第5話:海にも山にも、心では並んで向かえど
想い人との距離が詰まる程、心が軋むように痛む理由を僕は探している。
ブレザーとポニーテールのよく似合う彼女と知り合って、一ヶ月が経った。枯れ葉が目立つようになったある日の夕暮れ時、僕と彼女は列車の中で、修学旅行の行き先について教え合っていた。
「へぇ、良いなぁ海沿い。私、山よりも海の方が好きなんですよね」
彼女の学校は内陸ばかりを巡り、山寺や滝といった景勝地が主らしい。自由行動が許される都市には海が無く、四方を高山に囲まれるのが嫌だと嘆いた。
「僕はどちらも好きですけど……山の方が嬉しいかもしれません。何ででしょうかね」
「私もよく分からないけど、やっぱり海だなぁって思うんです。園芸部の特権として、屋上に上がる事が出来るんですよ。水やりとかしながら、遠くの海を見るのが好きなんです」
興味深そうな顔で、僕を覗き込むように「教えて下さい」とねだった。
「山って、どんな魅力があるんですか」
赤らむ頬を見せぬよう努力しながら、「さて」と僕は首を捻る。彼女のような明確な理由がある訳でも無い、唯、何となく山が好きだと言っただけに過ぎない。
「季節によって色を変えるから、でしょうか」
「紅葉とか?」
額に汗が滲む。適当な言い訳を繰り返す内に、次第に「本当に僕はこういった理由で山が好きなんだ」と自己暗示が掛かるようだった。
「緑になったり、赤や黄色になったり、灰色になって、また緑になって……その繰り返しが好きなんです」
高名な教授の蘊蓄に耳を傾ける学生のように、彼女は「へぇ」と何度も頷いてくれた。
「その発想は無かったなぁ。魅力再発見、って感じがしますね」
にこやかな彼女は俄に振り返り、窓の外を流れる山々を眺めた。微かに紅葉が始まっているものの、暖色の山肌に感動するには、時期がまだまだ早かった。
「あそこ、ちょっと赤いですね。あっちは、黄色いかな?」
旅行の時期に失敗し、少しでも元を取ろうと努力する観光客のような台詞が面白かった。もう一ヶ月もすれば、僕達が現在見つめている景色は、まるでパッチワークのように赤、黄、橙、薄緑に染め上げられ、それは見事な絶景が楽しめた。
去年、彼女は自転車に跨がりながら、草木のパッチワークを横目に駆け抜けたはずだった。恐らくは……贅沢な男と二人で。
たった今、僕はその男に勝っているはずだった。
ペダルを漕ぐ必要の無い、一定の速度で目的地へ向かう列車に隣り合って座り、互いの好きな自然環境について語り合う。少なくとも、その男よりは僕の方に、彼女の心は歩み寄って来ているはずだ。
そうに違い無い、絶対にそうだ――考え、独断し、吐き気のように渦巻く胸の不快感に、弱い僕は怯えていた。
「今年は、ゆっくり紅葉を見られそうです」
彼女の言葉を追うようにアナウンスが流れた。僕が降りる駅の名を読み上げるその声が、何故か、無性に恐ろしい。
「もうそろそろですね」
アナウンスが流れた後には、決まって彼女はそう言った。この後、鞄からイヤホンを取り出して「一人下校」の準備を始めるのもお定まりだった。
何だろう。何で僕はこんなに……。
見飽きた建物が次々と車窓に映っては、僕を嘲笑うかのように一瞬で消えて行く。手に汗を掻いている。ポタポタと床に汗が落ちているように思えた。
「あそこ、見て。ほら!」
不意に愛しい彼女の、楽しげな声がした。
「鹿です、二頭、三頭……あぁ、見えなくなっちゃった」
無邪気に悔しがる彼女とは対極的に、僕の心中は雑念と欲求に満ち満ちている。
今日、貴女と同じ駅に降りても良いですか?
言える自信は、ある訳が無かった。仮に僕の口が暴走して、奇跡と神力が複合して「良いですよ」と頷かれても、その後に繋げる技術が僕には無い。
僕は、土の中で大空を羽ばたく夢を見るモグラだ。夢を見る事は出来る、空想も許されている。以降があてがわれていないだけだ。
けれども――モグラだって、空を見上げて叫ぶ事は出来るはずだ。そのくらい、神様だって見逃してくれる。
「あ、あの……」
「何でしょう?」
列車が停まった。すっかり顔見知りとなった運転手が此方を見やり、「降りないのだろうか」と不思議そうにしている。
「このまま――」
誰かが僕の身体に入り込み、内側から乱暴に叩いているようだった。鼓動がうるさい、顔が熱い。耳はきっと、真っ赤に染まっているのだろう。
「このまま?」
止めてくれ。そんな顔で見ないでくれ。これ以上、僕の心を引っ張らないでくれ。不相応という言葉を、僕から奪わないでくれ――。
プツリ、と耳の奥で何かが鳴った。
その後、僕は何かを口走ったらしい。
「はい、本当ですよね。このまま良い天気が続けば良いのですけど……」
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