狼と三人の姫(6)


 本日の公演も無事に終了。

 観客たちが退場していくのをいつものように見守るコウシロウ。

 大人数の移動時というのは、ただでさえ事故が起きやすい。同時に、良からぬことを企てた者が人混みにまぎれて動き出すタイミングでもある。


 だから、一座の用心棒として、開場時と閉場時は、公演中よりも神経を研ぎ澄まさねばならない時である。ましてや今日はユリシャを抱えているのだから、なおのこと。

 幸い、今日も特に何事もなく全ての客が退場し終えた。

 劇場の入口が閉鎖され、仮面の団員たちがそれぞれに後始末やら点検やらに動き始める。

 コウシロウも場内外の見回りに移ろうとしたのだが──。


「……あの、そろそろ下ろしてもらえませんか?」


 腕の中のユリシャがジト目で睨んできた。


「ああ、これは失礼しました」


 コウシロウは謝罪しつつ、彼女を近くの客席に下ろす。

 大人しく座らされたユリシャは、ジッとコウシロウを──その身を覆う錆び色の甲冑を見つめて首をかしげた。


「不思議な鎧ですね。錆びているのかと思いましたけど、木製……なのですか? 何にせよその色は錆びではなく、染み込んだ血の色でしょう?」


 気味悪がるでなくそう問いかけてくるユリシャに、コウシロウは少し驚きつつ返す。


「なぜ血だと?」

「だって、木は錆びませんから」


 さも自明の理であるとばかりに見上げてくる幼い少女に、コウシロウは返答に困って口ごもる。

 別に、言えない秘密とかがあるわけではないが、だからといって進んで語りたい事情でもない。

 同胞の血にまみれて、黒獣の血が染み込んだこの重苦しい鎧──。


「こらーッ! クーちゃーん!」


 場内に響き渡った透き通る美声。

 見れば舞台の方からこちらに駆け寄ってくるファナティアの姿。

 ただし、花道ではなく、並ぶ客席の背を足場にして次々と飛び移る形で迫ってくる。

 最後に大きく跳躍して飛び込んできた彼女を、コウシロウはいつも通りに受け止めた。錆び色の腕に抱え上げられたファナティアは満面の笑顔で叱りつけてくる。


「もう! ヒドいじゃない!」


「いや、何がですか? ちゃんと観覧してましたよ」


「うん、それはありがとう♪ けど、わたしが言ってるのはそれじゃないの! わたしのことは荷物みたいに肩に担いだのに、その子は抱っこで観覧なんて、どういう了見なの?」


 どうやら市街から帰った時の運び方が気に食わなかったらしい。

 確かに、連れ帰る時はお姫様抱っこと注文されてはいたが、ハッキリ言って、あの時はそれどころではなかった。


「とりあえず、今お姫様抱っこしてるんですから赦してくださいよ」


 コウシロウがアピールするように軽く持ち上げれば、腕の中のファナティアは初めて気づいた様子で目を見開いた。


「あ、ホントだ、やったー♪」


 嬉しそうにコウシロウの首に腕を回してハシャぐ歌姫様。そもそも、怒っていたのは言葉面だけで、声音も表情もずっと喜色満面だったのだが。


「ユ、ユリシャ……!」


 慌てた呼びかけは駆け寄ってきたもうひとりの看板スター、アルスラ・ミソラ。こちらは真っ当に花道を駆けてくると、そのまま客席のユリシャの前に膝をついて問いかける。


「ユリシャ、わたしの舞はどうだった?」


 恐る恐るではなく、やや声音は弱くも普通に感想を訊ねるアルスラに、座したユリシャは素直に賞賛を返す。


「ええ、素晴らしかったです。話に聞いていたより、ずっと綺麗でした」

「そ、そうか、なら良かった」


 アルスラはホッと安堵して、実際に胸をなで下ろした。

 その様子に、ファナティアが感心して声を上げる。


「あれま、アルスラ姉さんがわたし以外と普通に話せてる」


「いやはや、まったく、ビックリでやすね」


 相づちを打ったのは仮面の団長、金色孔雀。

 突然の割り込みに、コウシロウは不審げに眉をしかめた。


「いつの間に現れたんですか?」

「さっきからおりやしたよ。ダンナはファナティアさんとイチャつくのに忙しくって、気づかなかっただけでやしょ」


 いかにもやれやれと肩をすくめる団長。

 だが、コウシロウが彼の接近に気づかなかったのは今だけではない。最初に出会った時から、一度もその気配を察知できたことはないのだ。

 当の金色孔雀は相変わらず飄々と、ユリシャの隣に腰かける。


「いやあ、ウチのアルスラ嬢と仲良くなれるとは、お嬢さん、なかなかの器量でやすね。どうでやしょう、このまま彼女の付き人として雇われちゃくれやせんかね」


 いつかのようにへりくだった揉み手で交渉を持ちかけた。

 相変わらず口調も態度もイカガワシイ勧誘にしか見えないそれに、ユリシャは思案げに首をかしげる。


「つまり、この一座に就職しろということですか?」


 ユリシャはユリシャでまた子供らしからぬ生真面目な応答だが、金色孔雀は当然のようにそんなことを気にする風もない。


「ええ。お気づきかもしれやせんが、アルスラ嬢は極度の人見知りでしてね。身内ですら普通に接するのが難儀なほどで、上手くフォローできる人材を絶賛募集中だったんです。今なら三食寝床つきの好待遇ですぜ」


「それはここの場合、雇用の最低条件でしょう」


「団長はジョークのつもりなの、だから笑ってあげて❤」


 あきれるコウシロウに、ファナティアが笑顔で片目をつぶる。そのどこまでも楽しげな追い打ちに、金色孔雀は口許に微苦笑を浮かべた。


「……で、どうでやしょ?」


 重ねて問われ、ユリシャはアルスラに向き直る。


「貴方は、私のような子供が付き人で良いのですか?」

「あ、あの、ユリシャが付き人になってくれると、わたしは助かる」


 コクコクとうなずくアルスラに、ユリシャはしばしの黙考を挟んだ。


「……ひとつ、条件を呑んでもらえるなら」


 少しためらうように、それでも、一縷いちるの望みにすがりつくようにユリシャは申し出た。


「……〝エルラ〟という名の女性を、探して欲しいんです。わたしと同じ髪の色で、同じ色の目をして、たぶん、似たような顔をしています」


 要するに──。


「私の母親なんですが。ちょっと、会って言いたいことがありまして、探しているのです」


 静かな呟きは、寂しさに嘆くよりも、不満にボヤくようにやさぐれている。

 その幼い瞳の奥に宿る感情。深く沈み込みながらも確かに息づくドス黒いそれに、コウシロウはゆるりと重い溜め息を吐いた。


「……そういうのは、良くないですね」


 その感情を見透かして、静かにイサめとがめるコウシロウに、ユリシャはさも不快そうに顔をしかめる。


「よけいなお世話です。そもそも、に言われたくありません」


 同じく見透かしたように返す少女。


(……同じ、ですか……)


 コウシロウは胸もとの首飾りに意識を向けながら、


「……まあ、それは、そうなんでしょうね……」


 深い自責と自戒を込めて、しみじみと呟いたのだった。


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