第3話 - 間に合え!入学式!③
彼女は「まず」と前置きした。
私は頷きながら、芙蓉の方に身を寄せる。
「私達が早朝、この学園へやって来ると、あのメールが飛んできた」
あのメールというのは、無論、学長からのお祝いのメールだろう。私と芙蓉がここへ到着した時間は異なるはずだから、きっとあれは、敷地内に入ってきたタイミングで自動送信されるように設定されていたのだと思われる。
「入学式に遅れたら退学……みたいなことを匂わせるメールだった。でも、肝心の式の場所はどこにも書いていない。その時周りにいた他の生徒も、同じように、頭を悩ませていた。みんな、そこら中の建物を当てずっぽうで彷徨ったりした」
どう考えても情報が抜けているとしか思えない、非常識な文章。だけど、それを指摘する宛もなく。
こんな入り口で躓くわけにもいかない生徒たちは、各々の方法で、泥臭い探索を強いられることとなった。
でも、そんな真っ暗闇みたいな状況でも、わずかな光明を見出す者は、中にはいるのだ。
「そんな中、コウくんが、文章をじっと見つめていると、呟いたの。『そうか、わかったぞ』って」
「わかった……? ど、どういうこと?」
私は驚いた。なんと、そこで横たわる彼は、あの文面だけを見て、なにかを閃いたというのだ。
芙蓉は、少しだけ誇らしげに胸を張り、自慢気に話を繋げた。
「彼は地図アプリを開いて、何かを確かめたあと、頷いたの。俺についてこいって言いながら、何処かへ私を連れて行こうとした」
きっとそれこそが、入学式の場所なのだろう。あんなに少ないヒントの中から、希望を繋ぐ道を見出した彼は、確かにこの学園に相応しい能力を持っていたようだった。
だけど。
きっと、全てにおいて、思ったとおりに物事が進むことなんて、あまりないのかもしれない。
傷ついた『彼氏』の体を見て、芙蓉は、悔しげな表情に変わった。
「――なにか、見つけたのですか、って。声を掛けられたの」
「……もしかして」
「振り向くと、いつの間にかそこには、キサラと名乗る女と、大男が近付いていた」
己の不始末を悔いるかのように。芙蓉は、ごつんと、小さな拳を、おでこにぶつけた。
「見るからに怪しかった。関わっちゃいけないと思った。だから、黙ってそこから離れようと思った」
そこから先の展開は、いくら能天気な私でも、想像がついた。
「いきなり、男が襲いかかってきた。コウくんは、迷わずに私を庇って、気付いたら幾つもの攻撃を受け、最後に投げられていた。私は、すぐに彼の側に駆け寄って、乗ってきたEVバイクに乗せて逃げようとした」
だけれど捕まった。そして、見事に二人共噴水にまで投げられてしまった。
「そして貴女に出会った」
そして、芙蓉は、息を吐き出した。
「……疑ってしまって、ごめん、なさい」
私は首を横に振った。
その心情も、理解できた。
彼女は、自分のせいでコウくんがやられてしまった、と、責めているのだ。
同じことを繰り返さないように、そしてなにより、彼を守るために。その小さい体の中に収まりきらないような警戒心を秘めて、ここまでやってきたのだった。
そんな少女を、誰が責められようか。
「話してくれて、ありがとう。うん、やっぱり、あそこで突撃して正解だったね! そう、思えるよ」
「正解……かどうかは怪しいけれども」
「それにしても、紅くん凄いね!? 入学式の場所、もうわかったんだ! じゃあこれから、どうにかしてここから抜け出して、式場に入っちゃおうよ!」
八方塞がりだった状況に、道筋が見えてきた。そうだ、あの二人組と戦う必要はないんだ。ゴールは入学式に間に合うこと。それさえ最優先にしていればよいのだ。
だけど、そんな私の提案を受けて、芙蓉は突如、鎮痛な面持ちになった。
不安げに紅くんをちらりと見やって……目を伏せる。
「――悪いけど、その場所は、今は、わからないの」
「わからない……? え、でも、なにか掴んだんでしょう?」
「その、なんていうんだろうか……」
「芹沢さんよ。すまねえが、そういうことにしといてくれ」
突如、紅くんが、会話に口を挟んできた。
辛そうに眉をひそめながら、彼は言葉を選び、ゆっくりと続ける。
