なぎさ作:バグの中にも光

 シンデレラの絵本だとか、指輪だとか。

 やけに可愛らしいもので埋もれた、暗い、湿っぽい部屋の中。


 PCの画面とにらめっこをしながら、僕こと春日井真昼は口に手を当てた。


「VR……ねぇ」


 近頃、空前絶後のブームを巻き起こしている新ハードが、ある。

 スタンディナビアだとか、PD5だとか。様々な人気ハードが新作を出す、まあ、いわゆるゲーム機戦争という奴の中で、無名社がこれほどの人気を獲得するのは、正直夢物語のような話である。


フルダイブ式VR。確かに凄い技術だろう。


 だがしかし、僕は正直、コイツを気に入っちゃいない。何がフルダイブ式VRだ、と言ってやりたい。大体、ライトノベルからアイディアをパクっておいて、恥ずかしくはないのだろうか。もう、プライドを捨てているようにしか思えない。それに便乗する奴らも奴らだ。アイツラも所詮、波に流されることしか出来ない人間なのである。やるか。やってやるものか。やってほしければ土下座しろ。懇願しろ。というかだ。フルダイブ式VRなど――。


「ねぇ、お兄ちゃん! このゲームやりたい! ぶいあーる!」


「お、兄ちゃんも丁度やりたかったんだ。よし、やろっか。やろう。うん」


――べ、別にっ、やりたくてやるんじゃないんだからね!


―――――――――――――――――――――――――――――――――


「にっしても、広い世界だな」


 VRとやらを買った僕は、早速PFO――通称パーフェクトファンタジーオンラインの世界へとやって来ていた。今日は久しぶりの休日だからな。ぱーっと遊ぶぜ。


 両親の遺産でこんな物を買って良いのだろうか、と少しばかり迷いもしたが、妹の頼みとあらば致し方なかった。今まで、妹のために買った物は数知れない。ひよこのおもちゃに、綺麗な宝石、指輪に、シンデレラの絵本。妹は可愛いものが大好きなのである。


 うん。可愛いよね、うちの妹は。


 特に、シンデレラを未だに、シンデデラと言ってしまうところが、とてつもなく可愛いらしい。滑り台やテレビは治ってきたが、しかし、こればかりはまだ治りそうにない。


 おっと、ロリコンではないぞ?ゾ?

 

 ちなみに僕はたった今、キャラメイクとチュートリアルを終えたところで、ようやく始まりの街、『クロワッ3号』にやって来たところだ。初期の街という事もあり、流石にたくさんの人が集まっている。

 

 鎧を身に纏う人、ローブに身を包む人、先端に宝石の埋め込まれた杖を持つ人。

 本当、どこを見ても、ファンタジーって感じだ。流石、完璧なるファンタジーオンラインだね。


「っと。そろそろ来るかな」


 僕が待っていたのは、妹だ。お互いに名前は教えてあるから、容姿は違うが、絶対に出会えるはずだ。正直、一人でチュートリアルをこなせるか不安であるが、まあ、命令に従うだけだ。間違うはずもない……と思い、待つこと三十分――。

 

 ――「来ねぇ!」

 ――「来ないー!」

 

 ――「「え?」」

 

 隣に立っていた女と声が重なり、僕は呆けた声を漏らす。と思ったら、相手も同じように声を漏らした。数秒間見つめ合い、硬直する。

 

 艶のある金髪のロングに、透き通った緑色の瞳に。

 

 キャラとはいえど思わず引き込まれてしまって、僕は、頬が紅潮していくのを感じる――って、キャラだからただの勘違いか。

 

 「なんで、そんなに頬が赤いんですか?」

「げっ! そんなに細かいのかよ、このゲーム!」

「冗談です。まさか、見惚れていました?」

 

 そう言って微かに笑みを浮かべる彼女に、僕は更に惹き込まれる。大人の余裕というか、何というか。近頃そういうものに触れ合う機会のなかった僕にとってそれは、とてつもなく新鮮な感覚だった。

 

 僕ってば、初対面の人にどんな感情を抱いているんだ!?

