教室にて
空き教室は大体棟の端にあって、それは大抵少人数授業の際に使われたりする事が多い。
一学年時もオーラル英語において、クラスの半分はこんな感じの空き教室に移動し授業を受けていたので今年も何かの授業の際に使用されるのだろう。
その証拠に、入ると教室内には普通よりも少ない机と椅子がきっちりと列を揃えて並んでいる。
スライド式の扉がガラガラと開く音で、教卓の前に立つ彼女がこちらを見る。
そしてちょうど机に身を預けるような姿勢のまま、先ほど見せた時のように空いた手をひらひらとさせ笑顔を向けた。
「お、きたきたやっほー」
「......ども」
扉を閉めると外の喧騒は収まって、それは教室内の静けさの中に僅かに生徒たちの声が聞こえてくる程度のものになる。
彼女はその教師と生徒を隔てるかのように出来た段差になった部分を軽やかに跨ぎ、俺の方に近付く。
座っていたさっきとは違って視線の向きは逆になり、その整った顔立ちが目に映る。
くっきりと線の入った二重瞼に膨らんだ涙袋、すっと通った鼻筋にほんのり色付く口元は、おおよそ美人とか可愛いとかいう条件を満たしているのだろう。
ぱちりと離そうとしない大きな瞳から逃げるように、目は思わず関係のない方向に逃す。
「立って話すのも何だし、この辺座ろう」
「え、ああ」
そう言って近くの席の椅子を引いて座ると次は自分の前の席に手を差し出すので、言われるままそこに腰を預ける。
「どうも改めまして山本楓です、よろしくね」
「はあ、高田湊、です」
ぺこりとお辞儀をする仕草につられ、こちらもまた軽く首を曲げて返す。
「さて、で、ね」
山本楓は手を静かに合わせるようにして本題に話を切り出そうとする。
そんな彼女のペースでも、口を挟む事なくそのまま黙って予想のつかない次の言葉を待った。
「そんなに改まってする話でも無いかもしれないんだけどね」
「おお」
だってよ村上。
改まってする話で無いという事は、お前の好きそうな系統の話では無いという事だ。残念だったな。
まあそんなものは最初から考えにも無い事だが。
「私とさ、学級委員やってほしいなと思って」
「え、やだ」
疑問、驚きよりも先に子供のような即答が出る。
意図を理解するよりも先に、提案に対する拒否が咄嗟に口をつく。
うーーん、何の話か分からず適当に流されてここまで来た俺が悪いか、そうか、俺が悪かったから、帰ってよいかな。
「いやーやっぱそうなるよねえ」
山本は俺の反応を予想し腹を括っていたのか、次の手はと人差し指を額に当てぐりぐりと回して考える素振りを見せる。
なぜ順調に交渉を進めようとしているのか。
「いや、え、学級委員てこんな感じで裏で根回ししてやるもんなの?」
「いやわかんない、というか違うとは思う」
山本はけろっとした顔で、無邪気に首を振る。
「だよな」
聞いて頷く、一応その認識は双方合っているらしい。
「でもそういうのは関係無くて」
そこで言葉を置いて、山本が一呼吸つく。
少し視線を下にする仕草一つで何か格好がついてしまうような、そんな雰囲気があった。
がすぐさまぱっと目を前の方に戻すと、口元は緩まって笑いかけるような表情で次の息を取り込む。
「私が必要だと思うから、今こうして誘ってる」
一切の混じり気も無いような言葉に乗せて、真っ直ぐに見据える山本の振る舞いには確かな熱量があった。
だからそんな彼女の真剣な眼差しにハッとさせられる、事はなくこちらは至って真顔で返事をする。
「はあ、必要とは」
「学級委員て、クラス単位で見ればいわばリーダー的な存在だよね」
「まあ頭いい奴とか、陽キャがやるイメージだな」
だからこそ俺には全く縁のない話なのだが。
「いや、私的には"誰が"やるかの話よりまず"何を"やるかっていう話の方が大事かな。リーダーとしてやるべき事があるから、適当なノリとか流れで決めないで、こうして対面で提案してみる事が必要ってこと」
山本は口に手を添えるようにして考えをまとめ、そしてすらすらとそれを言葉に発する。
明瞭な声、言葉が耳に入ってきても、まだ理解には届かない。
