姫は鏡に映らない(3)
中央広場は、市街を割って伸びる大通りが交差する地点に設けられた広場である。
正確には東商業区の中央部であって、都市全体から見れば南東に位置する広場であり、正式名称は別にあるようだ。
商店や露店が多く並ぶ中、件の屋台は聞いていたほど賑わっているようには見えず、実際、さして並ぶことなく購入できた。それがファナティアの読み通りなのか、単にウワサが間違いだったのかはわからない。
とはいえ、綿菓子の大きさは確かにウワサ通り。通常よりふた回りは大きいそれが、色合いも形も様々に並んでいる光景はなかなか圧巻だった。
様々な動物を象ったデザインの中から、わざわざ狼っぽい形をした綿菓子を選んだファナティアが、これ見よがしにコウシロウの眼前でかぶりつき食いちぎる。
「ほあ、クーひゃんほたえあお!」
綿菓子を頬張りながらでくぐもった声音。
「……いや、何言ってるのかわかんないですから」
ベンチに座したコウシロウが首をかしげると、ファナティアは「ん、ぅぐ……」と、頬張っている分を飲み込みつつ、手にした綿菓子を突き出してくる。
「クーちゃんも食べなよ、って言ったの。そんなフテ腐れてないで、もうここまできたら潔く綿菓子を味わいなさい♪」
そう言って、グイグイと白い狼の鼻先を突きつけられ、コウシロウは仕方なくひと口かぶりつく。ふわふわした綿状の飴が溶けていく食感は独特に、味は、まあ、普通に甘くて美味しい。
「……こないだの焼き菓子よりは、期待に応えてくれてますかね」
「あはは♪ あれはイマイチだったからねえ♪」
相変わらず楽しそうに、笑いながら綿菓子を頬張るファナティア。
そのままピョンと跳ねるような所作でコウシロウの隣に腰かけると、横でアルスラに膝枕されているユリシャの顔を覗き込む。
「ユリシャひゃんらいじょうう?」
「…………あの〝上だけ仮面〟は、後で必ず殴ります」
真っ青に
まあ、いきなり
「ユリシャちゃんって子供っぽくないよねえ?」
ファナティアがニコニコと無遠慮に問いかければ、ユリシャはいかにも疲労困憊に。
「そりゃあ、貴方よりも歳上で……」
それは思わずの返答だったのだろう、呟きの半ばで、ユリシャはいかにも失敗したという感じに唇を引き結んだ。
「え? ファナティアより、歳上……?」
アルスラが混乱した声をもらし、ファナティアは不思議そうに首をかしげる。ユリシャはもう本当に面倒臭そうに荒い溜め息を吐き捨てた。
「冗談です。真に受けないでください」
強い口調でそう言い切ると、よろけながらも起き上がってアルスラを睨む。
「それより、私の分の綿菓子はどこですか?」
「あ、これ……」
有無を言わせぬ剣幕に、アルスラが慌てて持っていた猫型の綿菓子を差し出す。
ふと、怪訝そうに眉をしかめるユリシャ。
「それは貴方の分では?」
「ううん、大きいから、一緒に食べようと思って……あ、ユリシャは丸ごとの方が良かったのかな……」
「……子供の私がそんなに食べられるわけないでしょう」
ユリシャはいつにも増してツンケンしながら綿菓子をちぎって頬張った。ハッキリ言って、彼女はまだ気分が悪い中で、無理して食べているのが露骨にわかる。
要するに、先刻の発言を誤魔化そうとしているのだろうが──。
ファナティアはニコニコと、アルスラはオロオロと、なまじ空気が読めるだけに言葉に詰まって困っているふたりに、コウシロウはパンッと手を打ち鳴らして注意を向ける。
「年齢と性格の落差というのはありますよ。僕だって、イイ歳してこんな性格ですからね」
笑声まじりに告げれば、ファナティアが笑顔のまま小首をかしげた。
「そう言えば、クーちゃんって何歳なの?」
「あなたよりは上ですよ? 団長よりは若いですが」
「そりゃ団長よりは若いだろうけど……。……あれ? 団長って何歳だっけ?」
