狼と三人の姫(4)


 コウシロウが〝波鎮号ウェイブスィーパー〟に帰還したのは、どうにか公演開始に間に合う頃合いだった。


 笑い続けるファナティアと、呆然となった少女をまとめて担ぎ上げて、集まる周目を無視し、道中の注目も振り切って、とにかく急いだ甲斐があっというものだ。

 未だ笑いを堪えているファナティアを楽屋に放り込み、ともかく少女を手当てして休ませるため、適当な空き客室のベッドに横たえる。


 ずっと無抵抗だった少女は、そこにきてようやく深呼吸というか、深い溜め息をこぼしてコウシロウに問いかけてきた。


「何なのですか? あの人は……」


 わけがわからないという様子の少女。

 まあ、それはそうだろう。


「大陸一の歌姫〝白雪姫スノーホワイト〟こと、ファナティアさん。この移動劇団〝語り部語りテイルズテイル〟の看板スターですよ」


 コウシロウの端的ながらも要点をずらした説明に、少女は抗議以前にハッキリと驚いた。

 どうやらこんな幼い少女にも、劇団の名声は知れ渡っているのだろう。あるいは、幼い少女だからこそかもしれないが。


 コウシロウは廊下に顔を出し、通りがかった仮面の団員を呼び止める。


「すみません、救急道具と、それから、どなたか女性の団員さんを呼んでください。怪我した女の子の世話をお願いしたいんです」


 幼いといえども相手は女性だ。傷の手当てはともかく、衣服や風呂の世話までコウシロウがやるわけにいかない。


 それからさして間を置かず、救急箱を手にしたひとりの女性団員が駆けつけてくれたのだが──。


「は? アルスラさん……!?」


 思わずイラ立ちと困惑まじりの微妙な声をもらしたコウシロウ。


 紅茶色の髪を結い上げ、同じく紅茶色の瞳を所在なさげにうつむけたその女性の名はアルスラ・ミソラ。大陸一の舞姫にして、この一座のもうひとりの看板スターである人だ。


(いやいや、開演まで間もないのに、役者さん呼びつけてどうするんですか……)


 そもそも、それ以前の問題がある。


 長身のコウシロウと並んでも、あまり変わらぬ位置にある美貌。

 女性としては相当に背が高く、鋭い眉目としなやかに引き締まった体躯は、いかにも怜悧れいりで冷ややかな美女、という印象なのだが──。


「す、すまない……! 手が空いているのが、わ、わたしだけだったんだ。その、本当にゴメン! ゴメン!」


 おろおろビクビクと謝罪を繰り返しながら、決して目を合わせようとせずに肩を震わせてうつむいている彼女に、コウシロウは慌ててフォローを入れる。


「あ、いえ、アルスラさんに問題があるんじゃなくて、公演前に呼びつけて大丈夫なのかと心配になっただけですから」

「そ、それは……大丈夫! わ、わたしの今日の出番は、さ、最後の方だから……その、ゴメン」


 しどろもどろに応じた果てに、再度の謝罪をこぼす気の弱さ。


 極度の人見知りにしてアガリ症、普通ならおよそ舞台役者として致命的な性分を持つ彼女。果たして幼い少女相手とはいえ、世話を任せて大丈夫だろうか?


 考えている内に、アルスラはうつむいたままベッドに駆け寄って、少女に大して深々と頭を下げた。


「あの……手当て……するけど、あまり慣れてなくて……、だから、痛かったらゴメン!」


 どこまでも気弱で腰の低い言動に、少女は呆気に取られた様子で呆然と、その沈黙をどう捉えたのか、アルスラはさらに狼狽しながらも慌ただしい手つきで救急箱を開いた。


「……えっと、手当て……よりも、お風呂に入るのが先かな……? ……ああ、でも消毒だけでも……そう、傷を消毒しないと……!」


 せわしなく呟きながら、どこまでもあわあわと手ぎわの悪いアルスラに、むしろ横たわる少女の方が冷静な様子で忠告する。


「……落ち着いてください。そんなことでは、貴方の方が怪我をしてしまいますよ」

「あ……! そうだな……ゴメン。本当に、すまない」

「謝らないでください。謝るところなんてないでしょう? 何で謝るんですか?」

「……あの、だが、その……ゴメン……」

「………………」


 質問と謝罪の無限ループに陥りそうだったが、少女の方が根負けしたように黙り込んでくれたおかげで回避できたようだ。


 意を決したように傷の消毒を始めるアルスラと、大人しくされるがままになった少女。


(……とりあえず、大丈夫そうですかね)


