第2話:愛情以外は未来を変えられない

 僕の通う高校から五分も歩けば、時代の流れに置いて行かれたような星浦駅は建っている。本当に「建っている」だけだ。人口が年々減っているらしいこの町から活気が失われるように、駅舎は風雨と風雪の類いに塗装を剥がされ、壁を削られ続けた。


 星浦駅を利用する人は一日に三〇人いれば御の字だ、と地元の新聞社が書き立てていたのを見た気がする。それでも町の古顔達は駅舎を何とか「明るい」場所にしようと、頼まれもしていないのに、持ち込んだプランターに花を植えていた。


 余り虫が好きじゃない僕としては、花を目当てに蜜蜂が引っ切り無しに飛ぶのが頂けない。何て迷惑な盛り立て方だろうと眉をひそめた事もあったが、今日、僕は初めて、整列するプランターに感謝した。


 夕陽が橙色に染める駅舎の前、そこに名前も分からない沢山の花がプランターの中で咲いている。その内の青い花を、は神妙そうな顔で見つめていた。やはりブレザーのポケットに両手を入れ、しゃがみ込んで鑑賞――というよりは訝しむといった目付きだった。


 そのまま彼女の横を通り過ぎようかと思った僕は、ポニーテールの下から覗く項の白さに足を止めた。駅舎は橙色、地面は煉瓦の赤茶色、そこに色取り取りの花と、陶器に似た白い肌。目元は赤く腫れていない。今日は泣いていないらしかった。


 度胸のある男なら、もしくは後ろから声を掛けて「昨日はどうしたのですか」などと、柔らかな笑顔と共に訊ねる事だろう。でも、僕には出来ない。そんな芸当の出来る男なら、昨日の時点で声を掛けている。


 花が好きなんですか。僕も好きなんですよ……言葉自体は思い浮かべど、意気地の無い僕は行き先を失った言葉を噛み砕き、心深くに飲み込んでしまう。


 列車が来るまで二〇分あった。やる事も勇気も無い僕は、彼女の事など知ったものかと言わんばかりに、スタスタと横を通り過ぎようとした。彼女は僕の足音に気付いたらしく、横目で此方を見やる。


 僕は貴女の事など知りません。心中で呟く。他人などどうでもよいと強がりながら。けれど本当は、心臓が馬鹿みたいにうるさく高鳴り、僕の耳に響きまくる。勢いを付けてホームへ入って行くと、強い喉の渇きを覚えた流れで自動販売機へ向かい、またしても麦茶を買う。


 ベンチに腰掛け、鞄を置いて首を回す。美味くも不味くも無い、普通の麦茶を飲んでいると、コツコツと高い足音が聞こえて来た。彼女だった。塗り潰したような黒いローファーが視界の隅で動いている、それは次第に近付いて来て、やがて止まった。


 どうして立ち止まったんだろう?


 僕は考え、昨日に彼女は「ここに座っていたじゃないか」と思い出した。お前はあっちに座っていただろう、あっちに行け――そう叱られるような気がした僕は、慌てて立ち上がり、彼女の方も見ずに目礼し、別のベンチに移ろうとした。


「あの」


 声がした。無理矢理に絞り出したような、か細い声だった。


「私がに行きますから」


 振り返り、僕は初めて彼女と正面から見つめ合った。


 黒曜石の輝きを湛えた瞳は、僕を警戒しているのだろうか、微かに揺れ動いて此方を見据えている。山と山の間から太陽が僕達を覗いた。煌めく陽光が彼女を後ろから照らし、ぼやけた陰影を以て――彼女を


 勝手に、僕の口が開いた。激烈な緊張の隙間をすり抜け、どうしようも無い僕の本性が、今を逃すなとやかましい鐘を叩いて報せた。


「すいません」


 何故か僕は、最初に謝った。


「良かったら、僕と話してくれませんか」


 謝るべきはこの要求後であろう。突拍子も無い僕の要求に、彼女は予想通りに小首を傾げて「話す?」と返した。


「昨日、泣いていませんでしたか」


 悪手だ――僕はすぐに思った。仮に僕が彼女なら、「余計なお世話です」と踵を返して立ち去る事だろう。同じ学校に通っている訳でも無い、二日同じ駅にいたというだけの朧気な偶然を信じる男に、会話をしてやる義務は何処にも無い。


 僕は彼女を見つめ続けた。ほんの少しでも、僕と彼女が見つめ合い、会話をしたのだと、自分を慰める為だった。


「あぁ……」


 彼女は瞬きし、口元を恥ずかしそうに開いた。


「見られていたんだ」


 また僕は謝り、しかし図々しく近寄った。一方の彼女は後退りもしなかったので、一本の藁に縋るように、「何かあったんですか」と続けた。きっと、僕の顔は燃えるように紅潮していたのだろう。伺うように僕の頬辺りを見つめ、彼女は「貴方こそ」と笑った。


「顔が赤いです。何か、あったのですか?」

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