山本楓という少女
その後もトモヤスと本当に他愛もない会話を交わしていると、周りに立ち並ぶ背の高い木たちの隙間越しにその少し古びた校舎が見えてくる。
創立70年あたりの7階建ての校舎の外壁は、遠目から見ても所々が色褪せ始めていた。
「なんか騒がしくねー?」
目指す正門の方に目をやるトモヤスにつられ意識を向けると、確かにガヤガヤと騒がしい声が近付いてくる。
その訳は正門をくぐった所ですぐに分かって、何人かの教師たちが生徒達に紙を配りそこに流れては生まれての集まりが出来ているようだ。
「ああ、クラス表か」
「そっかそっか」
ぼそりと呟く俺の言葉にトモヤスも合点がいったようで、軽く首を縦に動かす素振りを見せる。
「はいおはようー。コレ1枚取ってねー」
長テーブルの前にいる若い教師が重なった長方形の紙の層から一枚をめくりそれをこちらに手渡す。
どうもと受け取ると、とりあえずその薄いA5のプリント紙をあとでファイルに入れやすいよう半分に折っておく。
「どれどれ」
取ってそのまますぐ手元に広げたトモヤスの方は早速自分の名前を探しているようで、宝の地図でも見るような嬉々とした表情がふと小学生あたりの頃を思い出させた。
......あの頃はもっと大げさで、始業式かなんかで担当教師が発表されその度に児童たちの驚き喜びの声が体育館中を覆っていたような。
ただぼうっとその様子をよそ事のように眺めていた自分とともに、なんとなくそんな風景を思い出した。
「おー4組。ミナトは?」
言われてようやく探し始めると、間もなく自分の名前は見つかる。
「ん、俺も4組」
「マジかい、ことよろ」
「はいよ」
屈託なく笑うトモヤスはまた名前の羅列に戻り、俺の知らない誰かや何かを言葉に交えて反応を取る。
「......ふう」
「え、何その肩ポンは」
「すまんなトモヤス、話についていけなくて」
「なんでちょっとドヤってる?!」
トモヤスの肩から手を下ろした所で、制服の袖あたりにある薄がかったピンクの花弁に気づく。
正門の前に目立って咲いていた桜が散って付いたのか。
軽く払ったそれは思っていたよりも風に乗りゆっくり前へ地面に向かう。
うっすらと目で追うも、前を通った生徒たちで行方は見えなくなった。
「高田湊、うん。......ん?ああ、部活入ってないんだよな。うん、ミナトで......」
オリエンテーションの合間、こうして近くの男子の集まりに混ざり立っている。
というのも自席の右隣の男子に話しかけられその成り行きで居る訳で、自分から輪に入ろうとしてこうなった訳ではない。
だからと言ってここで無愛想に断るのは何のメリットもなく、一年ここに身を埋める事だしある程度は頑張らんと、という気持ちで席を立ち現在自分のターンが回ってきている所なのだが、ここまで来てやっぱり面倒くさくなってくるのは俺だけなのか。
義務感と本心でごちゃ混ぜになった感情が、きっと今自分の顔を硬らせているに違いない。
「ミナトね。よろしくー」
だが周囲には自分の無愛想が伝わらなかったのか、反対に愛想を持って反応を返す。
少し肩透かしを喰らった気になるがもちろん別に不快にさせるべく取った態度ではないので、ほっと内心胸を撫で下ろした。
......俺には名前の一致しない顔ぶれだが、その後周りは誰々と同じクラスだっとたよなとか、何かそういった感じの会話を交わし始める。
多少様子見する感じはあれど元から友達だった組み合わせもあるのか、眺めていると少しの慣れも見える気がする。
見た感じ、前クラの男子はトモヤスだけか。
去年クラスの外からコミュニティを広げようとしなかったツケをここでようやく実感する。
自分が気負いなくある程度の楽をするにはそれなりの頑張りが必要だ。
それなりのコミュニケーション、愛想、やる気。
他人にとってはそれだけの事が、俺にはなかなか難しい。
HRは存外にサラッと終わり、一年でも貴重な早く帰れる日を無駄にはしまいと内心意気込み帰り支度をしていた所。
早く家帰ってゲームやろうとか何とか考えていたその時。
