第6話 - 間に合え!入学式!⑥

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「クソッ! クソクソクソ! なんだってあいつらは、連絡の一つも返さないのよ!」


【4-8】寄宿舎エリア『揚羽荘』の前で、キサラは金切り声を発していた。

 彼女は地団駄を踏み、こめかみを叩きながら、何度も受信ボックスを更新している。

 そんな様子を見ながら、のっそりとした調子で嘉門が声を掛けた。


「なぁ、キサラ。もう、いいんじゃ、ないか。この、ボロ屋敷、ぶっ壊して、やっちまおうぜ」

「は? 愚かね……! 入学前に、御舟の建物を壊すなんて、私達の判断でやっていいわけがないじゃない!」


 女主人の怒りは、愚かな従僕に振るわれた。

 首をすくめ、嘉門はそれ以上の言葉を返さなくなった。

 キサラは爪を噛みながら『黒薔薇の会』へ送信したメッセージの返事を、今か今かと待ち構えている。

 彼女は、優希達がここへ籠城した瞬間に「標的が現在使用されていない寄宿舎に入ってしまったが、これを破壊して侵入してもいいでしょうか」とお伺いを立てたのだ。

 獲物を逃したくはないが、学園のマイナスポイントになるような行動は避けたい。

 そう考えた彼女の、精一杯の保身の策が、より上位のメンバーに了承を取って、なにかあった際の責任を擦り付けられるようにする、という小賢しい立ち回りだった。

 無論、そんな浅はかな考えなど、日夜学園で鎬を削る上級生達には、そう簡単に通じないようであったが。

 不測の事態に直面して、右往左往することしかできない主を見下ろし、嘉門は少し、つまらない気分になった。

 そうこうしていると、ようやくキサラのレンズ上に更新通知が届いた。慌ててそれを選択し、メールフォルダを視界いっぱいに開く。

 そのメールの中身を確認し、しばらくして、わなわなと肩を震わせる。


「……嘉門。見なさい。『黒薔薇』からの返事よ」

「リスト、の、アップデート……?」


 それは『黒薔薇』に属する全てのメンバーに一斉に送られたものだった。

 しかし内容は主に、新たに入会した者に向けられていたのだが。

 件名には「ハンティングリスト 更新のお知らせ」なんて物騒な名前が付けられていた。

 その一覧のある名前をチェックし、視覚情報の一部を嘉門と共有する。


「石蕗芙蓉……ツワブキモーターの一人娘。彼女のポイントが、15ptにまで引き上げられている……! アハハハ……絶対に逃すなってことかしら……? 馬鹿にしやがって……!」


