姫は鏡に映らない(2)
※
息をひそめて、気配を抑えて、移動する。
「抜き足、差し足、忍び足……」
それぞれどんな足運びなのか知らないのだが、様式美は大事だ。
なので、律儀に口に出して繰り返しながら、ファナティアは乗降タラップをコソコソと下りていく。
正直、コッソリ抜け出すだけなら、いつものように適当な外柵を跳び越えて降りた方が早いのだけれど、今回は連れがいるのでそういう強攻策はむずかしい。
いや、運動能力的には問題ない。けれど、性格的に無理そうだった。
「ほら、アルスラ姉さん、早く早く、正午の公演開始までに戻らないといけないんだから急いで。それにモタモタしてたら、またどこからともなくクーちゃんが現れて、連れ戻されちゃうんだから」
振り向いて呼びかければ、アルスラ・ミソラがいかにもビクついた仕種で周囲を見回しながら階段を下りてくる。
「……だ、大丈夫かな……見つかったら、その……絶対に怒られるぞ……?」
「うん、つまり見つからなければ怒られないのよ?」
ニッコリ返してくる妹分に、アルスラは頬を引き攣らせた。
「それに、姉さんだって気になるんでしょ? だったら迷ってちゃダメ! 女にだって、やらなきゃならない時ってのがあるの! さあ、わかったらキリキリ急いで!」
アルスラの手を取り強引に引っ張って行くファナティア。
いつもながら、そのポジティブな行動力には敵わないと、アルスラは力なく笑う。
タラップを下りきり、いざ、目的地に向かって駆け出そうとしたところで、ふたりは襟首をつかまれ引き止められた。
「毎度毎度、いい加減にしてくださいよ」
溜め息まじりの抗議は、タラップの陰から現れた黒髪黒瞳の用心棒のもの。
「ギニャーッ♪ やっぱり出たぁーッ!」
「ゴメンナサイごめんなさいゴメンナサイごめんなさいゴメンナサイごめんなさい……」
賑やかに笑声を上げる歌姫と、ひたすら謝り始める舞姫。
コウシロウは左右の手でつかみ上げて宙吊りにしたふたりのお姫様を、それぞれ交互に睨みつけて呻く。
「まったく、アルスラさんまで……いったい何を考えているんですか」
「ご、ごめんなさい……その、あの……」
「待って! 姉さんは悪くないわ! わたしが無理に誘ったの! だからこのまま黙って見逃して! お願い♪」
宙吊りのまま器用に科を作って片目をつぶるファナティアに、コウシロウはあきれを通り越した冷ややかな無表情で、双眸を半眼に細める。
「何がどうして見逃さなきゃならないのか、さっぱりわからないですね。まずはふたりとも、そこに正座してください」
威嚇を込めてグイッと地面に押しつけられるふたり。
(……あれ? 今日のクーちゃん、何だかその……怖い?)
