◇三人が向かった王都では、悲しい現実が待ち受けていました。

 王都は思いのほかリュミナ村に近く、外の世界を知らない少年たちでも三日ほど歩けばたどり着くことができた。


「ここが王都……なんて綺麗なところなのでしょうか」


 王都。別名『水の都リー』

 クラルテ人の女王が治め、その名の通り芸術的な噴水や水路が引かれた美しい都である。


「すごいね、やっぱり村とは人の多さも全然違う」

「露店もいっぱい出てんな! なぁトウマ、まずはちょっと見ていかねぇ?」

「そうだね……僕としては女王様に謁見して、フィーネのことについて何か知らないか聞きたいけど……」


 少年は横目で少女の様子を見る。

 彼女の目にも王都の市場の賑わいは楽しいものとして写っているらしく、青い瞳をキラキラと輝かせながら人通りや露店を眺めていた。


「──三日も歩くばかりで疲れちゃったし、休憩がてら少し町を見てまわろうか」



          §



「見てくださいトウマ! このお洋服とっても綺麗な色……」

「それはイアって植物から作られる染料で染めた衣類だね、王都の特産品らしい」

「あの果物はなんでしょうか? 真っ赤に熟してこちらまで甘い匂いが漂ってきます!」

「あれはリコリという果物だよ、温暖でこの都みたいな水の豊富な地域でしか育たないそうだ」

「ふふ、トウマはなんでも知っているのですね」

「……村にいたとき本ばかり読んでいたからね。大したことじゃないよ」


 遺跡で出会った時の彼女の第一印象は物静かで大人びた、少し気の弱い子というものであったが、市場の露店にはしゃぐ姿は歳相応な無邪気さが伺えた。


「……ん?」

 少年はふと、違和感に気付く。

 まるで何かに見られているような……。


「あ、このマスコットかわいい〜! なんだかレンに似てません?」


 その違和感は少女の溌剌とした声にかき消された。


「ふふ、そうだね──って、レンは?」


 辺りを見回すも、友人の姿はない。長身赤毛という彼の出で立ちはいつもなら遠くからでもすぐに見つけられるはずなのだが。

「はぐれてしまったのでしょうか……。ごめんなさいトウマ。私が周りを気にせずはしゃぎまわってしまったから」

「フィーネは悪くないよ、レンが勝手にどこか行くなんていつものことだから」


 しかめっ面で溜息を吐く少年を少女は不安そうに見る。自分がもっと周りに気をつけていれば、もし二人が仲違いしてしまったら──。胸中を不安が渦巻く少女の思考は、露天商の声で現実に引き戻された。