 

 確かに、両親が亡くなって以来多忙な日々で、恋愛など到底出来たものじゃなかったが。しかし、まあ、これ程までに恋とやらに飢えているとは……。

 

 目を丸くさせ固まる僕に、目の前の少女は手をひらひらと振り、「おーい」と緩急をつけて連呼する。それにより現実に連れ戻された僕は、なんだか恥ずかしくなって、思わず口に手を当てる。


「す、すみません。考え事をしていて」


「ふーん? ねぇ、それよりあなた、名前は!?」


 食い気味に訊いてくる彼女に少しばかり戸惑いながらも、僕は答える。


「僕……ですか? 僕は、ミデイって言います」


 すると彼女は分かりやすく肩をすくめ、落ち込んでみせた。ぐぁあああ、と女らしくない呻き声をあげながら、「やっぱ人違いよねぇ……」と嘆く。どうやら彼女も、待ち人あり、のようだ。まあ、大体そうだろうとは思っていたが。


「僕も人を待っていて……。まあ、待つしかないですかね」


「そうねぇ。あっ、因みに私はアシュ。よろしくね!」


そう言って腕を後ろに回す彼女に向かって、随分と男らしい名前だな、だとか呑気なことを考えながら、僕は手を差し出す。


「ああ、よろしく」


――がしかし、彼女は手を取らなかった。


「あの、その……手は、つげないかなぁ……」

 

 ぐぁあああ、と呻き声を上げたくなるくらい恥ずかしい。心の中でのたうち回りながら、僕は必死になって涙を堪え、口元に手を当てる。


「いやぁ、違いますよ。肩が凝っちゃって。手を伸ばしたいなーって。あはは」


「これ、ゲームだから……肩凝らないんじゃあ……」


「・・・」


――あああああああああああ!!

 

 僕は何度間違えたら気が済むんだ!?

 バカバカ、僕のバカッ!! もう、僕なんて知らないんだからっ!!


「ふふっ。ふふふっ」


 口元に手を当てながら笑う彼女を見て、素っ頓狂な顔を浮かべる。

 なんで、笑っているんだろう。そう思って眺めていると、遂に、腹を抱えて笑い出した。


「ミデイって、お馬鹿さんなのね。ぷふふっ」


 涙を拭いながらそう言う彼女に釣られ、僕もいつの間にか笑っていた。


「そうかも知れませんね」


 なんだか、距離が近づいた気がして。とてつもなく、嬉しかった。

 でもまだ、握手はしてくれそうにない。……なんで?


―――――――――――――――――――――――――――――――――


 それから他愛も無い会話を繰り広げ、かれこれ一時間は経ったであろう頃。流石に違和感を覚えた僕は、アシュさんに断って現実にはるばる戻ってきていた。


 どうやらアシュさんは、そのまま白馬の王子様を待つようだった。笑えるね。


 頭をすっぽりと覆い尽くすVR機を取り外し、すぐに妹の場所に首を巡らせる。


 するとそこには、始める前と同じような体制でVR機を被っている妹の姿があって。僕は「ほっ」と一息つき、胸を撫で下ろした。


 時計に目を見やる。すると時計は、5時の辺りを指していて。僕は、「まずいな」と独りごちた。妹は、5時30分になると、うなされるのだ。理由は……不明だ。


 そうだな。心配だし、妹も起こすか。そう思い、VR機に手を当てた僕は、ピタリと手を止める。


 「そういえば」呟き、VRの入っていた箱を漁ると、薄い紙を取り出した。ペラペラとページを捲り、『注意事項』の一覧を探す。長ったらしい、いくつもの注意事項を流し読みして、そして僕は、文字を追う指を止めた。「やっぱりだ」


――VR使用者から無理やりハードを外してはいけません。


 となると、妹が自分の意志で戻ってこなければならない……という事か。

 きっといつかは戻ってくるだろうが、しかし、それでもやっぱり、不安だ。


「お兄ちゃん……うぅ。た、たす……ぅ」


 不意に妹が声を出して、僕は驚き目を見開く。


 見開いたことで広くなった視界が、更に僕の事を追い込んだ。


――体調の優れない方のプレイは、推奨されていません。


そして、「ははっ」と乾いた笑いを漏らした。


――早く、戻らなきゃ。


 妹の小指を強く握ると、僕は再度、VRの世界に身を投じだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


「遅かったわね。どうだった?」

「すみません! それどころじゃないんです!!」


 ログインしてすぐ、アシュさんに声をかけられた僕であるが、今はそんなことどうでもよく。僕は、勢いに身を任せ走り始めていた。


「え、ねぇ、ちょっと!!」


 背後からそんな彼女の声が聞こえてきたが、それもちゃんと耳には入らなくて。まるで、世界から孤立していくような感覚が、僕を襲った。焦りすぎて、自分が今、何故走っているのか、どこに向かっているのかも、分からなくなってしまう。


とにかく頭は真っ白で。とにかく、がむしゃらだった。


――助けなきゃ。もうすでに、うなされていた。早く、助けなきゃッ!!