 それは無慈悲な通告だった。

 助けを求める新入生に、直接なにかを返答するわけでもなく。ただただ、対象のポイントを引き上げ、それを回答とする、有無を言わさぬ対応であった。

 キサラは更に何倍も地団駄を踏み爪をがじがじ噛みしめ、なんとかこの館の中に忍び込めそうな隙間がないか、嘉門に見て回らせようとした、その時。

 ガラガラと、引き戸が開いたような音がした。

 そして、裏手の窓からひらりと人影が飛び出し、猛然と庭を迂回するようにして走り出した。

 キサラと嘉門はその人影を見て、声を上げる。


「あれはさっきの、暴走女……?」

「必死に、逃げてる」


 そして巨人は、背中の痛みを思い出した。

 奴に報復しなければならない。獣じみた反射でその少女を睨み、後を追うとするが――キサラに厳しく制された。


「嘉門、待ちなさい! あの女は所詮小物よ、放っておきなさいな」

「……」

「それよりも優先すべきは、袋の鼠ちゃん。――ふふふ。あの子、窓を開けっ放したまま、逃げたしたみたいね」


 それまで癇癪を起こしていたキサラが途端に、喜びを露わにする。

 八方塞がりだった状況に、小さな綻びが生まれたのだ。ここまで愚弄してきた下民共に、厳しい誅罰を与えてやらねば。

 喜色満面のキサラに対して、嘉門はおそるおそる疑問を投げかけた。


「なにかの、罠、とじゃか、ないのか?」

「はぁ? 愚かね。こんなボロ屋敷に、罠を仕掛けられるような何かが残っているとでも? それも、あんたみたいな化け物を仕留められるような代物が」


 とんでもなく気楽な考えではあるが、ある意味筋は通っている。

 通常であれば、嘉門の疑いは当然のものである。しかし、その罠の洗礼を浴びるのは、誰であろうその嘉門自身であるのだ。

 トップスピードで自転車の突撃を受けたにもかかわらず、ダメージとしては少し背中が痛む程度。

 岩石の如き肉体は健在。生半可な罠なぞ、むしろあちら側の首を締めるだけの愚行に他ならない。

 嘉門はぼりぼりと頭を掻きながら、粛々と彼女の命に従った。

 館の裏手に回り、半端に開けられた窓に手をかけ、侵入する。

 危惧していたような、何かしらの罠の気配はなく、そこは放棄されてから停滞していた静寂が漂うばかりであった。


「ふふふ。愚かな味方は、敵よりも恐ろしいものね。さぁ、蹂躙を愉しみましょう!」


 大々的にそう処刑の宣言をした途端、ぎしり、と板を踏みしめるような足音が響いた。

 そちらへ目を向けると、正面扉へと続く廊下の途中に、探し求めた獲物の二人組が、階段から降りたの姿を捉えた。

 芙蓉が、怯えたような目でキサラを見下ろしており、隣には、包帯だらけの『彼氏』が侍っていた。


「ごきげんよう石蕗さん。ようやく会えたわね。……嘉門、行きなさい!」


 最早、言葉でいたぶる時間すら惜しい。挨拶もそこそこに、貴婦人は化物を走らせる。

 轟くような唸り声を発しながら、床板を踏み抜く勢いで疾走する嘉門。

 まさしく芙蓉達は袋の鼠。逃げる場所など無く、身を守る術もない――。


 ならば立ち向かうまでの話。


 彼女ならば、なんの逡巡もなくそう決断できる。

 ごすごす、と二連発。何かが嘉門の背中にぶつけられた。

 微妙な痛みに顔をしかめ、振り向くとそこには布に巻かれた二つの小瓶があった。

 そして、命知らずにもそれを投げつけたのは、例の窓へ再び舞い戻った――芹沢優希その人に他ならなかった。


「テメェ、クソ女……!」

「ふ、ふん! 舞い戻ってきて、やったですわよ!」


 相変わらず炸裂する怪しいお嬢様語も、男の神経を逆撫でする要素でしか無い。いよいよこいつを捻り潰さなければと体を優希のほうへ向けようとするが。


「嘉門! 何回言わせる!? 小物は放っておきなさい!」


 またもやキサラが邪魔をする。一度沸騰した怒りは行き場を失い、彼の体中を圧迫する。

 そんな破裂寸前の化物を前にして、優希は、にやりと不敵に笑った。


「へぇ、かかってこないんだ。とんだ見掛け倒しだ」


 嘉門の怒りは爆発した。

 主人の命令は聞かねばならない。でもこの小癪な女は放っておけない。

 だから、その行動はあまりにも自然だった。

 足元に転がっていた小瓶二つを、力いっぱい、優希に向けて、ぶん投げる。

 力任せに飛ばした砲弾は優希に直撃こそしなかったが、近くの床と壁に衝突して、瓶の破片が辺りに舞い、彼女の肌を少し傷つけた。

 そんなものでは全く満足できないが、ほんの少しだけでも気は済んだ。