「諸事情があるのさ。これ以上は、今は話せねえ。ほんとに済まねえが、『式場の謎は、俺たちにもわからなくなった』ということだけ飲み込んでくれねえか」
「諸事情……」
そんな説明があるだろうか。
もやもやとした感覚しか残らなかったが、芙蓉の申し訳なさそうな表情を見て、私は簡単に頷いた。
「うん。理由があるってことだよね。わかんないけど、しょうがないよ。そういうことにしておく」
「……貴女、本当になんなの」
指でオッケーマークを作り軽やかに了承した私に向かって、芙蓉はむしろ不信感が増した、みたいな顔をして言葉を吐いてくる。
「利用されてるとか思わないの? 都合のいいところで貴女を切り捨てたいから、重要な情報を隠してるとか。そんな発想は無いわけ?」
「本当にそうだとしたら、そんなことわざわざ言わないよね!」
あっけらかんとそう返す。
芙蓉はそんな能天気な私を見て、しばらくフリーズしていた。
ものすごく自明なことを言っているだけなんだけど、なんでこんなに気まずい時間が流れるのかな。
彼女は、はぁとため息を吐いた。
「なるほど。本物ね。ふふっ。ほんと、楽しい学園ね。色んな人がいるんだ」
「カハハ! 言ったとおりだろ? 痛みもぶっ飛ぶくらいの衝撃だぜ!」
芙蓉と紅くんが、仲良く笑いあった。
私はそれを見て、ああなんて平和な光景だろうかと、一緒に微笑むことにした。
「じゃあ、優希」
「うん? あっ、なになに?」
「あなたのお話も聞かせて頂戴」
芙蓉が、そう促した。そりゃ当然の流れだ。
私は朝からの出来事を思い起こしながら、同じように時系列を話した。
「自転車で学園まで来て、メールが来た。式場なんてわからなかったから、とりあえず走り回るかと思っていたら、二人に出会って、あのでっかい男の子に突撃して、今に至る、って感じかな」
「……」
「うん!」
「……終わり?」
「え、うん。そうだけど」
芙蓉の笑顔が、再び凍りついた。
「いっぱい、色々あるんだけど」
「うん! いいよ、なんでも聞いて!」
「自転車でここまでやってきたの……?」
「だって、事前の案内で、敷地内は超広いから、移動用の車両は用意したほうがいいって言われてたし。タクシーとか軒並み、ここへの送迎断ってくるし、仕方なく漕いできたよ」
「……漕いできた」
芙蓉は噛みしめるようにその言葉を反復させた。
「家の送迎は……?」
「家? あー、えっと、私、両親いないから、そういうの頼れないんだ」
「……待って。優希。あなたは、なんの家業の出身?」
「家業?」
芙蓉は頭を振りながら、胸ポケットを探り、小さなバッチを取り出した。
それは、見覚えのあるシルエットだった。
銀色に輝くそれは、確か、国内でも大手の、車メーカーのシンボルではなかったか。
名前は確か、ええと、ツワブキモーターだったような――。
「ツワブキモーター……?」
芙蓉は頷く。
「私はそこの娘よ」
私は叫んだ。
「うっそ! ウソウソ嘘! あのツワブキモーターの、令嬢!? え、凄い! 令嬢なんて、凄い! 初めて見ちゃった! ヤバイヤバイ! 確かに、気品みたいなのが違うなぁーって思ってたんだけど!」
「優希。知ってるわよね」
芙蓉は、一際冷静な声色で、そう尋ねた。
「この学園は1億円の超学費制よ。集まってくる子は皆、権力者か富豪の娘達に決まっている」
むしろ珍しいのはお前のほうだと。
彼女の視線が物語っていた。
「ここまで来れたということは、なにかしらそういう出自がないと、まず不可能だと思うのだけど。優希、あなたはなにを持ってるの」
「えーっ……持ってる、って難しいんだけど」
私はぽりぽりと頭をかきながら、言葉に詰まった。
「私、中卒だし。そういう自慢できるようなものは何も持っていないんだよね」
「…………信じられない」
芙蓉はその場でひっくり返らんばかりに、のけぞった。
紅くんは、相変わらずとんでもなくおかしそうに、ゲラゲラと笑っている。
彼女はやがて姿勢を取り戻し、私の両肩を掴みながらまくしたてた。
「そ、そう……わかったわ! 『彼氏』! 『彼氏』になにかがあるのね! ていうか、そう! あなたの『彼氏』はどこにいるのよ!」
「ええっとですね、私の『彼氏』は、その」
私はもじもじと指を合わせながら、恥ずかしげに言った。
「はぐれちゃってて。朝落ち合う予定だったんだけど、こんな感じで」
