第5話 マルワンビール

今日、僕の眠りは浅かった。


夢を見た。


夢の中で、僕は家人と、今ではめったにお目にかかることのない「マルワンビール」という☆のついたラベルの瓶ビールを目当てに、大久保にある一軒の居酒屋を訪ねた。(実際にはそんなビールは存在しない。)


さっむい日だった。


大久保通りを少し中野寄りに歩いたところにあるその店は昭和30年代に建てられたと思われる古い一軒屋。


安ぶしんのアパートを思わせる六畳一間に、漆喰の壁。壁のところどころは剥げていて、天井は何人もの住人が住んだと思われる煙草の煙で茶色く燻されている。畳のところどころはささくれだっていて、もう何年も畳替えをしていないと思われる。天井からは裸電球に傘のついた照明。

他には、壁際に古いランプが2つ天井から半分錆びたチェーンでぶら下がっている。古い雨戸が半分閉まった状態の窓には、障子の紙を曇りガラスに入れ替えたような薄いガラス窓。

六畳一間に丸いちゃぶ台。せんべいのように薄い座布団。古い木の置き台には黒電話。

ちょうど、吉祥寺のいせやの井の頭公園店のような雰囲気だ。


おやじさんとおかみさんとお手伝いさんの3人で切り盛りしていて、供される料理はおでんと一品料理。あと、しめのうどんは注文があってからおやじさんがうつ。


その日の客は僕たちしかおらず、マルワンビールを飲みながら、おやじさんやおかみさんといろいろ話す。風の強い日で、窓はガタピシいい、壁の隙間から風が入ってくる。風に天井から吊られたランプが揺れ、薄ぼんやりと六畳一間を照らす。


ビールを飲み終え、日本酒に。欠けたお椀のような杯に、熱燗。


その頃には、もう今日は看板だなと言って、おやじさんとおかみさんもちゃぶ台に加わる。


お手伝いさんは大きな釜でうどんを茹でていた。


築何年くらいになるんですか?と聞くと、開店して9年だという。

なんだ新しいじゃないか! じゃぁ、この内装は、全部、それっぽく造ってあるってことですか? と聞くと、えへへ、そうだよ。と答える。 見事に騙された。


こんな感じじゃ地震がきたらすぐ潰れちゃいそうですよね。と聞くと、実はね、ちゃんと壁の中は耐震構造になっているの。と言う。


ランプの揺れて出来た壁のキズや、煤けた天井や、多くの住人が壁にもたれて長電話したと思われた壁の色の剥げ方も、すべて計算ずくだったのだ。


そういえば、おやじさんの顔はミナトさんそっくりだった。笑



また行こうと思う。勿論夢の中で。実際には存在しない、マルワンビールと美味しいおでんとうどんを求めて。

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