 再び本来の目標に向き合い、狩りを終わらせる――。


「嘉門ッ!」


 そこでまたもや、キサラが彼を制した。

 彼は気が狂いそうになった。

 まただ。この人はまた、俺の邪魔をした。

 見れば、女と包帯の男はもう正面の扉に手をかけている。逃げられてしまう。

 何故俺が叱られなくてはならないんだ。

 一体なにが不服だ、何をすれば満足なんだ。

 度重なる不満足な指示への感情を顔色に出しながら、キサラを睨む。

 彼女は――震えていた。

 嘉門が溜め込んだ怒りを遥かに超える、深い憤怒の塊が、そこにあった。

 わなわなと肩が震え、唇から押し出される言葉も、尋常でないストレスが犇めき合っているようであった。


「……やめなさい」

「キサラ、意味、わかんねえ! もう、やらせろよ! あいつを、殴ってやらねえと、俺、収まらねえ!」

「……やめなさい、って言ってるのよ」


 そしてキサラは、嘉門が投げた瓶の成れの果てを指差し、くしゃりと己の髪の毛を鷲掴みにした。

 それを見て優希は、安心したように笑った。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 ああ。よかった。

 作戦は見事に、上手く行った。

 私は、すぐ隣で割れた小瓶の中身を見て、胸をなでおろした。

 それは、銀色の粉末だった。こんもりと床に溢れたそれは、もう一つ投げられた小瓶の中身――水に反応して、しゅうしゅうと音を立てていた。

 キサラが苦々しげに、言葉を続けた。


「……貴女。それは、何」

「あら? 聡明なキサラ様ならおわかりなのでは? これは――よ」


 私は言ってやった。ああ、なんて気持ちいいんだろう。キサラの顔が更に歪み、怪鳥のような金切り声を出した。


 ……そう。これこそが、作戦の肝だった。

『揚羽荘』にあった、マグネシウムの消臭剤。それを三人で一生懸命砕き、粉末にしたものを瓶に詰め、嘉門へ投げたのだ。

 作戦の第一段階で、私が窓から逃走したフリをして、彼らをこの中へ誘き寄せる。

 そして彼らがまんまとここへ侵入したのを見て、私はここへ反転し、例の瓶を投げる。これが第二段階だ。

 ここで彼を倒すことはまだ考えていない。とにかく、この場を切り抜けることが第一目標である。

 そう。彼に

 芙蓉の追跡を優先していることは、当初の言動の端々から伝わっていた。

 だから、それを踏まえた上で、彼に瓶を投げつけた。

 私に復讐をしたくても、方針としてそれは選択できない嘉門の葛藤。その両方を可決する手段はたった一つ。

 追跡時に私達に石を投げたときのように、なにか手頃な物を投げつけること。

 嘉門の手で、マグネシウムと水がたっぷり詰まった小瓶を投げさせること。それが第二段階の目的なのだ。


「マグネシウムの粉末は水に反応して、燃える。あれ、大変だ。

「……ッッッッぃぃぃいいい!」

「キサラ、貴女が『淑女』として取るべき行動は、何?」


 キサラの地団駄は凄まじかった。怨霊の叫び声みたいな唸りは館が震えるかと思うくらいで、嘉門ですら、怖気づいて見えるほどだった。

 そして彼女は、やっとの思いで、嘉門に命令する。


「………………これを、片付けなさい」

「キ、サラ」

「早くッ! クソ! クソクソクソ!」


 ああそうだろう。あれほど保身を考えて慎重に立ち回ろうとしていたのだ。

 慎重を期した結果、なんて、そんなふざけた結末は、受け入れることができない。

 この火事の元を見過ごすことなんて、選べるはずもないのだ。

 芙蓉が見抜いた本質は見事に彼女の心を抉り、行動を縛る。

 ここから逃げ出す私達を見過ごすことしか、彼女たちにはできない。


「もう、逃さないわよ」


 悠々と窓に足をかける私に向かって、キサラは低い声を出した。


「本当に、愚かな子。優先度を下げてやっていたのに。もう本当に、許せない。貴女と、あの石蕗とかいうチビ。絶対に潰してやる」


 その言葉には悪魔が住んでいるみたいだった。

 烈火のような怒りは、真っ黒な恨みに色を変え、その火焔の舌先に私を見据えてしまった。

 キサラの高貴な目は、初めて出会ったあまりに不快な存在のせいで、濁ってしまっている。

 私はぽりぽりと頬を掻いて、へへへ、と笑って、窓から飛び出した。

 

 

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