第12話 甘すぎる僕のお姉ちゃんとのバスタイム(前編)

「ふぅー……疲れた」


 お風呂に入りながら、ぼんやりと天井を見上げる。


 今日だけで色々なことがあったけれど、これからはこんな毎日が続いていくのだろう。


 姉さんと一緒の高校に通うと決めた時から、ある程度は覚悟していたのだけれど……。


「僕の覚悟が、足りなかったのかな……」


 後悔の念を呟いたところで、僕を優しく包み込んでくれるのは温かいお湯だけだ。


「……駄目だ駄目だ! こんなことで挫けちゃ!」


 バンッ、と思いっきり、僕は湯船に顔を叩き付ける。


 そして、そのまままぶたをギュッと閉じてじっとする。


 もちろん、お湯に顔を付けている体勢なので、呼吸はできない。


 だけど、だからこそ、自分の中のモヤモヤした感情を発散させることができるような気がした。



 ――10秒。

 ――20秒。

 ――30秒。



 体内時計で秒数をカウントしながら、思考を循環させる。



 大丈夫、大丈夫、大丈夫!

 僕はちゃんと、姉さんから――。



 1分ほど、息を止めたところで頭にアラートの音が聞こえてきた。


 これ以上は、限界か。


 僕は勢いよく、湯舟の中で立ち上がった。



「……ぷああっ!!」



 肺いっぱいに空気を吸い込むと同時に、頭の中はすっきりできた。


 よし、おかげで嫌なイメージも払拭できた。


「ふふっ……りくくん。昔からそれ、よくやってたよね? 初めてやってるのを見たときはびっくりしたなぁ」


 確かに、変な癖だと自覚しているけれど、気持ちを整理できるので重宝しているのだ。


 そりゃあ、姉さんから見たら弟が変な行動をしているように見えちゃうのかも知れないけれど……。



 …………ん? いや、ちょっと待って。



「どうしたの、りくくん?」



 ――お風呂場に、姉さんがいた。



 しかも、白く透き通った肌を露出させた状態で、僕の目の前に立っていて……。



「わああああああああああああああああっっっっっ!?!?」



 僕は咄嗟に、また湯舟の中へとダイブしたが、まだ酸素が十分補給できていなくて、すぐに湯船から出てきてしまう。


 近所迷惑もはなはだしい大声を上げてしまったが、そんなことは一切気にもした様子のない調子で姉さんは話しかけてくる。


「も~う、どうしたの? りくくん? いきなり大きい声だしちゃダ~メ、なんだからね~」


 いつものトーンで話されても、今の僕には冷静さが欠落してしまっていた。



 どうしたの、だって?


 どうしたもこうしたもない。


 見てしまった。


 そりゃあもう、バッチリと。



 ――姉さんの生まれたままの姿を。



「なななななっ、どうして姉さんがいるんだよ!」


「だって、今日はりくくんが私と一緒の高校生になった初めての日だよ? だから、久々にお風呂も一緒に入ろうっかな~って思ったの」


 ごめん、その論理的結論が全く分かりません。


 とてもじゃないけど、その答案用紙にQ.E.Dという文字を記すことはできないよ?


 しかし、姉さんはそんな僕の気持ちなど全く分かっていないであろう笑顔を向けながら、こういった。


りくくん、姉弟でお風呂に入るのって、普通じゃないかな?」


 それだけ言い残すと、姉さんは何の躊躇もなく、僕がいる浴槽に入ってこようと近づいてきた。


「す、す、す、ストップ!」


 僕は顔を逸らしながら、必死の抵抗を示す。


 できることなら今すぐお風呂から立ち去りたいところだが、そのイロイロとこちらに不備があるというか……、絶対に今の僕を見られたくないので、身体を丸めたまま必死で姉さんに呼びかける。


「こ、こんな狭い湯舟じゃ二人も這入れないって!?」


「そんなことないよ~。あっ、でもちょっと身体が当たっちゃうかも~」


 なにそれ? 拷問かな?


 もしそんなことが実現してしまったら、僕の死因は、きっと突発性とっぱつせい羞恥しゅうち症候群という新しい病名が名付けられることだろう。


「でも、お姉ちゃんは全然そんなこと気にしないよ。むしろ、りくくんの身体に触れられるなんてご褒美だよ~!」


 とっても嬉しそうな顔でそんなことを言っちゃう姉さん。


 もう、いよいよ危ないと思うのは僕だけだろうか?


「え~? 小学生のときも一緒に入ったよ? そのあと、少ししたらりくくんが凄く嫌がったから、お姉ちゃん我慢してたんだけど……」


 そんなしょんぼりとした顔で言われても困る。


 小学生のときは、まだ僕も子供だったわけで……。


 たしか、中学くらいから変に意識し始めたんだっけ……。


 そのときは僕の必死の抵抗をしたので事なきを得たが、なぜ、高校生になったらオッケーだと思ったのだろう。


 いや、そんなことはどうでもいい。


 いま考えないといけないのは、僕の身体がもう小学生じゃないように、姉さんの身体も同じように月日が経過しているのだ。


 あのときの姉さんだって、今とは負けないくらい綺麗な姿をしていたと思う。


 だけど、中学生の頃の姉さんに比べて、見事に成長した、柔らかそうで立派な胸が……。


「あああああああっ! 駄目! 駄目! 駄目ッ! とにかく駄目なの!!」


 もう泣きたくてしょうがないこの状況に、僕の語彙力が急低下した。


 このままだと、本当に姉さんと一緒にお風呂に入ることに……。


「あっ、そっか!」


 しかし、姉さんが何かに気付いたように声を上げる。


「そうだよね……ごめん、りくくん、お姉ちゃん、気づいてあげられなかった……」


「えっ?」


 あれ? 姉さんの態度が少し変わった?


 これは、もしや姉さんがやっと僕の言うことを分かってくれたのでは!?


「えっと、まずは身体を流してからのほうがいいんだよね? 湯船に入るのは、それからだよね?」


 違う。


 僕が言いたいことは、そんな礼儀作法のことではない。


 というか、先に湯舟に浸かる派か、先に頭と身体を洗う派かなど、そんな派閥争いに興味などない。


「じゃあ、お姉ちゃん先にシャワーしておくね」


 そう言いながら、姉さんは洗面台に座って、シャワーを浴び始めた。


 栗色くりいろの髪が、水分を含んで輝きを放つ。


「♪~、♪♪~」


 目を瞑りながら、気持ちよさそうに鼻唄を歌う姉さんの横顔は、崇高な一枚の絵画のようであった。


 でも、このまま姉さんの姿を見つめていると、僕の中の男性的で普遍的な欲求に抗えなくなってしまいそうなので、ゆっくりと天井を眺めたのちに、全ての煩悩を消すために目を閉じる。



 ああ、神様。

 どうか僕をお助けください。



 ――そう願ったものの、僕の声は神には届かず、本当の恐怖は、ここから始まるのだった。

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