「ねぇ、ちょっと待ってよってば!!」


 強く腕を引っ張られ、僕は現実に連れ戻される。

 するとそこには、アシュさんが口を膨らませて立っていた。

 

 僕はきっとキョトンとした表情で、彼女に問いかける。


「アシュさん……!? で、でも、人を待っているんじゃ?」

「ミデイがいなかった間にログアウトしたわ。それで、一体何があったの?」


――ああ、そうだ。そうだよ。こうしちゃいられない。


「妹が。妹がッ!! 妹が……」


 項垂れるように地面に膝を突き、僕は腕を震わせる。

 怖かったのだ。妹を、たった一人の、大切な家族を失うことが。たまらなく、恐ろしかったのだ。いつだって、アイツが僕の生活の支えだった。いつだって、僕の中ではアイツが中心だった。


 きっと。きっと――。

 妹がいなければ僕は、壊れてしまうだろう。


 帰ってくるとは分かっている。

 ここまで人気が出たゲームだ。安全は、限りなく保証されているはずだ。


 だけど、だけど、それでもやっぱり、怖いんだ。


「大丈夫よ」


 不意に頭上から声がかかって、僕はハッとなり、声の持ち主の顔を見上げる。

 するとそこには、アシュさんの姿があって。僕の頭を、撫でていた。


 だがしかし、これでも僕は、れっきとした大学生だ。嬉しいはず、嬉しいはずが――。


 あれ? なんでこんなにも、落ち着くんだ……?

 まさか、僕はこんなにも、愛に飢えていたというのか……?


――と、こうしている場合じゃないな。


 僕は地面を蹴って、跳ねるように立ち上がると、口に手を当てて告げる。


「もう大丈夫です。復活です。それじゃあ、僕は妹を助けに行きます。本当、ありがとうございました!!」


「ふふっ。いいのよ。それじゃ、私は街の東の方を探しに行くわね」


 至極当然のようにそう言ってみせるアシュさんを見て、僕はパチパチと瞬きを数回。

 そして、「は?」と声を零した。


 「何言ってんのよ。早く探すんでしょう? ほら、さっさと名前教えなさい」


 アシュさん!!!!!と叫びたくなるのをぐっと堪え、僕は深く頭を下げる。


「ありがとうございます。妹は、ミントと言います……。どうか、よろしくお願いします……!!」


 そのまま流れるように顔を上げると、そこには、アシュさんの無邪気な笑顔があった。


「良いってことよ!」


―――――――――――――――――――――――――――――――――


「ミントォォォオオォオオ!! おーい、ミント!!」


 がむしゃらに叫びながら、僕は街の西側にやって来ていた。

 『クロワッ3号』は、有り得ないほどに広い。出口が見えない程に、広いのだ。だからこそ、探すのはかなりの難儀だった。正直、もうかれこれ20分は走っている気がする。それでも、諦めやしなかった。


 ここに来る前は大体5時だったから、あと10分程度で見つけなければ……。


「誰かぁあああ!! ミントって名前の女の子を見ませんでしたかぁあああ!!」


「おい、兄ちゃん。流石に、うるせぇんじゃねぇの……?」


 バキボキと指を鳴らしながら、ガチガチの装備を身につけた男がやって来る。

 まずい、そう思い一歩後ろに下がると、背後にいる何者かにガシッと両腕を掴まれた。動くことが出来ず、僕はジタバタと体をうねらせる。


「おい、離せよっ!! こうしてる場合じゃないんだよッ!!」


 いくら叫んだって、開放されることも、また、目の前の男が止まることもなく。やがて目の前まで歩み寄ってきた男は――僕に、握手を求めてきた。


「ほら、手を取りな」


 言われ、僕はよく分からず、男の手を取った。

 すると、突然視界に青く透き通ったパネルが浮かび上がる。


『サクマさんに、パーティーに招待されました。承諾しますか? はい/いいえ』


――なんだこれ?