「そこのお嬢ちゃん! アンタ綺麗な髪をしているねぇ!」

「っふぇ⁉ わ、私のことでしょうか……?」

「そうそう、そこの白い髪のお嬢ちゃん! もしかしてクラルテ人かい? まさか二ウール様の隠し子だったりしてな!」

「にうーるさま……?」


 聞き慣れない名に首を傾げる少女。そんな彼女と露天商の間に割って入るように少年は口を開いた。


「二ウール様はアレンドを治める女王様だよ。陛下はクラルテ人なんだ」

「クラルテ人……」

「なんだよ兄ちゃん、アンタはその子の知り合いかい? 彼女はクラルテ人?」

「…………」


 露天商の馴れ馴れしい態度に少年は冷ややかな視線を向ける。居心地が悪くなったのか「冗談だって、そう怒らないでくれよ」と茶化す露天商に少年は問いかけた。


「この辺りで赤くて長い髪をした背の高い男を見ませんでしたか?」

「……赤い髪?」


 特におかしなことを言ったつもりはなかったが、露天商は酷く険しい顔になった。


「兄ちゃんたち、あいつらに何か用かい? 」


 あいつら、という言い方に嫌なものを感じる。不穏な気配。


「──知人を探しているんです」


 余計なことを喋ってはいけない。少年の勘がそう告げている。露天商は、なおもこちらを猜疑の目で見つめていた。


 暫く緊張の沈黙が続き、とうとう折れた露天商が口を開いた。


「……あいつらはこの市場にはいないよ。いるとしたら都の下層にある──サンサル居住区にいるんじゃねぇか」

「サンサル居住区?」

「ほら、あそこの通路を通って下へ行く階段を降りたところだ。さぁ行った行った!」

「え、なんでそんな、」

「あいつらの知り合いとなんかこっちは関わり合いたくねぇんだよ、さっさとあっち行きやがれ!」

 しっしと手で追い払う仕草の露天商。表情には嫌悪が浮かんでいた。二人は教えられた通り、この都の『サンサル居住区』と呼ばれる場所に向かいながら顔を見合わせていた。


「一体どうしたのでしょうか、あの露天商さん…」

「さあ、僕が睨んだから不機嫌になっちゃったのかも」


 実際のところ、態度が豹変したのは少年が「赤い髪」という言葉を口にした時だ。赤い髪……何かあるのだろうか? 確かに村でもあの美しい緋色はレンだけだった。綺麗な色だなと思っていたくらいで少年は今まで特に疑問に思うことはなかったが、考えてみれば不思議だ。


「あかいかみ……サンサル居住区……サンサル……たしか昔どこかで……」

「トウマ、」

「待ってフィーネ、今なにか思い出しそう。……そうだ、あれはレンのお爺さんの部屋にあった本で、読もうとしたらレンにそんなの読んでないで遊ぼうって取り上げられて……それで喧嘩になって、仲直りはしたけど結局あの本は読めずじまいだったんだ」


 独り言を呟きながら遠い昔の記憶へと旅行する少年に、少女は再び声をかける。


「トウマ。レンなら何か知っているかもしれませんよ? ほら、あそこ」


 彼女がてのひらで指し示す方に目をやると、見慣れた赤い髪の友人。どこで手に入れたのかフード付きのマントを被っている。彼はかなり身なりの悪い赤髪の老商人と話しているようだった。


「レン!」

「は? トウマ⁉ なんでここに……」

「こっちの台詞だバカ。勝手にいなくなるから心配したんだよ⁉」


 少女とともに友人のもとに駆け寄ると、赤髪の老商人は表情に恐怖を滲ませ、小さな悲鳴をあげて平伏した。


「ひっ、申し訳ございません……」

「え、何?」

「あー違うんだ、こいつらは俺のダチで……とにかく悪い奴らじゃねーから、怖がらなくていい。俺が保証する」


 身体を丸めて震える老商人の背を友人は優しく撫でる。よく見るとその老商人の枝のように細い四肢にはたくさんの傷や痣がついていた。ふと辺りを見渡すと、同じように身なりの悪い、全身傷だらけのやせ細った赤髪たちが不安そうにこちらを見ている。

 さっきまでいた美しく活気ある市場とはまるで別世界に来てしまったかのような、悲痛で異常な雰囲気だった。


「よしよし、大丈夫だから、な? 落ち着いたか? 怖い思いさせてごめんな……また来るよ、今日はありがとう」


 友人は老商人にそう優しく声をかけると、マントを翻し「行こうぜ」とだけ言い歩きだした。

「レン、どういうことか説明──」

「あとでな。お前らがいたんじゃ目立って仕方ねぇ。上で話そうぜ」


 その声色はいつもの友人と何ら変わりなく快活だったが、彼は少年に一瞥も向けることなく、その表情はフードに隠れて見ることができなかった。

 