「何歳だろう……十年前に、わたしが拾われた時には、もう団長だったけど。その頃からあの仮面姿だし……」
アルスラが思案げに呟けば、ユリシャがウンザリと。
「精神年齢は一番ガキですよ。絶対……」
彼方の仮面紳士を指差して毒を吐く。
見れば、広場の反対側にある露店にて、何があったのか、金色孔雀が店主と激しく言い争っているのが見えた。
「あわわ、た、大変だ……!」
「あ、待ってよ姉さん!」
慌てて駆け出したアルスラと、それを追うファナティア。
まあ、どんなトラブルかは知らないが、相手の店主は精悍そうな中年男性だ。綺麗どころがふたりがかりで謝れば赦してくれるだろう。結果、違うトラブルを生むかもしれないが、その時はその時だ。
コウシロウは改めてベンチに深く身を預けつつ、傍らのユリシャに視線を向ける。
「ファナティアさんより歳上なんですか?」
「貴方よりは若いですよ。多分……」
不機嫌そうな応答は、半ば投げやりに。
「それは、貴方がお母さんを恨んでいることと関係があるんですか?」
「……ずいぶんズケズケと訊いてくるものですね」
険悪なジト目。それを真っ向から見返して、コウシロウは苦笑う。
「遠慮してても話が進まないですし、それに、僕も色々と余裕がないんですよ」
「だったら、人の事情に構ってないで、自分の事情に集中してください」
そもそも──。
「私の事情なんて、貴方やファナティアさんに比べれば、些細な俗事ですよ……」
「そうなんですかね? 例えそうだとしても、関係ないでしょう。もっと大変で苦しい人が世の中にはいるんですよ……って、そういう正論で自分の境遇を納得できるなら、誰も苦労はない。他にどんなに苦しんでいる人がいるからって、今、この時に自分が苦しいことは変わらないんですから。自分の苦しみなんてまだまだ大したことない……とか、そう思って頑張れる状態なら、そもそも追い詰められもしないでしょう」
復讐は良くない。
それがわかっているから、普通はしない。
復讐は何も生まない。
それがわかっていても、どうしようもないから復讐せずにはいられなくなる。
「だから、まあ、恨みを忘れてもらうのが最善なのは当然ですが。できるだけ、穏便に、荒立てず、色々と取り返しがつく程度にことを収められるなら、それが良いじゃないですか。そのためには、事情を知らないことにはどうにもできません」
「余計なお世話ですよ。貴方は、そうやって馴れ馴れしく一方的に踏み込んでくる相手に対し、〝はい、そうですか〟と、ベラベラ事情を語るんですか?」
「ああ……まあ、そりゃそうですよね……」
ポリポリとバツが悪そうに頬を掻くコウシロウに、ユリシャは憤慨も激しく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
コウシロウは、大きく深呼吸を一度。
「……僕は、東方で少々特殊な家系に生まれまして。端的に言えば、何百年も前の悪い神様を閉じ込めておくのが仕事だったんですが。ほら? 神様とか、封印とか、そんなの大昔の迷信だと思うじゃないですか? だから、そんな迷信のせいで山奥に縛られて生きるのはイヤだって、そう思っちゃったわけですよ」
ベラベラと語り出したコウシロウに、ユリシャは驚いて向き直る。
「……で、まあ、結果的に悪い神様ってのは本物でして……。僕が軽率な真似をしたせいで、一族郎党皆殺しにされちゃいました。なので、全ては僕の自業自得…………復讐なんておこがましい。けど、あの悪い神様を放っておいたら、多くの人に災いを為します。なので、解き放ってしまった者の責任とケジメのために後を追い、こうして海を渡ってきたんです」
「……あの、ちょっと……」
面食らった様子で呼びかけてくるのは、いきなり語り出したことに対してか? 語る内容の荒唐無稽さに対してか?
