第8話 - 間に合え!入学式!⑧

 やった……!

 様々な苦難を乗り越えてようやく、反撃の雷光は閃いた。

 こんな電撃を直に浴びて、無事で済む人間がいるはずもない。

 白目を剥いた嘉門がゆらりと後ろに崩れ、噴水の中に激しく倒れていった。

 ようやく拘束が解けた私は、咳込みながらも、水場から脱出する。


「優希!」


 振り返ると、そこには目を真っ赤に腫らした芙蓉がいた。

 彼女は、小さな腕でぎゅっと力いっぱい、私を抱きしめる。


「ほんと、馬鹿なんだから! なんですぐ逃げないのよ!」

「うう、ごめんよ……我慢できなくて……」


 向こう見ずな行為を責め立てる代わりに、包容の強さが増していく。いやいやするように顔を振りながら、馬鹿馬鹿なんて言って私を困らせる様は――なんだろう、ちょっと可愛いな、こやつ。

 ぽりぽりと所在なさげに頬を掻いていた紅くんも少しはにかんでいたが……その顔色が、静かに凍った。


「――おいおいおい。なんの冗談だよ、そりゃあ」


 考えたくもない可能性が、頭をよぎる。

 首だけを回し、再び噴水のほうを見ると……まさかの光景が広がっていた。

 嘉門が、立ち上がっていたのだ。

 皮膚を黒く焦がし、口から唾液を垂らしていながら、彼は立ち上がり、拳を固く硬く握りしめていたのだ。

 

