第3話 木屋の包丁の話

日本橋に木屋という刃物屋があります。

聞けば江戸時代から続く老舗のようです。



友人から木屋の包丁を贈られ、すばらしくよく切れるここの包丁を愛用していました。



今でこそレトロな味わいマンションを好んで選ぶようになりましたが、昔はいわゆるデザイナーズの物件を選んで住んでいた頃がありました。




ある日のこと。




料理をしていて、ふとしたはずみに手を滑らし、コンクリートむき出しのキッチンの床に包丁を落としてしまったのです。


足の上に落ちてきた包丁をすんでのところでよけたまではよかったのですが、包丁はコンクリートの床に真っ逆さまに突き刺さってしまいました。



抜こうとして力を入れた刹那、パキンと音がして、床に突き刺さった包丁の先端が折れてしまいました。




とてもショックでした。


こんなに使いやすい包丁がダメになってしまった。


どうしよう。


先端がなくては使い物にならない。


どうしよう。


そう思いました。




ひどくショックを受けた僕は、同じ包丁を買いなおすつもりで、電車に飛び乗り、日本橋へ向かいました。


折れた包丁は、お店で処分してもらおうと、箱に入れトートに提げて持って行きました。



木屋に入るとお店のおじさんが穏やかに迎えてくれました。



折れた包丁を見せ、折ってしまったので同じものが欲しいのです と伝えるとおじさんは、


「お兄さん、ちっと待ってな。」


と江戸弁で言い、店の奥に消えました。


しばらくの間、お店に飾られている包丁を見ながら待ちました。


値段を見ると驚くほど高価なものばかりで、そのとき初めて、あの包丁はものすごく高いものだったんだと知りました。




しばらくして、店の奥からおじさんが出てきました。


手には見慣れたあの包丁が握られています。



「直しといてやったよ。ついでに研ぎもやっておいた。」



見せてもらうと、折れていたはずの先端が、なんと元通りになっていました。


おじさんは折れた先端を削って、新しい先端をつくってくれたのでした。



「ほんのちょっと短くなったけどよ、ほれ、元通りだよ」



僕は感激しました。



「御代はいらねえよ。困ったらいつでも来な。」



そう言っておじさんは店の外まで僕を送り出してくれました。




帰ってさっそく試してみると、刃先が吸い込まれるようにトマトが切れていきました。


使い心地も前と何ら変わりありません。


おじさんが研いでくれたせいか、前よりさらに切れ味が鋭くなったような感じがしました。






人は皆、それぞれに尖った先端の部分を持っていると思います。


何らかのはずみで、その尖った部分が折れてしまうこともまたよくあることです。



たとえそうなってしまっても、


何も心配いりません。



木屋の包丁のように、必ずまた直ります。



ほんのちょっと、短くなるかも知れませんが、


それでそのひとが否定されたり、


だめになったりすることはなく、


切れ味はまたすっかり元のように


必ず直るのです。



だから、


何も心配することはありません。






これが、


木屋の包丁の話 です。

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