第31話 「半身」
ゲイバー遊びに興じていた浪人時代を終え、僕はある私大へ進学した。
入学式は勿論行っていない。というか、最初の語学の選択を終え、クラスが決まると、5月くらいまでは授業はないのだろうと思って大学には顔を出していなかった。
ドイツ語選択のそのクラスに僕が戻った頃には、既にだんだんと少人数のグループができるようになっていて、僕はちょうど隣の席同士だった奴らと6人ほどのグループになった。
その6人ほどのグループに入ってきた女の子ふたりが、彼女と小松だった。
グループは、授業の合間に、喫茶店でだらんとおしゃべりをしたり、天気の良い日にはキャンパスの芝生の上で、ひなたぼっこをしたり野球をしたりしていた。
彼女は、いわゆるクラスのアイドル的存在で、そのクラスの中では飛びぬけた美人だった。
なぜか僕とはウマが合い、僕と彼女は頻繁に話すようになっていった。
5月に委員長主催のクラス会が開かれた。居酒屋まで歩く道すがら、彼女は男連中の取り巻きに囲まれて、ワイワイガヤガヤされていた。
居酒屋に入るまでのエレベーター待ちの間、僕は彼女にすっと寄って声を掛けた。
「バックレちゃおうか?」
それが最初のきっかけだったように思う。
その夜、ふたりでずっと話し、すっかり打ち解けた。
それから毎晩のように僕は彼女と電話で話すようになっていった。
彼女となら何でも話せた。いろいろなことを語りあい、電話はしばしば朝までになった。そのうち、僕と彼女は似通った思考、嗜好であることがわかってきた。
何を見ても、口に出す感想は全く同じ言葉。しかも同時に。
何を語っても、同じ意見。しかもまったく同じ思考回路。
嗜好も似ていた。好きな音楽。ファッション。アウトドア。
彼女はパラグライダーのサークルに所属し、僕はダイビングのサークルに入った。
お互い合宿などがあり、山篭り、海篭りの生活だった。
お互いの合宿などの際は連絡は途絶えるが、戻ってきて最初に会う時の顔の輝きは今でも忘れない。
お互いの合宿の話などをし、写真を見せ合い、楽しい時間を過ごした。
そして、夜別れると長電話。
思考や嗜好が似ているため、彼女とは何時間でも話していられた。何時間でも黙っていられた。
無言の間のその表情まで、読み取ることができた。そして無言の間は、決まって同じことを考えているのだった。
僕は感じた。彼女と僕は、元はひとりの人間であったのではないかと。ひとりの人間を、ふたりに分けて、それぞれ別の性を与えたのではないかと。
半身。彼女はまさにそういう存在だった。
この時点では、お互いが恋仲という訳ではなかった。
頻繁にデートはしていたが、一線を越えることはなく、とても大切な友人として男女の友情は成立していた。
僕は僕で、ダンキンドーナツで在籍していた約40名の半数と関係を持ち、「鬼畜」と呼ばれていたし、彼女は彼女で言い寄る数々の男を斬っては捨て、斬っては捨てを繰り返していた。
でもお互いが特定の恋人を作らないという点では同じだった。
特定の恋人よりも、彼女の存在のほうが僕には大事だった。
そうして2年の月日が流れ、大学2年の冬になった。
3年次からゼミに入らなければならず、法律を学んでいたにも関わらず、あまり法律に興味のなかった僕は、「法社会学」という一風変わったゼミを選んだ。
彼女も同様に、あまり法律に興味がなかったため、僕と同じ「法社会学」のゼミを選んだ。
3年次からは、キャンパスも移り、必修の課目を除いては、6人のグループが集まることは少なくなっていった。
その代わり、ゼミが始まり、フランス語のクラスにいたYなどが、ゼミ友となった。
そのゼミは、他の法律を学ぶゼミとは全く異なっており、やっていたのは、能やダンスや建築や哲学と法の関係性についてだった。
