑魚の相手ですか……?」
まさか……と思い、俺はおもむろに後ろを振り返る。
するとそこに広がっていたのは、あまりにも衝撃的な光景。
先ほどまで道を塞いでいたはずのアイアンラットたちが、あろうことか一掃されていたのだ。
「これ全部アマネさんが……?」
「ああ、しつこく飛びかかってくるもんだから」
「だからって、この数を1人で……?」
(格が違う……)
それが今の俺の正直な感想だった。
あの硬い皮膚を持つアイアンラットをこんなにも簡単に倒すなんて。
一体この人の実力はどうなっているんだろう。
驚きとかそういう感情よりも、俺はただただ不思議で仕方なかった。
「にしてもアマネさん、大丈夫だったんですか?」
「ん、なんの話だ?」
「だってほら、さっきまで暗闇に怯えてたじゃないですか」
確かにアマネさんはすごい人だが、それでも暗闇は苦手だった。
さっきまでの怯え具合を見るに、到底こんな偉業を成し遂げられるような状態じゃなかったはずだが。
「怖くて動けなかったんじゃないんですか?」
「そ、それはだな……」
俺が問い詰めると、アマネさんはわざとらしく視線を逸らした。
どうやらこの感じだと、もしかしてあれは単なる冗談……?
「アマネさん。正直に言ってください」
「うぅぅ……」
「本当は怖くなかったんですよね」
俺が強めに尋ねると、流石のアマネさんも観念したようで。
重い首をコクリと頷かせると、胸元で両手を遊ばせていた。
「なんであんな嘘ついたんですか」
「う、嘘ではないぞっ? 暗闇が苦手というのは本当で……」
「でもちゃんと動けてましたよね」
「そ、それは……その……」
その後も続けて問いただすと、彼女は素直に全てを自白した。
どうやら暗闇が苦手のは本当らしいが、それも結局は序盤の話。
洞窟に入ってしばらく経ってからは、暗闇にも目が慣れ、ほとんど怖くはなかったらしい。
「じゃあ怯えてたのは?」
続けて俺がそう尋ねると、またもや彼女はモジモジモジモジ。
そんな訳のわからない照れを見せたまま、あろうことかこう言ったのだ。
「だって、怯えてたらレンに心配してもらえるかと思って」
「あなたは俺を殺す気ですか」
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