首を傾げ、問いかけようとすると、先に男、もといサクマさんが口を開いた。


「承諾しろ」


「え、あ、はい……」


 するとまたも、青色のパネルが浮かび上がった。


『サクマさんとパーティーメンバーになりました。』


 一体、何の目的だ……?

 そう思っているとすぐに、次なる文字が現れる。


『サクマさんからフレンド依頼が届きました。承諾しますか? はい/いいえ』


 パーティーメンバーになってから、フレンド依頼を送るのか……?

 順序に少しばかり戸惑いを覚えながらも、僕は恐る恐る『はい』に指を伸ばす。


すると――。

『戦闘が、開始致します』


「……は?」


 口が震えている。指先が震えている。いいや、体全身が震えている。

 目の前の男はニヤリと不敵な笑みを浮かべると、言い放つ。


「誰がお前みたいな雑魚と手を組むかよ……。これはバグだ。システムのチャットを書き換えるバグ。ははっ、いいねぇ……その顔」


――殺らなきゃ……っ!!


 咄嗟に、初期武器である刃こぼれしたダガーを装備する。

 がしかし、サクマはそれを鼻で笑うと、僕に対し冷酷に告げた。


「なぁ、これ、ゲームだけどさ。結構、いてーよ?」


 ヒヤァ、と血の気が引いてゆき、僕は、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 恐怖が体を蝕んで、足がまるで鉛のように重くなる。そんな僕に対し慈悲をくれることなどまるでなく、サクマは目にも留まらぬ速さで走り始めた。


――まずいっ!!


 咄嗟に身をかがめ、紙一重でサクマの攻撃を回避する。がしかし、その後どうしたら良いのか分からなくなって、僕は訳もわからず、ただただ逃れたい一心で、まっすぐ走り出した。


サクマはどうやら、勢いでもたついているようだ。

 今なら――って、は……?

 

 見えない所に……壁がある……っ!?

 

「なんだよこれ……!! おい、早く行かせろよ!!」

 

 振り返ればそこには、豪快に笑うサクマの姿があって。僕は、歯を食いしばった。一体、どんな痛みがするのだろう。というか、それより、妹は……無事だろうか。


 これだけ広大なマップだ。迷ったって仕方がない。でも、もし、この先にミントがいるとしたら。僕はまた長い時間をかけて、ここまでやってこないといけないのか……?


――本当、神様は嫌なやつだ。


「透明の壁バグすら知らねぇやつに攻撃を避けられるとはなぁ!!」


 怒号をあげながら飛び掛かってくるサクマを見て、僕は強く目をつむった。怖くて怖くて、思わず瞑ってしまったのだ。がしかし、いくら経っても、サクマの攻撃が僕に当たることはなく。僕は、少しずつ、ゆっくーりと、目を開けた。

 

 なんだか、変な感覚がする。

 まるで、急速に落下するような。というか、この暗闇、どこだ……?

 

 下を見れば、底のない闇がある。

 僕は今……落ちているのか……?


 サクマの声が、すぐ近くから聞こえてくる。


「チッ。奈落バグか……。運のいい奴め」


 あれ……僕……何しているんだっけ……?

 ゲームだというのに、やけに意識が朦朧としている。

 吐き気がするほどの、目眩がする。


 僕は、僕は――。

 どうなってしまうんだ……?


 そして、まるで闇に呑まれるように。僕は、意識を失った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


『システムが危険信号を受け取りました。強制シャットダウンに移行します』


――目を覚ませばそこは、現実だった。


 どうやら、熱が出て眠っていたらしい。

 横に目をやれば、見覚えのない機械を頭につけている”姉さん”の姿がある。

 なんだ……これ……?