フワッと香る甘い匂いが、今立ち上がろうかという俺の席の横を過ぎたと思えばその正体はすぐ手前に立っていた。
見上げると一人の女子生徒と目が合う。
色白で目鼻立ちは整っている。
肩あたりまでかかるくらいの黒髪は後ろを少しカールさせ、季節感のある緑色のカーディガンをその細身の体に羽織っている。
いわゆるイケてるグループの雰囲気があって、端的に言えば可愛かった。
「高田くん」
「え、はい」
いきなり呼ばれてとりあえず返事が出る。
パチリと開く瞳も、口元に含まれたわずかな笑みも、なぜ話しかけられたかを察するには不足していた。
「相談があります」
「え?」
「ちょっとあっちの空き教室に来てもらえる?」
「え、いやなんで、空き教室」
「んー、ここだとちょっとガヤガヤして話しづらいかもだから」
辿々しくなる俺の言葉に少し上の方を見て考える素振りをすると、彼女はパッと明るい表情でまたこちらに目を合わせて言った。
「おう......」
「まあ目的は、来ればわかる!」
じゃ〜と彼女は言い残して手を降り、そのまま教室の外を出て行く。
用件は伝わった。だが意図は分からない。
いきなり側を突き抜けていく強風にでも出くわしたかのように、暫しその場で硬直する。
「え、ミナトねえ」
置き去りにされ若干放心しかけていると、隣の席から事の顛末を見ていたのか一人の男子が俺を上回る良い表情で驚いた様子を隠せないようだった。
「いや村上、あの子だれ同じクラス?」
「え、それマジかよお前山本さんだぞ
問われて早口で語る村上の目は潤んで輝いて見えたが、当然言われた所でピンと来るものもないのでこちらは変わらず一本調子で反応をする。
「いや知らん......」
「てか自己紹介も今日あっただろ、ちゃんと聞けよなー」
その学年一可愛いとかいうのは村上の主観ではあるが、実際なかなかの存在感、ルックスだったのでそこそこ有名人なのだろうという予想は確かにつく。
周りはあんまり見ていないっぽくて良かった、見られていたらもっと注目が集まって面倒くさいことになっていただろう。
初見なのは確かなんだよな。
恋バナとか大体聞き流してたせいからかな。
よく話を聞いていないとは言われるがそれはただその時の会話の話題に関心が無くて、頭の中で他の事を考えているか特に何も考えずぼうっとしているかだけの話なのだ。
......まあだからそれを世間一般には話を聞いていないと言うのか。
「ミナト、万が一はないと思うけどもしワンチャンあったらその時はお前を応援する......!」
「行く?俺の代わりに」
勝手に葛藤し始める様子にはあえて反応せず提案してみると、すぐさま顔を赤らめそれを隠すように腕を顔の前に持ってくる。
「いやお前、何いってんの、それはダメでしょ」
何だこの反応は。特に触れて話がしたい訳でも無いのでそっとしておくか。
「ダメだよねえ......」
はあと一つため息をつき、左手に見える窓側の方を遠目で見やる。
今日は疲れてるからもういいんだけどな。
とはいえ村上のいう通りここで別人を送り込むだのバックれるだのは流石に気が引ける、というか初日からそんなヤンキームーブを決めるメリットは全く無い。
俺が来なければあの子は空き教室で待ちぼうけな訳だし、こちらも訳は分からないがとりあえず向かうかと席を立つ。
「おっ」
その仕草で期待を寄せた表情を見せる村上に思わず目を細め嫌悪の念を送ってしまう。
何だコイツ腹立つな。
「あとでいろいろ教えてな?」
「......おっけーおっけー」
「うわ適当」
文句を垂れる村上を背に、整えた荷物を残し手ぶらで教室の扉の方へ足を進める。
瞬間、通りすがった二人組の女子の様子が偶然目に映った。
まだ名前も知らないその生徒たちの、キャーと声に出ているかいないかくらいの静かな興奮の様子が、目に映る。
え、いや違うよ?違う違う。
と、弁明はすることもできず、無駄に熱を帯びながら活気溢れる廊下の中を一人歩き、空き教室へと向かった。
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