          §




 三人はサンサル居住区を抜け、宿屋へと足を運んだ。道中、なんとなくピリついた雰囲気で三人は無言で歩いていた。


「はーーーーーーー……、三日ぶりのベッド最高だな! あれ、四日ぶりだっけか?」


 宿屋に辿り着き部屋に通された赤髪の友人は、マントも取らずにベッドに飛び込む。友人の間の抜けた声に少年たちは安堵した。


「レン、その格好のまま寝転んだら汚いでしょ」

「ここ最近野宿ばっかだったから身体バッキバキなんだって! トウマも寝転んでみろよ、ほらフィーネも!」

「ふふ、そうですね」


 くすくすと笑いながら少女もベッドの端にちょこんと座る。「もう、フィーネまで……」と呆れた視線を向けつつ、少年も上着を壁に掛けたあとベッドに腰掛けた。


「ほんとだ、ふかふか」

「はー、ようやくちゃんと休めるぜ……」

「レンはこの都にたどり着くまでずっと、襲ってくる虫や動物から私たちを守ってくれていましたものね。本当にありがとうございました」

「いやー、それほどでも……あるかなぁ。なんつって」

「うん、本当に助かった。僕からも礼を言うよ。レン、ありがとう」

「よせよ、照れんだろーが。じいちゃんに貰った刀もあるし、か弱いトウマくんたちを護ってやるのもオレサマの役目だろ」


 友人は照れ隠しなのかフードを目深に被りなおす。


「しっかし疲れた〜、このまま寝ていい?」

「それはだめ。休むのはさっきの……サンサル居住区のことを聞かせてもらってからだよ。レンが話してたあの商人とはその、知り合いだったの?」

「なわけねーだろ。俺たちはついこの間、村から出たばっかなんだから」


 それもその通りだ。少年と友人はつい数日前に村を出るまで外の人間とは一切触れ合ってこなかった。村の外に知り合いなどいるはずがない。


「そのマントはどうしたのですか?」

「んん? これはあれだ……さっきの商人のばあちゃんから貰った。似合うだろ?」

 少女の問いかけに友人はおもむろに立ち上がり、両手を広げてその場でくるりと回る。生地は古びた生成の麻布。ところどころに汚れやほつれが見られ、お世辞にも綺麗とは言い難い。


「なんだってそんな古びたマントを……。それに、レン以外に赤い髪の人なんて初めて見た。あそこの人たちはどういう人なの? 見た感じかなり貧しい暮らしを送っているようだったけど」

「……」


『赤い髪』という言葉を発した途端、市場で会った露天商と同じく友人の顔が曇ったのがわかった。心配になって友人の名を呼ぼうとすると、彼は煽るような口調で言葉を発した。


「あれあれぇ?本の虫で博識なトウマくんがご存知ない? この忌むべき赤髪のことを」

「……わからないから聞いてるんでしょ。『忌むべき赤髪』ってどういうこと?」

「知りたい?」

「勿体つけなくていいから」


 どうしようなぁ、と呟きながら友人は自らの緋色を指先で弄る。そしてちらりと横目で少女の方を見る。


「あ、えと、私も気になります! でも話しにくい内容でしたら私だけ席を外します! いえ、そもそもレンが話したくないことなら無理に聞かない方が……」

「いや、気にすんな。まあ二人がどーしてもって言うなら、話してやらないこともない」


 そう言うや否や「どうしても」だなんて誰も言っていないにも関わらず部屋の中を歩き回りながらゆっくりと語りだした。


「──この世界の人間は、人種的な括りで言うと二種類存在するってことになってんのは知ってるよな?」

「光神の末裔って言われてる白い髪のクラルテ人と、僕たちアレンド人だよね。『ことになってる』っていうのは?」

「実はクラルテ人とアレンド人の他にもう一つ別の人種が存在するんだ。その名もサンサル人! そいつらは血を連想させる不吉な赤い髪をしているらしい……」


 こんな風に! と友人は自身の髪を見せつけるように靡かせた。


「別に不吉でも何でもないでしょ。確かに珍しくてよく目立つとは思ってたけど」

「わかってないねぇトウマくんは。いいか、よく聞いておけよ?」


 彼の言葉を要約すると──

 サンサル人は、その昔この世界を破滅に陥れようとした闇神の血を引く種族。罪深く穢れた血を引く彼らは事実上存在しない人種として扱われ、専門書以外のあらゆる文献に記載されない。

 存在しない人種とは、言い換えれば人間として定義されていない、人間扱いを受けられないということ。そのため彼らは人権を与えられず、いかなる資源も無条件に剥奪され貧民街に押し込められながら労働奴隷として使役されている──