 記憶にボヤがかかって、上手く思い出せない。

 外しても……いいんだろうか……。


 そう思い、手をのばすと――。


 「助けて……真昼……。ぅうぅうあぁあ!!!!」


――そんな妹の辛い声に、僕はハッとなる。


 そして、体中に電撃が走り抜けるような感覚がして。


 あの日の出来事が、急速にフラッシュバックする。

 それは、楽しい旅行のはずで。笑顔が、絶えないはずだったのだ。


 小学三年の春休み。ようやく僕も、上級生の仲間入りだと浮かれていた頃のことだ。

 大きくなったなだとか、お姉ちゃんの身長を越しただとか、そんな他愛も無い会話をして。とても楽しかったことを、今も覚えている。


 きっと、こんな日々が、これからもずっと続くのだろうって。

 いつの間にか、当たり前に思っていたんだ。

 いいや、確かにそうなるはずだった。 



 なのに……なのに……。


 ぐらっと勢いよく視界が揺れて、強い衝撃に襲われて。

 笑い声で満ちていた空間はいつの間にか、悲鳴で満たされていた。

 ようやくの事で安定した視界は、とにかく赤で染まっていて。

 吐き気のような、ただひたすらに気持ちの悪い感覚が僕を襲った。


――僕らの乗っている車は居眠りしたトラックに巻き込まれ、吹っ飛んだのだ。


 ああ、今でも覚えている。

 姉の、真夜まやの顔を、叫びを。


 姉は、飛び散った両親の内蔵を必死になってかき集めていた。手繰り寄せ、そして、また体に押し込んでいた。僕に、「助けてよ」って叫びながら。でも、僕にはどうすることもできなかった。

 あの日、僕らの両親は死んだ。


 そして――。


 姉は一部の記憶を失い、子供のまま、精神だけ、成長しなくなってしまった。


 僕は、部屋で一人、拳を握りしめる。

 思い出すだけで腹が立つ……。あのトラックの居眠り野郎も、どうやら即死だったらしい。どうせなら、生きていて欲しかった。そしたら僕が――死ぬまで殴ってやるのに。


「ねぇ、ま……ひる……。助け……て」


――そうだ。


 妹は――姉さんは今、VRの世界に取り残されたままなのだ。

 そうだよ……。早く、助けなきゃ。


「大丈夫だよ……。姉さん」


 僕は機械を被ると、またもPFOの世界に入り込んだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


「おはよう」


 柔らかい感触が後頭部に広がり、また、視界にはアシュさんの顔がある。

 まさかこれ……膝枕かっ!!


 恐ろしくなり「うわぁ!」とみっともなく叫び声をあげながら、僕は立ち上がる。

 すると、アシュさんは「ふふふ」とお淑やかに笑ってみせた。

 

「ミントは……見つかりませんでしたか……?」僕は問う。

「うーん、どうだろうね。そっちは?」そして、アシュさんは答えた。

「ダメダメでした……」でもって、ボクも答える。

「そっか……」残念そうに、アシュさんは顔を伏せる。

「はい……」僕もまた、顔を伏せる。


――「ねぇ、まだ、見つけられないの……?」


 アシュさんのそんな言葉に、僕の頭上には『?』が浮かぶ。

 一体……何を言っているのだろう。


 分からなかった。

黙り込む僕を見て、アシュさんはぷくぅと口を膨らませる。


 そして、やれやれとでも言うようにため息を一つつくと、明後日の方向を見ながら、儚げに口を開いた。


「昔々、シンデデラ・・・という美しく優しい女の子がいました」


――え?

 僕は目を見開き、彷徨わせる。まさか、そんなはずはない……。


 だって、だって……。僕の姉は、妹は、もっと幼いはずだろう。

 そんなはず――。そんなはずは――。


「ミント……なのか……?」

「せーいかい」

 