 そう思い、コウシロウが部屋を出たところで、廊下の先から陽気な声が呼びかけてきた。


「やあ、ダンナ。またファナティアさんが腹ペコ迷子を拾ってきたんですって? しかも今度は可愛らしいお嬢さんだとか」


 金色孔雀。相変わらず暢気のんきにパイプを吹かしながらの登場に、コウシロウは首肯を返す。


「ええ、今、アルスラさんが介抱してます」

「アルスラさんが? 大丈夫なんですかい?」


 一転して不安げな団長殿。アルスラ嬢の性分は、コウシロウ以上に了解していればこそだ。


「今のところは、問題なさそうです」


 背後の扉越し、特に喧騒は響いて来ないし、助けを求めてくる様子もない。


「ふむ、その拾ってきたお嬢さんは……どんな子です?」

「どんな……まあ、いかにも身寄りのない浮浪児って感じでしたね。ただ、育ちは悪くないのかもしれません。やけに理知的で、大人みたいな言葉づかいをしてました」


 コウシロウの説明に、金色孔雀は「ほうほう……」と思案げに数度うなずいた。


「で、オッパイはどうでしたかい?」


「は?」


「そのお嬢ちゃんのオッパイですよ。どんな感じですか?」


「真剣に何言ってるんですか、あなたは」


「重要でやしょ? もちろん、女性の魅力がオッパイで決まるわけではありやせん。しかし、女性のオッパイが魅力的であることは真理です。その子のオッパイはアルスラさんよりより上ですかい? それともまさかファナティアさん以上?」


 至極真面目に詰め寄ってくる仮面の団長。

 何ともあきれるべきその態度に、しかし、コウシロウもまた真顔でしばし考えてから、静かにうなずきを返す。


「残念ながら、まだ幼い子ですので。将来性に期待という感じでしょうか」


「なるほど」


 男ふたりでうなずき合っていると、扉を開けてアルスラが出てきた。

 その背には、ひとまずの手当てを終えたらしい少女が背負われている。


「あ、団長」

「はいはい、みんなの団長さんでやすよ。そちらのお嬢さんが?」

「えっと、そう……今から、あの……お風呂に、入れてあげに……」


 いつも通り大仰な所作で問いかける金色孔雀に、アルスラは気圧されながらポツポツと呟くように返答する。


 付き合いの長い金色孔雀にすらこの調子──いや、彼女にしてはこれでもかなり打ち解けているのだろう。

 コウシロウなど、まだ一度も目を合わせてもらえない。アルスラと普通に会話できるのは姉妹同然に仲の良いファナティアだけだ。


「アルスラさん。急がないと出番に間に合わないのでしょう?」

「あ、うん。そうだねユリシャ。のんびりはしていられない」


 そんなアルスラだから、背負った少女が急かしてきたのに対し、普通に返事を返しているのを見た男たちは素直に驚いた。


「そ、それじゃあ……」


 向き直ったアルスラは、やはりふたりに対しては気弱に会釈して、早足に去って行く。


 とりあえず、あの少女の名前はユリシャというらしい。

 足の手当てをする短い間に、ずいぶんと打ち解けた様子だった。


「……こいつぁ、ダンナに続いて、思わぬ逸材を得たかもしれやせんね」


 金色孔雀がニヤリと笑みを浮かべてコウシロウを見る。


「ダンナ、あの子の身支度が終わったら、劇場に連れて行ってやってくださいや。せっかくですから、ウチの公演を観てもらいやしょう」


 金色孔雀は実に楽しそうに、深くパイプを吹かしてそう告げたのだった。


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