狼と三人の姫(5)


 舞台の上で舞い踊るアルスラ・ミソラの姿は、流麗にして鋭利。


 場内に響く静かな音曲に乗せて、アルスラは舞い跳ねる。


 彼女の長くしなやかな手足が動く度に、空気が裂けた。


 現に彼女の左右の手にはそれぞれひと振りずつ長剣が握られており、その白刃がひるがえり走ることで、空気だけでなく、まるで舞台上を照らす光さえもが斬り裂かれているかのようだ。


 刀剣を手に、踊る。


 通常のそれは、剣術の型を披露する演武に通ずるもの。

 だが、アルスラが舞うそれは演武とは決定的に、歴然と、異なるものであるらしい。

 反りのある東方風の片刃刀。

 その斬光は、見る者を惹きつけ、魅了するそうだ。


 肉を裂き、骨を断ち、命をこぼつ凶器であるはずの刃が、煌めき走ることで人の感情を揺さぶり、感性を刺激する。


 それは確かな怖気であり、畏れでありながら、だからこそ圧倒的に美しいという。


 剣舞。


 剣筋が描き、剣風が奏でるそれを、コウシロウも知識では知っていたし、故郷である東方の地にて実際に観覧したこともあった。


 だが、アルスラが舞うこれが剣舞であるのなら、コウシロウがかつて見たものは断じて剣舞ではないのだろう。

 ただ、剣を手に踊っていただけの小手先の曲芸ということだ。


 あの斬光にならば、斬られても良いとさえ思う者がいるほどに、倒錯的な陶酔とうすいを抱かせるという幻惑の剣閃。


 コウシロウには、共感できない感動であるが──。


 何にせよ、それを描き奏でているのが、あのオドオドと気弱な女性であるとは信じられない。実際、舞台上で舞い踊るアルスラは堂々と、優雅にして冷静に、惑いも焦りも皆無である。


 剣を手に舞い踊るその一時の間だけ、気弱で人見知りのアルスラ・ミソラは、その性分の枷から解き放たれて光り輝く。


 その期間限定の華やかさから、彼女はこう呼ばれている。


 ──〝輝夜姫シンデレラ〟──。


 西方に伝わる物語にて、魔法使いの助けで夜の短い間だけ美しく輝いたヒロインになぞらえたそれは、同じく西方の物語になぞらえられたファナティアの〝白雪姫スノーホワイト〟と対に並べられ、この一座ではもちろん、大陸で一番の舞姫と歌姫として賛美を受けている。


 客席の後方、いつもの位置にたたずんで観覧しているコウシロウ。

 その腕には、身ぎれいになったユリシャが抱え上げられている。

 足を痛めている彼女を立ち見させるわけにはいかず、かといって、普通の椅子を持ち込んで座らせても、そもそもの視点が低過ぎる。

 やむを得ずコウシロウが腕に抱える形にしたのだが、ユリシャは嫌悪からか、それとも気恥ずかしさからか、激しく抵抗した。


 ──が、それもアルスラの剣舞が始まるまでのこと。


 彼女が舞い始めてからは暴れるのを忘れて、ジッと食い入るように、魅入られたように、舞台上を凝視していた。


 やがて剣舞が佳境を越え、アルスラが両手の二刀を大きく広げて身をひるがえした。

 ひときわ速く流麗に走った無数の斬光。

 アルスラが二刀を下ろしてひざまづいた時、その所作に応えるように、舞台の背景を覆っていた大きな垂れ幕が千々に斬り裂かれて散った。


 舞い落ちる布地の向こうから現れたのは銀髪の歌姫〝白雪姫スノーホワイト〟。


 うつむきながら舞台中央に歩み出る彼女と入れ替わりに、舞姫〝輝夜姫シンデレラ〟は大きく跳躍を重ねて舞台袖へと消えていく。


 うつむいていたファナティアが、ゆるりと顔を上げた。

 鮮やかな翡翠色の瞳が大きく見開かれて、真っ直ぐに客席を──客席後方にいるコウシロウを捉える。薄暗い空間を隔てながら、それでも確かに視線を合わせて、ファナティアは大きく息を吸い込んだ。


「クーちゃーん! クーちゃんのために! 歌うからねぇーッ♪」


 高らかに無邪気に宣言しながら大きく手を振ってくる歌姫様に、コウシロウは抱えているユリシャを危うく取り落としそうになった。


(満席の劇場で何を口走ってるんですか!?)


 コウシロウの声なき抗議は当然届きはしない。


 直後に奏でられるアップテンポの楽曲と、場内に響き渡る〝白雪姫スノーホワイト〟の美声。

 煌びやかな衣装をひるがえしながら、いつにも増して情熱的に高らかに歌い舞うファナティア。その翡翠の双眸はずっとコウシロウに向けられている。

 彼だけを見て、彼だけに向けて奏で紡がれる歌声。


 コウシロウのために歌う。

 それは確かに、事前の宣告通りではあるけれど──。


 願わくば、観客の皆さんが変に勘繰りませんように。と、コウシロウは祈る。

 幸い、彼の立ち位置は舞台から見て正面方向であるし、いつも以上に感情のこもったファナティアの歌唱に、場内に満ちる感動と熱気も相乗されている。

 このまま煙に巻かれてくれることを願おう。


「……どういう御関係なんですか?」


 腕に抱えたユリシャが困惑の表情で問うてくる。


「……看板女優と、その用心棒ですよ」


 実際その通りであり、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。いや、コウシロウにとっては命の恩人でもあるが。


「あの人は誰にでも親しげで、いつでも楽しげなんですよ……」


 それはもう病的なほどに──と、そんな言葉の後半は声に出さずに呑み込んだ。けれど、聡いユリシャは言われるまでもなく感じ取っているのかも知れない。


 傷つき弱った幼い少女の窮状に、高らかな笑声を上げていたファナティアの異様。さも楽しげに笑いながら、それでも、ユリシャを労るように優しく抱き締めていた。


 舞台上の歌姫を見やり、歌声に聞き惚れながらも、ユリシャは静かに息を呑む。


「……何だか、あの人はです」


 けれど──と、ユリシャは思案するように目を閉じて続ける。


「怖くて、悲しい……だから、きっとだと思います」


 少女の呟きは、幼さに似つかわしくない静かで穏やかな響き。

 それはまるで、鏡に移る己の姿を見つめて鬱になっているような──そんな渇いた声音に聞こえて、


 コウシロウはイラ立ちを堪えるように、浅い吐息をこぼした。


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