「いやいや! 連絡取りなさいよ! レンズあるんでしょう!? 御舟で『彼氏』とはぐれるなんて、あり得ないよ!」
「いやぁ、お恥ずかしながら、私の『彼氏』……」
照れを隠すようにしながら、ありのままの事実を喋った。
「レンズ、持ってないんですよ。旧式の携帯端末しか持ってなくて、繋がらないんですよね」
「――……――――…………」
いよいよ芙蓉は絶句した。がくりと肩を落とし、口をぱくぱくとさせた。
「今時……レンズを持ってない……? どんな……どんな原始人……一般庶民以下じゃない……信じられない」
「きっと心配してるだろうな、宗介くん。早く戻ってあげないと」
もし彼女が、なんらかの期待をしてくれていたのだとしたら、本当に申し訳ない。
そういう特別な背景は、なにもないのだ。ただの努力と根性と奇跡でここまで這い上がってこれた、普通の凡人なのだから。
芙蓉は一息つくと、深刻な表情で私に語りかけた。
「残念だけど、貴女の『彼氏』は、諦めたほうがいいかもね」
「……えっ、諦める……とは?」
「いいわ。折角だから、ちゃんと教えてあげましょうか」
そして、彼女は、聞き分けのない子供に説明するような感じで『彼氏』とは、という話をし始めた。
「御舟学園の超学費に並ぶくらい、特殊な制度と言ってもいい。この学園に来る資格があるのは、基本的には女子のみ。男は、受験すらする機会がない」
「うん。勿論、知ってる。全国の才女にのみ開かれる門だって」
「そして無事入学が叶えば、その女の子達は『淑女』であることを求められる。どんな状況でも、優雅に、賢く、そして大胆に立ち振る舞う、特別な人材としての『淑女』の姿を」
だから、この学園内では、女子生徒は『淑女』と呼び習わされる。特別な概念で、決しておろそかにしてはいけない言葉。だから『淑女』なった女の子達は、色々な特権を与えられる。
「そう。私達は特別な存在。だから、様々なことが求められるし、その中での戦いは想像を絶する。――だけど、『淑女』である以上は、スマートな立ち振舞いが不可欠となる。敵と直接殴り合うなんてみっともない真似は、ご法度なの」
なので『淑女』は、パートナーを選ぶ。
揉め事、暴力、抑止力。そういった、外側へ行使するパワーは、彼女たちが一任した男たちが担うこととなる。
「『淑女』がただ一人選ぶ、運命共同体の男子――それこそが『彼氏』。彼らが此処へ足を踏み入れられる、たった一つの切符の名前よ」
勿論その名は俗称だが、本来の意味よりも、込められた願いや期待は、遥かに大きい。
ここは特殊な自治権のようなものが発動している。通常の日本の法律なんか、なんの役にも立たない。圧倒的な力が弱者を飲み込む、地獄の窯のような厳しい世界だ。
『淑女』は与えられた権力を使い、戦略・戦術・謀略を練る。それに基づいて『彼氏』はあらゆる艱難を退け、共に「卒業」を目指すのだ。
どちらかが崩れたら共倒れになる。まさしく運命共同体。『淑女』はより有能な『彼氏』を探し、寄り添うのだ。
「そんな大事な『彼氏』を遊ばせておくなんて、本当に信じられないし、ありえない。『淑女』とはぐれた『彼氏』なんて、一人でもライバルを減らしたい奴らにとって、絶好のカモにしかならないわ」
「でも、でもでも! 宗介くんは、すっごく優しくて、頼れるから、そんな簡単にやられないとは思うんだけど……!」
「ソウスケくんがなんなのかは知らないけど」
芙蓉は、再びため息を吐いた。
「いい? 優希。卒業までの戦いは、既に始まってるのよ。役に立たない楽観や憐れみ……そういう甘さは捨てなさい。貴女の想像を絶する異常が、ここでは日常なのよ」
そんな正論を言い放ち、私に現実を突きつけてきた。思わず「うぅぅぅ……」と唸ってしまうけど。
「わかる、けど、さぁ」
「何?」
「その甘さのおかげで、私達は出会えたんじゃないのかな」
芙蓉はしばらく押し黙り、しばらくして「そうかもね」と、短い言葉を返した。
私は窓の外を見て、ここにはいない彼の姿を思い浮かべた。
最後に見た、優しげな笑顔を心に浮かべる。
「宗介くん、大丈夫かなぁ」
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