第5話【紫色の尖塔の街】

 ここでフト不安が頭をもたげてきたのだ。

 恋人になってくれるって?

 俺は脳みそがそれほどオメデタクできてはいない。聞き間違いでないことは確認できた。しかしなぜこんな幸せなことになる? これは何かの罠なのでは? 『この人は信用できる』と思ったのがついさっきで、もうその信用が怪しくなっている。

 『恋人になってくれる』はそれほどまでに俺にとって胡散臭い返事だ。


 俺はこの目の前にいる人、たった一人から話しを聞いただけだ。これで扉の向こうの世界の全てを『こうだ』と判断できるのか? 俺は本当に無敵の勇者サマなのか?


 例えば、他の人間に訊いたら別のことを言うだろうか?

 他の人間のいるところは何処だろう?


 俺の視界の中にその答えはもうあった。

 丘の向こうにとんがり屋根が林立している。紫色の瓦の尖塔群。


 俺は『あれはなに?』と指をさし訊いたみた。その答え。『街だ』という。街があるならそこには当然人がいる筈。

「あそこに行ってみたいんだけど」俺は言った。

 半裸の美少女はためらいも無く「分かりました」と返事をくれた。


「ではいったんこの扉を閉めさせて頂きます。着いたらこちらから扉をノックするので音がしたら開けて下さい」と、少し不思議なことを言われた。ともかくもこちらの要望はきいてくれたのだ。

「じゃあお願いします」と口にして暫時待つことにする。



 〝しばらく〟よりは少しだけ多く時間がかかったろうか。コンコンとドアをノックする音が聞こえた。

 ノブを回しドアを開けると石畳が敷かれた街中の広場のような光景が目の前に現出していた。人もたくさんその辺りを歩いている。

 半裸の美少女は汗だくになっていて、ただでさえ透け気味の服がべっとり肌に貼りついていた。目のやり場に困ると思いながらも見てしまっている。

「もしかしてこのドア背負って運んだとか?」

「ええ、そうなんです」少しだけ息を弾ませて、そんな返事が戻ってくる。


 向こうの連中からしたら突如広場の真ん中に不思議なドアが現出したということになるんだろう。ヤジ馬が集まり始めていた。

 半裸の美少女は彼女だけが露出狂というわけでもなかった。集まっている全員が半裸の装束をしていた。もしかしてドアの向こうは湿度が異常に高い世界なのかもしれない。

 集まってきた連中がそれぞれめいめい勝手なことを言っているのが耳に入ってくる。なぜか誰も彼もが〝日本語〟を喋っていてそのことばが理解できてしまう。これもまたこの〝勇者の扉〟の力ということになるのか。

 中には大胆にも(?)この俺に直接ことばを掛けてくる別の半裸の美少女も複数いて、どうやら俺は本当にかの世界で本当に『無双の勇者サマ』という扱いになってるらしかった。本当に無双かどうかは分からない。しかし大歓迎されていることだけは間違いなさそうだ。『来て来て』とは言われても『来るな』とか『帰れ』とかは言われない。なぜかウエルカムウエルカムになっている。

 むろん全員が全員声を掛けてくるわけでもなく仲間内でのひそひそ話をする者も当然の如くいた。

 その中にひとつ、決してスルーできないひと言があった。たったひと言だけど絶対に。

「これが新しい勇者か」確かに俺はこの耳で聞いた。男の声だった。

 あたらしいゆうしゃ?

 では〝古い勇者〟はどうなったんだろうか?

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