あまり大学に通わず、バイトをしては、たまったお金でダイビングに行くという生活を送っていた僕も、ゼミにだけは顔を出していた。ゼミでの一風変わった授業がとても面白かったのだ。
ゼミでは、夏と冬に、ゼミ合宿と称して、半分レクリエーション、半分授業の期間があった。
もう新潟に近い群馬の奥地、猿ヶ京にあったゼミの友人の別荘を借り、皆で1週間ほど過ごす。
ゼミの4年生の先輩や、3年の友人達とともに、囲炉裏を囲んでいろいろな話をした。
皆、相当酔って話し込んでいる中、彼女と僕は、連れ立って早めに近くの宿に戻った。
歯磨きをしているときに、僕が彼女を誘おうとすると、「今はまだだめ」と拒否された。
その言葉を聞いて部屋に戻ってしまった僕を、後から彼女が訪ねてきた。「もう寝ちゃった?」僕は寝たふり。長い沈黙のあと「・・・・おやすみ」といって彼女は部屋に戻った。
ゼミ合宿も終わり、高速のPAで彼女が僕に寄ってきた。「頭痛薬、持ってる?」その頃の僕は彼女の生理の間隔さえも知る仲となっており、生理の重い彼女のために、常に頭痛薬を携行していた。昨晩拒否されたのは生理が始まってしまったからだと知った。
4年次になり、僕は必修のドイツ語を落としていて、そのドイツ語の授業とゼミの時間が重なってしまったため、ゼミを移らなくてはならなくなった。
選んだゼミは中村雄次郎の「法哲学」。中村雄次郎とは日本を代表する哲学者で、なぜかうちの大学に籍を置いていた。3年次の「法社会学」の教授は中村雄次郎の弟子にあたる。
ゼミで会えなくなってしばらくして彼女と電話した。元気のない彼女に「僕がいなくなって寂しいんでしょ」とふざけ半分に言うと、即座に「寂しい!」と大声で返ってきた。その後の彼女は涙で鼻声だった。
4年次の春になり、僕たちはふたりとも就職活動の時期を迎えた。
僕は最初から今の会社と決めていたため、通信系をやっている数社と、商社を少しOB訪問し、今の会社から早い時期に内定をもらっていた。
一方、就職氷河期を迎えていたため、女子である彼女の就職活動は難航した。彼女はアパレルメーカーを希望していたが、なかなか内定が出なかった。
就職できないかも知れない。そんな思いが彼女の頭の中を占領し、ひどいプレッシャーとなって彼女を襲っていた。
そんなある日の朝、部屋の電話が鳴った。彼女からだった。面接に行こうと原チャリで家を出た彼女は、ぬかるみで滑って転んでしまい、スーツも何も泥まみれになっていた。
半泣きで「どうしようどうしようどうしよう」とパニックに陥っている彼女を落ち着かせ、会社に訳を話して面接の日時をずらしてもらえ と僕は言い、彼女はその通りにして事なきを得た。
その晩になって彼女から電話があり、「あの状況で電話するのを思いついたのは〇〇君だけだったなぁ」と言った。
その後随分経って、彼女はあるアパレルメーカーから内定をもらい、僕は今の会社に、彼女はアパレルメーカーに就職することとなった。
迎えた卒業式の日、僕たちは連れ立って卒業式に臨んだ。僕はスーツの上に薄いベージュのコートを羽織っていたのだが、そのコートには、重大な僕のミスがあることに僕は気づいていなかった。
「口紅ついてるよ」彼女からそう指摘され、初めて気がついた。コートの肩のあたりにくっきりと口紅の跡がついていたのだ。そんな所に口紅がつくには、どういう状況がその前にあったのか、一目瞭然だった。
彼女はひどく怒りながらもハンカチを濡らしてきてくれ、僕のコートの口紅を卒業式の間中、無言で親の敵のように落としてくれていた。
そして僕たちはそれぞれの春を迎え、新社会人としてのスタートを切った。僕の最初の勤務先は水戸支店。まず現場を学べという社の方針によるものだった。彼女の勤務地は四谷。秘書担当に配属になったということだった。