「そんな、……」

「なんて酷い……」


 話を聞いた二人は思わず絶句する。同じ人間であるはずなのにそんなことあっていいはずがない、というのが少年の率直な感想だった。


「ま、本当に闇神の血を引いてるのかはわかんねーんだけどな。このマントは赤髪隠しってわけ。この都に来てから周りの奴らからの視線が痛いのなんのって……」


 おどけてみせているが、彼の表情は今まで見たこともないくらい悲しそうで。


「レン、」

「トウマ、どうしてリュミナ村には村の出入りを禁止する掟があるか、お前は詳しく知らないんだったよな?」

「……うん、村の外は凶暴な生き物がいて危ないからって聞いてたけど、それだと入ってくることまで禁止される謂れがないよね」

「そうだ、それが本当の理由じゃない。本当の理由は血が混ざらないようにするためだ」

「血が?」


 外の世界に出た人間が、万が一サンサル人に孕ませられたら災厄が広がってしまう。また、サンサル人が村に紛れ込めば災いをもたらされる。そのためリュミナ村は商人以外の外部との交流を絶っていたのだ。

 リュミナ村だけではなく、同じ理由でほとんどの村や町が閉鎖的であるという。


「でもその話だと矛盾が生じる。だってレンはその、サンサル人なんだよね? それなのにリュミナ村で普通に暮らしてたじゃない」

「『普通』ではなかったよ、お前の目にどう映ってたかはわかんねーけど。前にもチラッと言ったが、ガキの頃は村人みんなに寄って集って虐められてた。そのたびにじいちゃんが護ってくれてたっけな……」


 遠い目。

 あの日別れた、そしてもう二度と会えないであろう育ての親に友人は思いを馳せているのだろう。


「随分肩身が狭かっただろうな。村の入口に捨てられてたサンサル人の赤ん坊を拾って、周りの目も気にせず育ててくれてさ……。すげー厳しかったけど、人種を理由に馬鹿にされないよう礼儀や作法を説いてくれて、自分の身は自分で守れるように剣術まで教えてくれて、あの人には本当に頭が上がらねーよ」


 あの日別れるときに言った「どんな目に遭うか」という言葉に、友人のお爺さんは「こういうのには慣れている」と返していた。つまり彼はサンサル人である友人を保護していたことを理由に、今まで何度も酷い扱いを受けていたのだろう。

 そしていつも快活に見えていた友人も見えないところでつらい思いをしていたのだ。何も知らなかった自分が恥ずかしい。


「ごめん、その……」

「あーあー、やめろってその気まずい空気出すやつ! それとも俺が人間じゃなくて引いてんのか〜?」

「何言ってるのさ! 引くわけない、だってレンは間違いなく僕と変わらない人間で、僕の友だちじゃないか」

「ははっ、だよなぁ」

 お前はそういう奴だもんな、と友人は安堵したように呟く。


「そうですよ、レン。人間じゃないかもしれない度で言えば私の方が全然上です!」

「ははっ、そこで張り合ってくるか普通?」


 少女の突飛な発言に友人は思わず吹き出す。


「わ、私には記憶がないので、そもそも人ですらない可能性もあると思って……。うう、全くフォローになってないですよね、ごめんなさい……」

「ククッ、いや、なんか気が抜けて悩んでたのが馬鹿らしくなったわ。ありがとなフィーネ、トウマもくだらねー話に付き合わせちまって悪かったな」


 じゃあ疲れたから今度こそ寝るわ、とマントと上着を取ってベッドに潜り込む友人。それを見て少年たちも休むことにした。



 ──サンサル人。なかなか衝撃的な事実を知ってしまった。彼らにしてやれることはないだろうか。そして少女の記憶のことも……。


 思考を巡らせていくうち、少年はいつの間にか眠りについていた。



          §



「……ん、んん…………」


 おかしな時間に目覚めてしまった。空をまるごとペンキで黒く塗りつぶしたような真っ暗な夜。闇神が支配する時間。

 赤髪の友人と白髪の少女が少年の両隣で寝息を立てていた。


「……」


 サンサル人のこと。

 差別のこと。

 それによって友人は苦しんでいたということ。

 ずっと一緒にいたのに何一つ気付けなかった後悔に少年は顔を歪める。幼い頃はよく自分の平凡な薄茶色の髪と比べて友人の鮮やかな緋色が羨ましく感じたものだ。


「──サンサル居住区に行ってみよう」


 差別の多くは誤認や誤解から生まれる。せめて自分はサンサル人のことを正しく理解しなければ。

 少年は上着を羽織り、闇神の統べる世界に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

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