「……いやいや。なんでまだ立てちゃうの?」

「優希。すぐに離れて。……もう、無理よ。あれには、敵わない」

「テメェらあああああああああああああああああああああ!」


 鬼が吠えた。

 水面に紋様が広がるほどの、大声だった。

 思わず身がすくんでしまうほどであり、その怖気は恐怖心と絶望に移り変わった。


「殺す殺す殺す殺す殺す! 殺すぞ、貴様、ら、もう、絶対、殺してやる」


 頭に浮かんだ言葉をそのまま大声で出しているような口ぶりであり、その原始的な様は、対話の通じない危険生物と対峙してしまっているかのような恐ろしさを感じさせる。

 嗚呼。そんなことって、あるだろうか。

 仕組んでいた計画は、全て成功したのだ。

 それなのに、倒し切ることができなかった。

 相手にしているのが、常識を超えた怪物であることを、今ようやく、初めて理解することができた。

 これに対して、一体どのような策が意味を成すのだろうか。

 唯一、彼の手綱を握れるのは、奥の方で佇む『淑女』一人であるが。

 彼女もまた、ある意味正気を失っている。

 プライドを傷付けた者共への復讐に囚われたキサラは……印象派の絵画に出てきそうなほど、ぐにゃりと口元を吊り上げて、高らかに笑っている。


「ふふ、うふふふふふ! そうよ、そうでなくっちゃ! 私の『彼氏』が、負けるはずなんて、ないのだから!」


 彼女はびしりと、手の扇子で私達を指す。


「無茶苦茶にしてやりなさいな、嘉門! 私が全て許すわ。無礼と汚名を、幾万の傷にして返してあげなさい」


 嘉門が、こちらに、一歩を踏み出した。

 私達は、一体どうしたらいいのかが、わからない。

 どんな方策も無に帰した。また逃げ出しても、もうなんの手立てもない。ただただ捕まり嬲られるだけだ。

 私に捕まる芙蓉を見ると、あれだけ気丈だった表情が青ざめ、かたかたと肩を震わせている。

 ――いっそのこと。私がここで囮になって、彼女だけでも逃さないと。

 そんな自己犠牲の覚悟を決めた、その時だった。


 じゃり、と、何者かの足音が聞こえた。

 それは、私達と嘉門の間へ、現れた。

 こんな修羅場の只中に飛び込んできたことなんてまるで素知らぬ顔で。

 無味乾燥な靴の音が、一定のステップで刻まれる。

 彼は、とんでも無く興味の無さそうな目で、私達を見下していた。

 その闖入者を見て、紅くんが、震えた声を出す。


「なんだよ、それ。ありえねえ、だろ」


 男は、口元に加えていた煙草を、無造作に投げ捨てた。

 袖を通さず、肩に掛けたブレザーが揺れ、剥き出しになった腕が見える。

 その両腕には――龍の入墨が彫られていた。

 紅くんが彼の名前を呼ぶ。


「九龍が……どうしてここに」


 それを聞いて、芙蓉が驚愕した。


「九龍……って、え?」

「クソ。なんなんだよこの学校……! 凶龍なんかが平気で歩いてるなんて、聞いちゃねえぞ……!」

「九龍。六つの公立と一つの私立学校を征服した、漆黒の王子。でしたっけ」

「――ゥヴウヴヴヴ。ァあ? くりゅう、だぁ?」


 三者三様の反応を示すが、どれもがその異物の存在を無視できないでいた。

 私はあんぐりと開いた口を抑えることができず、その悪の華を見つめることしかできなかった。


「ふん。そうですか。『黒薔薇』の差し金かしらね。でも残念でした。彼女たちはもう私の獲物ですので。貴方が誰だろうが、もう出番は残っていなくてよ」

 

 勝ち誇った顔で鼻を鳴らすキサラ。嘉門は主人の言葉に追随するように、再びか弱き少女たちへ視線を戻し、一際大きな足音を響かせた。

 九龍と呼ばれた少年は、意に介すことなく、私の方へ近付いてくる。


「おい、ガキ。邪魔、すんな! 気に入らねえヤツ、皆、殺す、ぞ」


 巨人の宣言は果てしなく恐ろしく轟く。常人であれば、足を止め己の非を認め命乞いし足早にその場を去るところであるが、龍住まう四肢は止まらない。

 彼は、ずんずんと私の方へ歩いてきていて――その途中で、嘉門の肉体にぶつかった。

 嘉門はわざと、進行方向に己の巨体を滑り込ませていた。

 天上で見開かれる大きな瞳は、怒りのあまり、真紅の稲妻が走るように、充血している。


「聞いてんのか、糞野郎――」


 九龍の腕が素早く伸びた。

 嘉門の胸ぐらを掴み、彼の頭を無理やり降ろさせる。

 眼前にやってきた彼の鼻柱にめがけて一切の躊躇なく頭突きをかました。

 木の枝が拉げるような、嫌な低音が私達の鼓膜を震わせる。

 嘉門の鼻から噴水のような鮮血が飛び散る。九龍の胴が回転し腿が弾け巨人の足首を撃った。

 頭部に気を取られていた嘉門はなんの防御も叶わず無様に転ぶ。その地に横たわる巨体の肩を思いっきり蹴り抜く。嘉門の歌うような叫び声が、空へと放たれた。


「テメ」


 反撃をしようと九龍を睨む嘉門だったが、そいつが手に掴むものを見て瞠目した。

 黒く細長い棒のようなものを、九龍は持っていた。

 根本のスイッチを入れると、その棒はバチバチと鳥が喧しく囀るような雷電が迸り――。

 一切の慈悲などなく、地に伏す嘉門の首筋に、押し当てられた。

 絶叫は何秒続いただろうか。

 それが聞こえなくなったときには、遂に。

 あれだけ私達を追い詰め、どんな作戦も無意味だと思われた巨人は、いとも簡単に、龍の足元で昏倒していたのだった。


「……はい?」


 瞬く間に全てが終わった。

 キサラの間抜けた声は、私達の感情のほとんどを代弁してくれていた。

 九龍は、まるで顔色も変えず、再び私達の方を向いて、一歩、近付いた。

 紅くんが顔を固くする。芙蓉が、真っ青な顔で、己が『彼氏』の袖を掴み……それでも最後の『淑女』の意地として、迫りくる災厄からは目を逸らさないようにしている。

 そして九龍は、口元の煙草を無造作に捨てると――不機嫌そうに言った。


「探したぞテメェ、コラ」


 その声の先は……明らかに一つしかなかった。

 紅くんが、芙蓉が、驚くような顔で、私を見つめる。

 私は、えへへ、なんて誤魔化すように頭を掻きながら、彼を指した。


「ええと。みなさん、ご紹介します。彼……九龍宗介くんが、その……私の『彼氏』です」

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スーパー彼氏大戦 ~学費1億円!? とんでも学園で彼氏バトル!~ @takkky

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