(……えっと、たぶん、怒ってるんじゃないかな……さすがに……)
いつもと違った不穏な雰囲気に囁き合う姉妹。
「……正座、してください」
冷然と繰り返したコウシロウの低い声に、アルスラは慌てて正座してビシッと背筋を伸ばした。ファナティアもその姿を見よう見マネで倣う。
姿勢良く神妙になった脱走未遂犯たちの内、コウシロウはまず主犯と思われる方を睨んで、尋問する。
「それで、今日は何を食べに?」
「あ、それはね♪ 中央広場に有名な綿菓子の屋台があるの♪ 味もだけど、何よりスッゴい大きいんだって!」
実に嬉しそうに供述するファナティア。コウシロウは本気で頭痛を覚えて額を押さえた。
「だから、あなたはどうしていつも公演前に食べに行こうとするんですか……?」
「だって! スゴい人気で、すぐ売り切れちゃうらしいのよ! 今日はウチの公演に人が集まるから、相対的に広場に行く人は減るはずだし、チャンスだと思うの!」
会心の策を提示する将兵のように気合いのこもった声。
それをコウシロウは眼光で黙らせつつ、横の共犯者に視線を移す。
「アルスラさん、真面目なあなたまでどうして?」
失望を込めた問いかけに、アルスラは深く首を垂れて謝罪した。
「……ごめんなさい。わたしも……その、綿菓子……気になってて……」
消え入りそうな声で、それでも丁寧に両手を膝前の地面に突いて、深々と頭を下げる。実に綺麗な〝座礼〟である。やはり彼女は東方の文化に造詣があるのだろう。
「まあ、反省しているなら良いです」
吐息とともに首肯するコウシロウに、ファナティアが抗議を上げた。
「ちょっと! 何それ? どうして姉さんにはそんなに甘いの?」
「アルスラさんに甘いわけではありません。主犯で常習犯なあなたに厳しいだけですよ」
「ぅ……、でも、今までもちゃんと時間までには戻ってるじゃない」
「僕が必死に連れ戻しているからでしょう」
「だったら、今日もそうすればいいじゃない! 一緒に行って、時間になったら連れ戻せばいいでしょう! お姫様抱っこで!」
「何のこだわりなんですかそれは……。そもそも休日に行けば良いでしょうが。公演の日には公演に集中してくださいよ」
「美味しいお菓子を食べるのも大事なことなの! むしろ公演を頑張るのに必要よ! やる気に関わるの! 甘い物は乙女のエナジーなの! 歌への情熱も強くなるんだから!」
「そうでやすよダンナ、美味しいものを食べて、豊かに満たされた心が歌声に深みを生みやす」
「……ぅぐ! ……ぅうッ!」
「ほらあ! わかったでしょクーちゃん! 欲求を我慢して清貧に努めるなんて、礼拝堂で賛美歌を歌うわけじゃないんだから! わたしは、みんなを楽しく幸せにする歌しか歌わないんだからね!」
「然り、そんなファナティアさんのヤリタイ放題な奔放さは〝
「……ぅッ……ぐぐ……ぅ……!」
「そもそも……!」
「いや、ちょっと待ってください!」
勢い込んでまくし立ててくるのを制止して、コウシロウは確認する。
「何でいるんですか? 団長」
いつの間にか傍らに立って抗議に加わっていた金色孔雀。
コウシロウが半眼で問い質せば、実に平然と明朗な答えを返してきた。
「いえ、あっしもその綿菓子食べに行きたいんですよ」
「……ぐッ……ぅぅ……!」
仮面から覗く口許に楽しげな笑みを浮かべる団長。
その発言も問題だが、もっと問題なのは彼の肩に担がれた大きな布袋の存在だ。さっきからジタバタ動いている上に、中からくぐもった呻き声が聞こえてくる。
どう考えても、人さらいが
「あ、これですか? どうせならみんなで楽しく行こうと思ったんでやすが、ユリシャさんが照れて遠慮してやしたので、ちょっと強引に連れてきたんですわ」
「うわぁ、団長って時々どうかしてるよねえ♪」
「えッ!? それユリシャなの……!?」
笑顔であきれるファナティアと、蒼白になって狼狽するアルスラ。
コウシロウはもうどこから質せば良いのかわからなくなって、ウンザリと空を見上げる。
「さあさあ、時間ないんですからチャッチャと行きますよ」
「はいはーい♪」
意気揚々と歩き出す金色孔雀と〝
「……んぅーッ! ……ぐむッ……んーッ!」
「え……と、いいのかな……?」
呻いて暴れる袋詰めの少女に、オロオロと逡巡する〝
「……いいんじゃないですか? 一座の御大将がああ言ってるんですから」
用心棒は投げやりに呟いて、心の底からやれやれと。
(……まあ確かに、気晴らしは必要かもしれないですね……)
内心に吐き捨てたそれは、限りなく自嘲に近いもの。
コウシロウは改めてウンザリと、大きく肩をすくめたのだった。
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