それぞれ別れ別れになりながらも、連絡は頻繁に取り合っていた。そうして、しばらくて、彼女はYの車に乗って、水戸の僕の部屋を訪ねてきた。これといった名所旧跡がある訳でもないので、僕の部屋で一日を過ごした。そして帰り際、ワンルームの狭いキッチンにグラスや茶碗が2個づつあるのを見て、彼女は涙目で帰っていった。
水戸時代、僕は本社から来た新人ということで、かなりモテていた。仕事中に「○○さんとだったら、してもいい」と言い出す若い子もいて、それなりに楽しい生活を送っていた。
一方彼女は、秘書室での社長の度重なる酷いセクハラに悩まされていた。悩みは電話を通じて僕の所にも伝わって来ていた。彼女は悩んだ挙句、その会社を辞めてしまった。
しばらくして、彼女は桑沢デザイン研究所に入学した。入学した彼女は授業が楽しそうで、いつも課題に追われていると言っていた。
3年間の水戸の勤務を終え、僕は本社に呼び戻された。経営企画部。その部門には表経企と裏経企とがあり、表向きは会社の事業計画を作成する重要部門。裏の顔は、買収や買取や乗っ取りを画策するブラックな部門。僕が配属されたのは裏経企だった。住居は水戸から会社の寮に移り、葛西に住むことになった。葛西は彼女が住む千葉からも近く、場所としては悪くはなかった。
その頃彼女は、実家を出て一人暮らしを始めようとしており、電話で「転がりこんじゃおっかなぁー」と言われたのもこの時期である。
その頃僕は、実はもう結婚間近となっている人がおり、話はそっちの方向に進んでいた。
結婚が決まったその晩、彼女に真っ先に電話をした。最初に告げねばならないと思っていたからである。
「実は・・・結婚することになった」と話を切り出すと彼女はしばらく黙りこみ、「あたし、2ヶ月くらい寝込むと思う」と言って電話を切ってしまった。
その後、彼女は桑沢を卒業して、小さなデザイン会社に就職し、webデザイナーとなった。
僕は結婚し、家庭を持った。
翌年の年賀状には「同じ東京に居るのに、今年は一度もお会いできなかったのでしょうか。」と胸の詰まる言葉が綴られていた。
そうして僕は、仕事が劇的に忙しくなり、深夜のタクシー帰りが定番となった。
彼女は彼女で、デザイン会社の取引先の人と結婚し、家庭を持った。
お互いが幸せになったと思い込んでいた矢先だった。
彼女が会いたいと言ってきた。会った。子供が欲しいが出来ず、通常の不妊治療では無理だと判断され、高度不妊治療に移るということだった。旦那は長野に長期出張になり、自宅へは、たまに週末帰ってくるだけになっていると聞かされた。
それから数年して、Yが結婚することとなった。結婚式に出るのか?というメールを彼女に出したが、様子がどうもおかしい。「何かあったのか?」と聞くと「あったとも」というタイトルのメールが送られてきた。
そのメールには、旦那が長野で女を作り、挙句の果てに子供まで出来てしまい、「この先の人生は、長野の彼女と歩んでゆくから別れて欲しい」と言われ、現在離婚調停中である旨が記されていた。
僕に何が出来るのかと悩みに悩んだ。 出た答えは「何も出来ない」だった。
そんな事があって、現在も泥沼の離婚調停中の彼女は外部との連絡を仕事以外、一切絶ってしまった。
電話をしても留守電になるだけ。
今でも、ときどき会わないかとメールを出す。2、3日して丁寧に近況が綴られ、「あなたとはまだ会えない」という。
会えないのかも知れない。この先もずっとずっとずっと。
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