「......はあ」
「クラスのリーダーとして何をやるか。クラスをまとめて団結させる、っていうのが一番するべき事かな。部活に部長がいるように、クラスにもそういう役が要ると思うの」
そのまま黙って少し頷くだけの俺の方に目を向けながら、なおも山本は続ける。
「集団って、勝手に良くなるものじゃないと思うから。大袈裟かもしれないけど、誰かがやらないと、見てあげないと、きっと上手くいかない」
山本ははっきりと、自分の言葉を伝える。
その実が合っているにしろ間違っているにしろ、これが彼女の意志であるという事に違いはない。
「だから学級委員はすごい大事なポジション。いやなんか、めっちゃ真面目なこと喋った」
言い終わって彼女は前髪の毛先を触りながら、少し照れ笑いする。
毅然とした言葉たちとついさっきの態度とは変わった、相応な少女然とした雰囲気には不思議な感覚があった。
彼女の言っている事の意味は分かる。
だが理解と共感が全く別になる事は、よくあるものだ。
「あのさ、そもそもの話を聞いてもいいか」
これが論点をずらす事になるのは分かっている。
しかしいくら彼女の土俵で話を合わせた所で、分かり得ない事がある。
元々の考え方、感覚が違う。
それは仕方のない事だ。
「クラスが団結って、しなきゃいけない事なのか?」
思ったよりもその声音は暗いものだった。
下を向いて放ったそれは、少し古びて所々が剥がれかけた白の床に向かって落ちていく。
「確かにそうやって団結だの絆だのいうやつには、一般的には価値があるんだろうな」
意趣返しのつもりは無かったが、結果こちらも言葉を繋いで話すようになる。
いや、独り言のような呟きのような俺の台詞は彼女とは全然違うものかもしれないが、山本は耳を傾けているようだった。
その様子がちらりと目に入って、また口を開く。
「それでも例えば。その中に無理やり入れられて上手く笑えない奴らがいても、俺はそれが間違っているとは思わない」
楽しければ笑うだろうし、楽しくなければ笑えない。
だがその尊重されるべき素直な感情は、集団によって無理やり捻じ曲げられる。
結局「楽しんだもの勝ち」のような乱暴な判断基準の割に関係の無い人間まで巻き込んで判定を下す空気に、どうしようもない違和感がある。
「何が言いたいかって、人によって合う合わないがあるって事。そういうのも引っくるめて無理やり巻き込む必要があるのかって話」
そしてなんとか話を着地させ内心安堵する。
上手くまとめずに話し出したから不時着しそうでヒヤッとした。
聞いていた山本は思うよりずっと曇り気のない、むしろどこか楽しそうな表情で俺に笑みをこぼす。
だからその様子に、顔には出ていないだろうが驚いた。
「高田くんって思ったよりちゃんと話してくれるんだね」
「......どゆこと?」
「や、ちゃんと自分の意見を言ってくれるんだなって。正直もっと適当にかわされると思ってたからさ」
「もうそういうイメージをお持ちで」
「まあ、ちょっとね」
「ん?」
彼女の表情が一瞬陰りを見せたような気がした。
なんだこの含みのある感じは。
「まあそれは置いといて」
置くかあ。
何、口調も表情も穏やかなのに怖い。
こういう時に詮索してもう一声、とかすると怒られるのは身内で経験済みなのでやめておこう。
そもそも彼女とは面識がない。
こちらで頭を巡らせたところで、浮かび上がるものは何もないのだから。
「で、団結が必要かって話だけど」
「うん、ああ」
このまま議論が展開されていくのがどこか気まずい感じがして、言葉を濁す。
別にこの持論をもって誰かとぶつけ合う事など、想像していなかったから。
だが前に座る少女からは、そんな俺のような心配は露ほども感じられない。
「じゃあまず、高田くんにとってのメリットから言うね」
山本は両手の指先を合わせてこちらに向けるようにし、そして柔らかに笑みを携えた。
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