 アシュさん――いいや、ミントは「ふふっ」と笑うと、悪そうに、でも満足気に口角を上げて言う。


「少し見つけるのが遅いんじゃない? 折角、お姉ちゃんが魔法使いに頼んでまで、会いに来てあげたのに」


――っ。

 どうしようもなく、噛み締めた歯と歯の間から、嗚咽が迸って。一度出てしまったそれは、もう、止まることなんてなくって。


「ぅぅうううぁああああああ!!!!」


大学生だというのに僕は、みっともなく、泣き叫んだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


「でも、一体どうやって……?」


 僕が問いかけると、姉さんはすぐに答えた。


 「分からないわ。でも、きっと、VRってやつのおかげ……かな。脳の眠っていた神経に、機械が届いたんだと思う……」


「そっか……。それじゃあ、戻ったらまた、姉さんと――」

「多分、それは無理ね。そんな話なら……もう、とっくに治ってるよ」


 切なげな表情を見て、僕は慌てて口をつぐむ。

 でも、折角こうして会えたのだ。話したいことを話そう。もっと、もっと――たくさん。


 僕は――口に手を当て、満面の笑みを浮かべる。


「今さ、僕。頑張ってるんだ!!」

「うん」

「バイトも何個も掛け持ちして、それで、あんまり良くないけど、大学にも行けたんだ!」

「うん」

「それに、それにね、就活だって始めたんだ! もう内定取っちゃってさ」

「……うん」

「だから、もう大丈夫。一人でも、なんとかやって行けそうなんだ」

「……ねぇ」

「それに、毎日楽しくってさ。妹は……ああ、姉さんは可愛いしね」

「……ねぇってば」

「僕、僕ね……!!」

「最後くらい……嘘つくの、やめてよ……」

 

 姉さんの言葉に、僕は激しく動揺する。


「ま、まさか。何が嘘だっていうんだよ」


僕は、口角を上に保ったままそう言った。

 そうだ、何も嘘じゃない。嘘じゃないんだよ。嘘じゃない……はずだよな?


 すると姉さんは、うつむきがちに、僕に言う。


「また、口に手を当てているじゃない……。あの時と、同じだよ……」

 

 言われ、僕は固まったまま、ただ呆然と姉さんのことを見続けた。

 今でも……鮮明に覚えている。あの時、僕が放った言葉を――。


「大丈夫だよ姉さん。だって、僕には、時を戻す能力があるんだから」


――馬鹿みたいな、僕の言葉を。

 

 それでも、ずっとそれが心残りだった。

 もしかしてって、頭から離れてくれなかった。

 

 姉さんはもしかして、僕の言葉を通りに、戻って進んでを、繰り返しているんじゃないかって。姉さんは、いつも5時30分になると、絶対にうなされる。


 そして、5時30分っていうのは――事故が起きた、時刻だ。

 

 「ごめん……」どうしようもなく、喉から言葉が溢れ出る。地面に崩れ落ちて、どうしようもなく、むせび泣く。「僕の……せいで……。ごめっ……ん……」

 

 ああ、言葉が、上手くまとまらない。

 ……クソ。何でだよ……。何で、こんな時に限って……。

 こうも、目眩がしてしまうんだ……?


 ふらつき、倒れそうになった僕を、姉さんが咄嗟に抱え、抱きしめる。

 そして――。


「よく一人で、頑張ったね。でも、もう、一人で背負い込まないで」


 ゲームだというのに伝わってくる温もりが、僕を優しく包むから――。


 いつの間にか、ポロポロと零れていた涙は、止まることなんてなくって。

 とめどなく、溢れてきて。


「うぅううぅあぁあああああ!!!!」


 僕はいつまでも、泣いていた――。


「それじゃ、また会えたら」

「うん……。また、VRなら会えるかもだしね」

「うん、そうだね……」

「それじゃ――」


 僕は、姉さんに手を差し出す。

 すると、姉さんは手に取って。


 青く透き通ったパネルが、浮かび上がる。


『あなたはお姉ちゃんを愛しています はい/いいえ』


「ははっ。当たり前……だ……ろう……」

 

 急速に、意識が遠のいていく。

 ああ、もう少し待ってくれよ。そう願ったって、止まりやしない。


 そして僕は、意識を失った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


『システムが危険信号を受け取りました。強制シャットダウンに移行します』

 

――目を覚ませば、それは朝で。

 

 後頭部に柔らかい感触が広がって、目の前には妹の顔がある。

 膝枕……か? 起き上がると、おでこからポテリと、乾いた冷えピタが落ちた。拾い上げ、妹と冷えピタを見比べるようにして、右に左に、また右にと見る。


 まさか、看病……してくれたのか……?


「ははっ。ありがとな」


 そう頭を撫でると、ごてりと妹は頭から床に落っこちた。どうやら、随分と不安定な格好で眠っていたらしい。


 ……っと、早く朝ごはん作らねーと。


 立ち上がり、キッチンへと向かう僕の背後から、妹の声が飛んできて。僕は不意に、足を止めた。


「私……お兄ちゃんの役に立つです」


――不意にカチリと、秒針の進む音がした。

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