──まあ、両方なのだろうが、それこそ構わずに続ける。
「僕は復讐しているつもりはありません。けど、相手を深く憎んでいるのも事実です。憎い相手が、個人の感情を差し置いても消し去らねばならない災厄であり、道義的に復讐を成立できるという点では、ある意味、僕は幸運なのかも知れませんね」
問題は──と、コウシロウは視線をうつむける。
「そんな消し去らねばならない災厄を消し去ることで、逆に苦しむかもしれない人が現れてしまったことなんですよ」
ファナティアの方を見ることはしなかったが、それでもユリシャは、苦しむかもしれないのが誰のことなのか察したのかも知れない。彼女はその幼い──幼く見える顔を彼方の歌姫に向けて呟く。
「……それでも、そんな災いを放っておくのは危険でしょう。それに、苦しむかもしれないのであって、苦しむと決まったわけではないのですから…………いえ、すみません。そういうことじゃないですね」
謝罪するユリシャ。
別に謝ることではないが、しかし、彼女の言う通りだ。
いずれにせよ、コウシロウはあの
「誰かを苦しめるのは、本意ではありません。が、この役目を投げ出すわけにはいかない。それでも、そこに伴うイヤなことや悲しいことは、極力防いで抑えたいだけ……。言ってみれば、僕の事情なんてそれだけのことです」
それは本当にそう思うのだと、相変わらず苦そうに笑うコウシロウ。
ユリシャはしばし、しかめっ面で黙り込んでいたが……。
やがて観念したような、あるいはヤケクソのような短い溜め息を吐き捨てて、ゆるりと語り出した。
「私は、子供の頃に母に捨てられました。理由は、色々あったのだと思いますが……まあ、母が私を疎ましく思っていたのは良くわかる。そういう毎日でした」
邪魔な子供を金銭に換えて処分する。良くある話だった。
「売られた先は貴族の屋敷で、私は下働きとして仕えました。そして、色々とロクでもない仕打ちを受けた。それも、まあ、良くある話です。世の中には心優しい人も多くいますが、同じくらい、あるいはそれ以上に、性根の腐った方々も多くいます。例えば私の母もそうだったのでしょう。私が仕えた貴族の方々もそうでした。本当に、良くある話です。……ですが、良くある話なら受け入れられるというものでもない。そんな腐った大人たちに囲まれていたからなのか、他に何か理由があるのかわかりませんが……私の身体は、成長しなくなった」
これでも私は、もう二十二歳です──。
ユリシャは呻くように濁った声で、吐き捨てる。
二十二歳。つまりはアルスラよりも四つ上ということだ。
売られた直後から肉体の成長がやけに遅くなり、やがて完全に止まってしまい。結果、このような幼い外見で停滞してしまったのだという。
「何かの病気か、あるいは単にそういう風に生まれついただけか……。少なくとも、見た目がこのようになっている他に、症状はありません。そして、東方ではどうなのか知りませんけど、この大陸では、そういう特殊な存在は〝魔女〟や〝悪魔憑き〟として忌み嫌われるのが定番です。私は幸いにも教会に突き出されることはありませんでしたが……」
ゆるゆるとグチるように語っていたのを止め、ユリシャはギュッと唇を噛んだ。
腹立たしい過去にイラ立つように、惨めな体験の追想を拒むように、強く噛み締める。
「……何にせよ。忌まわしい〝悪魔憑き〟の娘を、告発もせずに飼い殺すような腐った貴族です。さぞかしロクでもない事情があったのでしょう。ある時、屋敷が火事になり、みんな焼け死んで、地下に閉じ込められていた私だけが生き延びた。牢が焼けくずれ、いくつかの幸運が重なって、私はいちおう……自由になれた。だから、とりあえず母を探すことにしたんです」
無表情に、濃い徒労感めいた空しさをまとったユリシャ。
コウシロウは彼女の藍色の瞳を、その色彩をジッと覗き込んで問う。
「母親を探し出して、どうしたいんですか?」
「以前にも言ったでしょう? 直に言ってやりたいことがあるんですよ。父親の方は、そもそも会ったこともありませんし、生きているのかもわからないので…………言いたいことは母に言うしかない」
暗い感情に淀んだ瞳。そのドス黒い濁りは、コウシロウには馴染みの情動。
憎悪、嫌悪、憤怒、そしてそれらに急き立てられるように渦巻く焦燥。
ユリシャが母親に対して復讐心を強く抱いているのは間違いないのだろう。
母に捨てられた──そこに端を発した一連の不幸。
それは残念ながらユリシャの言う通り、世間で良くあることであり、そして、良くあるからといって受け入れられることでもない。
だが、それでもだ。
「復讐とか……、そういうのは、良くないですよ」
「そうですか。なら、私を救ってくださいよ。復讐なんかしなくていいんだって、そう想えるように、今すぐ幸せにしてくださいよ。できないでしょう? なら、中途半端な正論で、私の憎しみを踏み荒らすのはやめてください」
溜め息も深く言い切られ、コウシロウは苦笑う。
本当に、グゥの音も出ないとはこのことだ。だからもう笑うしかない。
(どうにも、ままならないものですね……)
苦笑いながら、そうしみじみと内心に噛み締めたのだった。
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